藤原季節がキャリアを重ねていく中で形に残しておくべき作品じゃないか…『東京ランドマーク』藤原季節さん、大西信満さん、林知亜季監督、毎熊克哉プロデューサーに聞く!
コンビニエンスストアのアルバイトで生計を立てる青年が、なかなか帰ろうとしない家出した高校生の少女を、なんとか家に帰そうと友人たちと奮闘する姿を描く『東京ランドマーク』が大阪・十三の第七藝術劇場でも公開中。今回、藤原季節さん、大西信満さん、林知亜季監督、毎熊克哉プロデューサーにインタビューを行った。
映画『東京ランドマーク』は、2008年に柾賢志さん、毎熊克哉さん、佐藤考哲さん、林知亜季さんの4人で結成された映像製作ユニットEngawa Films Projectが手がけた初長編作品。現代の東京に生きる若者たちが、ある出来事をきっかけに、知らずに抱いていた閉塞感から解放されていく様子を、静謐で透明感のある映像で描き出す。コンビニのアルバイトで生活をする稔の家にいつものように遊びにきたタケは、桜子という名の家出少女を稔が匿っていることを知る。未成年である桜子を早く家に帰そうとするタケだが、桜子はどうしても帰ろうとしない。そこでタケは稔とともに桜子を匿うことを決め、そこから3人の不思議な関係が始まるが…
監督・脚本はEngawa Films Projectメンバーの林さんが務めた。主演は『his』『くれなずめ』『わたし達はおとな』等で活躍する藤原季節さん。撮影は2018年に行われており、当時25歳だった藤原さんにとって初の主演作となった。
2012年、当時19歳の藤原さんは小劇場での公演で毎熊さんと出会った。その後、『ケンとカズ』にオーディションに誘ってもらい、テル役に選ばれて共演している。一方、柾賢志さん、毎熊克哉さん、佐藤考哲さん、林知亜季さんら4人によるEngawa Films Project は、2008年に「縁側に座って映画見るような気分で映画祭等を企画したい」といったコンセプトで発足、短編作品から撮るようになった。なお、当時の4人はエキストラとして出演することが多く「自分達がメインキャラクターの映画を撮ろうよ」といった目的も大いにある。
本作を撮影していた頃、25歳だった藤原さんは家族関係や人間関係に悩んでいた。そんな自身を当て書きして主人公の稔を描いてもらっており「物語の内容自体はフィクションですが、人物造形自体は林さんが僕に当て書きしてくれたもの。そのままですね」と話す。共演の義山真司さんとは幼馴染であり「19歳の頃から友達なので、そのままの関係が映画に映し出されている。演じている認識がなく、どこからカメラ向けられてるか把握していなかった」と明かす。また、当時の義山さんが陥っていた状況に危惧していたこともあり「衝突を繰り返し、喧嘩もしていた。どうしようもなかった時に林さんが『東京ランドマーク』を書いてくださった。この映画を通して義山真司と対話をしよう、と決めた」と打ち明ける。そこで、林監督が書いた台詞によって「自分の悩みが反映されると、俳優としてのメンタルは苦しみやすい。普段発してはいけないような言葉や苦しみを物語に取り入れられるので、セラピーのようでもあった。僕も真司もこの映画を撮って、少しは人生が好転していった」と受けとめており、時間を経て家族関係も良くなったようだ。初主演作となったが「人間的な部分で成長できた。苦しみが通過していった」と手応えを感じていた。
とはいえ、クランクアップ後、劇場公開の予定は決まっておらず。出演者としては不安になりそうだが、藤原さんとしては「若気の至りなのか、具体的な出口すら知らない状態だと何も怖いものがなかった。この映画を今撮り切るんだ、ということしか頭になかった。それが達成されて落ち着いた。燃えていた心が一度静まっていた」と思い返す。撮影終了後に全てのカットを繋いだラッシュ状態のものが3時間半程度あり「その映像が凄く好きだったんですよ。3時間半もある好きな物語を観て納得した自分がいる。これを撮れたんだ、という自信があり、いつか届くだろうな。観てほしいな」という思いは消えずにいた。昨年、「藤原季節特集上映」が企画され「まだ映画館で上映してない新作をスクリーンにかけられないか」とテアトル新宿の方から提案を頂き「そういえば幻の映画『東京ランドマーク』があったな。今こそなんとかならないかな、と思い林さんにお願いした。そこから一気に編集も仕上げて頂いた」と安堵している。プロデューサーである毎熊さんとしては「特集上映がなかったら、東京や大阪のメイン館も決まらなかった。最初の一手はここから始まっている」と実感。大西さんは、林監督について「監督というよりアーティスト。締め切りがなければ、ずっと編集している。特集上映時の作品と今回のロードショー公開の間にも微妙に編集して変わっている。そういった監督は珍しいです」と受けとめていた。なお、関西での劇場公開にあたり、毎熊さんと大西さんが貢献している。大西さんは「自主配給作品であるなら、自分が一番に様々な方を知っているので、ダメもとで直接お願いした関西での公開が実現した。そこからは、ある程度の主要都市でやるようになれば声がかかってくる。それを待ってこれからもっと広がっていけばいいかな」と思い描いた。企画段階では出口が決まっていたなかった作品でもあったことから「数年を経て、彼がキャリアを重ねていった時、しっかりと形に残しておくべきなんじゃないか。皆で候補となる映画館を選んで企画書を持って劇場に手渡しながらやっていった中で、今こういった状況になっている」と実感している。
『止められるか、俺たちを』を通じて大西さんと出会った藤原さんは「友達との小さな映画だったので、自分が昔から観ていたプロの俳優さんに参加してもらうことが実は勇気が要ったんです。劇場公開も含め、信満さんの存在によって自分達のふわふわとした作品に或る種の緊張感がもたらされる」と感謝していると同時に「あの時に誘った自分、よくやったな」と振り返る。大西さんとしては「結局、気持ちがあっても、その方法が分からないことがある。こういう動き方をしたらいいんじゃないか、と年長者の僕が分かっていただけ。Engawaの皆が動いてるだけでは勿体ない。作ったからにはちゃんと形にしようよ、出口をちゃんと見つけようよ、と毎熊君とも話していた」と冷静に話す。林監督としては「終わらせたい、といったイメージはあるんです。今回、藤原季節が出演し、撮影素材が全て凄く良かったので、もっと何か出来るんじゃないか、素材としての可能性や魅力を感じたからこそ、編集が難しかった」と打ち明ける。
元々は監督志望だった毎熊さん。18歳で上京し、映画学校の監督コースで3年間学び、俳優として活動を始めた。「どんな映画が良いんだろうか」と日々悩んでいたこともあり「昔から知っている監督の映画にどうすれば出演できるんだろか」と考える日々。そこで「Engawaの作品では、僕に限らず他のメンバーも編集作業を見て、もっとこうした方がいいんじゃないか、と話し合っている」と皆が対等の立場にあり「偏りがなくバランスが良かった。特に今作の場合は喧嘩もせず上手くいったかな」と納得している。若松組の『止められるか、俺たちを』に出演したことで「他の現場では感じない特殊な熱量があった。限られた状況の下でどれだけ出来るか、熱量がないと勝てない。2018年頃の段階で出会ったことで、現場にいた若い俳優達はすごく刺激を受けたんじゃないかな」と思い返す。若松組の常連でもある大西さんとしては「若松監督に限らず、様々な先輩方から自分が教わったことや感じたことを自分よりも若い皆に伝え、彼らが後に年長者になって、若い役者に伝えていくように循環して受け継いでいくことが大事なんじゃないか」と案じている。
今回、プロデューサーである毎熊さんは一連の仕事を経験し「大変だな、と。これを仕事にしているマネージャーさんは凄いな。もし何らかの問題が起きたら、全責任を負うことになる。知識がないと出来ない。今回、自主配給の方法も先輩に教えてもらったり、誰かに助けてもらったりしながらやっていますが、この映画について全てをやりきり、もう一度やりたいと思うかどうか、まだ分からないですね」と本音を告白。林監督は、毎熊さんをプロデューサーとしては捉えていないようだが「監督の弱点は、自分の映画の初見がないこと。初見の意見は、お金を払っても聞きたい。お世辞は要らない。毎熊くんの言葉は、何が言いたいか凄く分かる」と信頼している。「多くの人に知られるまでは、なんとしてでもお客さんを入れながら、小さな灯が消えないように、火が焚き火のように安心して燃えるまでは頑張ってやりたい、という気持ちが伝わってくる」と感謝しており「本来は浴びるべき批判のようなものも、毎熊君が盾のようになってやってくれている。それができるプロデューサーはなかなかいない」と率直に伝えた。あくまで俳優業がメインだと話す毎熊さんは監督を担うつもりはなく「良い監督や脚本家を沢山知っているので、撮りたかったり出演したかったりする作品があれば、それらを整理したうえで俳優として活動する方が向いているのかな」と謙遜し「主演する立場、プロデューサーの立場、監督の立場はかなり違う違う気がする。それを同時にやろうとしたら混乱するかもな。器用じゃないので」と俳優としての真摯な姿勢が伺えた。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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