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現代日本に春画展という波紋が広がった…!『春画と日本人』大墻敦監督と石上阿希さんを迎え舞台挨拶開催!

2019年10月26日

2015年9月に開幕し、約21万人をも動員して美術界で一大事件となった永青文庫『春画展』の軌跡を追ったドキュメンタリー『春画と日本人』が10月26日(土)より関西の劇場でも公開。初日には、大墻敦監督と石上阿希さんを迎え、舞台挨拶が開催された。

 

映画『春画と日本人』は、2015年に開催された日本初となる大規模な春画展の開催までの道のりを追ったドキュメンタリー。2015年9月、東京の小さな私立博物館・永青文庫で開幕した春画展は、国内外で秘蔵されてきた貴重な春画約120点を一堂に集めて展示し、3カ月の会期中21万人もの来場者が訪れる大成功を収めた。しかし、展覧会開催までの道のりは平坦なものではなかった。当初、ロンドンの大英博物館で開催され、成功を収めた春画展の日本巡回展として企画されたが、東京国立博物館をはじめとする国内の公私立博物館20館への打診がすべて断られ、小規模な私立博物館での開催となった。海外では美術品として高く評価されている春画の展示が、なぜ日本ではスムーズにいかないのか。なぜ21万人もの観覧者が訪れたのか。この展覧会を大成功へと導いた人々を追いながら、春画と日本人をめぐるさまざまな謎に迫っていく。

 

上映後、大墻敦監督と、国際日本文化研究センター特任助教である石上阿希さんが登壇。春画に対する現代の考え方と共に多様な視点を以て本作について考える舞台挨拶となった。

 

元々、美術や歴史が好きで、学会にも個人で参加していた大墻監督は、大英博物館での春画展開催を聞き「すごい革新的なことをするな」と思っていたら、高い評価があったことに驚いた。展覧会は文字でしか記録が残らないことが多いが、TVの仕事をしていたので「映像と音声で記録を残すべき重要な展覧会になるんじゃないか」と捉え、関係者にお願いしていく。無事に撮影の許可を頂いたので、記者会見の頃から自身のカメラで撮り始めていった。当初は、5~10分程度に纏めてDVDを関係者に配布し終えるまでを予定していたが「皆さんのお話を聞いているうちに、短く纏めるものではなく、射程の長い話になるのではないか」と気づいていく。最終的に、1年半をかけて90分の作品を制作し、石上先生たちにご覧いただき、内容への同意をいただいた。友人に音楽をつけてもらい、教育・研究目的の無料の上映会を開くことにした。日文研や立命館大学アート・リサーチ・センターで上映会兼ディスカッションまで実施して頂き、満足する結果となった。さらに、監督の友人がキネマ旬報に紹介。作品として審査して頂き、キネマ旬報ベスト10にランクイン。若い頃からの映画好きにとっては、大変名誉なことに感謝の気持ちしかない。その後も教育・研究目的の上映会を何度か開いていたところ、ご縁をいただき、劇場公開を決意し、全国各地の映画館での上映に至っている。

 

映画の趣旨について聞かれると、いつも次のように答えている「4年前、春画展という小石が日本社会という水面に落ちた。その時に生じた波紋を、研究者や関係者の証言で写し取ったと考えています。波紋はしばらくすると消えて元にもどり、水面は穏やかになります」。また、今年8月の上旬に起きた”別の波紋”について「似ているようで別の波紋です。ただ、日本における表現の自由はどう守られるべきなのか。映画の中で出てくる言葉ですが、”見えないものに怯えている日本社会”との共通点が底流にあるような気がします」と述べ「この映画と比べて下さっても構わない。似ているものと似ていないものを感じ取って頂ける機会になって頂ければ」と提案した。

 

2015年の出来事を収めた本作を観て、石上さんは「果たしてあの時から事態が好転しているのだろうか。様々なことが起こっている」と俯瞰しており「見る人ではなく見せる側として、何に気をつけなければいけないか」と現実で起こっていることと合わせて考えている。未だに事態が好転していない中で「隠されてしまうものを見せていく時に大切なことは何だろう」と考え続けている日々だ。春画展の開催にあたり「見たい人と見たくない人を分けて、見たくない人の権利を守る必要がある」と皆で気をつけており、年齢制限によるゾーニングを実施。「春画の何を見せたいか。おもしろい春画を並べても、おもしろいだけで終わってしまう。見せる側はどういう文脈でしっかりとした解説をつけて春画が今何故必要なのか言葉を必ず添えて見せることが大切」だと定義し、丁寧なキュレーションを大切しようと心掛けた当時について、本作を観ながら改めて考えた。

 

現在の春画に対する状況について、石上さんは「徐々に良くなっています」と説く。永青文庫での春画展以降、春画だけを集めた展覧会はまだ開催されていないが、沢山ある浮世絵の中の一つとして春画が並ぶようになった。部屋を区切った形であっても当然のように春画が並べられている展覧会も開催されている。今年の4月、渋谷区立松濤美術館で『女・おんな・オンナ~浮世絵にみる女のくらし』という展覧会を石上さんは企画監修した。2年前に「春画展を開催したい」と公立の美術館から声がかかり、結局、途中で変更となったが「当時の女性達の生活を知るために美人画や風景画の中に春画を置ける展覧会になったので、結果的に良かった。春画展を開催したい公立の美術館もちらほらと出てきています」と解説。他にも春画が並べられる浮世絵展の開催もあり「徐々にではありますが、選択肢の一つに春画が選ばれるようになりました」と喜んでいる。

 

日本国憲法第21条で、集会の自由・結社の自由・表現の自由が認められていることに触れ、大墻監督は「大原則、無限の自由」だと述べていく。「もちろん、他者の名誉を毀損しない、他者の著作物を大切にする、など制約は当然ありますが、その制約の範囲を決めるのは、個々の表現者の自己責任による配慮であるべきだと考えます。表現の自由は、一般的には、公共の福祉に反しないかぎり、とされていて、そのこと自体はは正しいと思いますが、何が公共の福祉に反するのか反しないのかは、裁判所や警察が決めるのではなく、私たち一人一人が決めるのが理想だと思います。もちろん、理想主義すぎると言われるかもしれませんが、ただ、現実問題として、表現の自由の範囲を決めることは、きわめて難しいです。だからこそ、私たち一人一人が自己責任で決めていく不断の努力が大切だ」と、自分自身の問題として感じている。石上さんも「基本的には、誰かの権利を侵していないと踏まえたものであれば、公開していくべき」だと主張。「春画は、10年単位、100年単位で図る社会的な基準が変わっていく。現在の私達が表現の自由を謳っても2019年のこと。その時点の価値でも、長いスパンで見れば100年、200年先の社会を生きる人達にとっては大切なものかもしれない」と考えており「春画展を開催するにあたって、今の時点だけではなく、違う地域や時代も含めて考えていかなければならない」と述べた。大墻監督も「4年前の展覧会をきっかけに大きく変わるかもしれない。変わる礎になるかもしれない」と賛同する。

 

 

ここからは、視点を変えて、春画の楽しみ方に関するトークとなった。江戸時代、どのように春画を楽しんでいたのか。春画の中には、春画を読んでいる人達の画が沢山描かれている。一つのフィクションであり、ありのままの姿ではなくとも、男女問わず、もう少しで大人になる少年や少女も春画を見ていた。だが、当時の春画は出版してはいけないものとして扱われ、書店の店頭に並ばず、買えない書物。そこで活躍したのが貸本屋さん。背中に100冊程度の本を背負って顧客の家を1軒ずつ回り日数を限定して本を貸す本屋さん。春画・春本も主要な商品の一つであり、他の本よりも数割高く貸し出せた。読者からのリクエストがあり、読者の反応を見ながら提案もしていく。貸本屋さんは家だけでなく、寺子屋や歌舞伎の劇場楽屋、遊郭の中にまで入っていた。遊女さん達は、春画だけでなく当時の最先端のエンターテインメントから情報を仕入れている。本屋と読者を繋ぐ存在があってこそ春画が流通していたことを、石上さんは丁寧に解説した。なお、幕末に日本に来た外国人が、女性達を見て驚いている。「日本人の若い女性達が皆で淫らな本を買って、見て笑って喜んでいる」と多数の外国人が各地で見かけており、庶民だけでなく御殿様の中にも出入り業者に、江戸の春本の購入を依頼していた記録があった。まさに階層も性別も様々春画が楽しまれていた時代である。

 

また、ピカソが春画を持っていたことについて、大墻監督は驚いた。若い頃にニューヨークやパリを訪れた際、美術が好きでMoMAでキュビスムの凄さを感じたが「それ以前に北斎がやっていた。凄いな、日本人は」と唸るばかり。当時の浮世絵は消耗品であり、大量に流通していたが「優れた絵画技術であり、ピカソと春画の関係が分かってくる」と改めて認識した。2009年、スペイン・バルセロナで「ピカソと浮世絵春画」展が開催される。石上さんは、キュレーションした学芸員の方から「前年にスペインのピカソ美術館の館長がイギリスの浮世絵展覧会を訪れた際、貸し出したピカソの絵画と会場に他の場所に展示されていた春画を見て似ていると感じ、ピカソと春画について学芸員に調べてもらった」と聞いた。さらに「ピカソの遺族やコレクターに、ピカソは春画を持っていないか聞いてみると、最初は誰もが否定した。だが、数ヶ月後、遺族から発見した報せを受けた。そこで展覧会が開催された」と明かしていく。大墻監督は「キュビスムは、美術史の中で、三次元の世界を二次元の平面にどうやって写し取って新しい表現をするのか、戦いの中で見つけた一つの果実だった。それをもぎ取ったピカソは、知らないところで似たようなことをしている人達を見つけた」と驚いた。石上さんは、葛飾区北斎の「蛸と海女」を挙げ「ピカソは、自分なりにアレンジした女性と蛸の絵を描いています。外国人と日本人のインスパイアは違う」と述べ「日本人はそのまま模写して自分の中で取り込んで新しくしており、構図が全く同じこともある。西洋人は一度飲み込んでから描いている」と違いを語る。

 

最後に、大墻監督は「コツコツ作ったものが転がるように偶然転がるようにして実現した映画の公開です。皆さんのお役に立てれば」と願いを込め、舞台挨拶は締め括られた。

 

映画『春画と日本人』は、大阪・十三の第七藝術劇場と京都・烏丸の京都シネマで公開中。また、12月7日(土)より、神戸・新開地の神戸アートビレッジセンターでも公開予定。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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