Now Loading...

関西の映画シーンを伝えるサイト
キネ坊主

Now Loading...

関西の映画シーンを伝えるサイト
キネ坊主

  • facebook

山﨑博昭さんと過ごした方達と出会い、激動の時代をどう受けとめて生きてきたのか聞いてみたい…『きみが死んだあとで』代島治彦監督に聞く!

2021年5月27日

1967年の第一次羽田闘争において18歳で死去した山﨑博昭さんを取り巻く人々を中心に、学生運動が激化していく当時の青春と悔いを捉えたドキュメンタリー『きみが死んだあとで』が5月28日(金)より関西の劇場でも公開。今回、代島治彦監督にインタビューを行った。

 

映画『きみが死んだあとで』は、1967年の第一次羽田闘争で亡くなった18歳の青年を取り巻く人びとを取材し、激動の時代の青春と悔いを描いたドキュメンタリー。1967年10月8日、当時の佐藤栄作内閣総理大臣の南ベトナム訪問を阻止するための第一次羽田闘争。その中で、18歳の山﨑博昭さんが死亡する。死因は機動隊に頭部を乱打された、装甲車に轢かれたなど諸説あるが、彼の死は若者たちに大きな衝撃を与えた。山﨑さんの死から半世紀以上、彼の同級生たちや当時の運動の中心だった者たち14人が語る青春の日々とその後の悔恨。彼らが年齢を重ねる中、山﨑さんだけが18歳のままという思いの中、あの熱い時代はいったいなんだったのかが語られていく。監督は『三里塚に生きる』『三里塚のイカロス』の代島治彦さん。

 

1958年生まれの代島監督。第一次羽田闘争があった時は9歳であり「少し上のお兄さんやお姉さんがおもしろいことやっているな」と、小学校高学年から中学校の頃にかけて印象に残っていた。当時は、音楽シーン等が変わっていく時期であり、シンガーソングライターが登場してきた頃。学生運動が盛り上がってくる状況をおもしろがり「団塊の世代や全共闘世代の方は格好良いお兄さんやお姉さんとして見ていた」と振り返る。あさま山荘事件や連合赤軍が起こした事件が起きた頃は中学校2年生で「思春期だったので、凄くショックを受けた。一体なんなんだろう、なぜ同志殺人まで起こすんだろう」と、意識が強くなり、高校時代には「全共闘運動とは何だったんだろう」と本を読んでいた。「これから、どんな青春時代を送るんだろう」と考えながら影響を受けており「実際に彼等と出会って、リアルにあの時代をどう受けとめて生きてきたのか聞いてみたい」という意識も芽生えてきた。

 

今作の取材では、山﨑さんの同級生達や当時の運動の中心だった者達14人に伺い、快く前向きに話してもらっている。だが1人だけ取材を断った方がいた。山﨑博昭さんとは高校時代の親友で、共に京都大学に進学し、同じ時期に中核派に入って共に活動して10月8日の弁天橋へ一緒に向かい、弁天橋の上で山﨑さんが殺される時に一番近くにいた人物である。弁天橋での闘争が終わった後に中核派を辞めており、仲間からも遠く離れ、就職して以来ずっと山﨑さんのことを封印して今まで生きてきた。山﨑さんの一番近くにいたので「もし話してもらえれば、今まで誰も知らなかった事実も表に出てくるだろう」と期待していたが、断られており「一生封印して終わるんだ、という気持ちも分かります」と納得している。

 

撮影は、全体で90時間程度に及び、取材した14人それぞれの山﨑さんとの思い出と山﨑さんが死んだ後の人生を聞いていった。そこで山﨑博昭さんに関わる部分と学生運動の部分だけで作品を作ってみると、最初は4時間半程度に及んだ。更に短くしていき「本当はもっと短くしなきゃいけない。もう少し削ぎ落とすことも出来るかもしれない」と考えたが「生前と死後で上下巻構成に出来るのであれば、この長さでもいいのかな」と3時間20分に落ち着いた。なお、90時間のインタビューを全て書き起こしており「1人1人の書き起こしを捲りながら、それぞれの繋がりが分かり、物語が見えてくる。ストーリーをすすめながら、飽きずに観て理解して何かを感じられることを確認しながら、最後まで繋げていける」と作品全体のストーリーを明確にして仕上げたことには自信がある。なお、観る方の世代によって本作の受けとめ方が違うことを認識しており、寄り道はせず構成はシンプルにしてリアルな言葉を直球で並べて作り上げた。また、言葉の編集が終わり、全体が繋がった際には「皆の様々な話を聞いている私はどんな立場で、どういう気持ちで今作を作ったのか宣言しないとずるいだろう」と考察すると共に「山﨑博昭さんを18歳のまま甦らせ、彼が見ていた時代を印象づけたい」と検討。「弁天橋の山﨑博昭さんが亡くなったあと、彼は現代の流れをどう見ているかな」と鑑み、本作の冒頭では代島監督自身が体を張ったシーンが盛り込まれている。

 

なお、音楽は、今作で代島監督とは4作目となる大友良英さんが担当。監督より1歳下の1959生まれであり「私とほぼ同じ時代に同じような複雑な感情で上の世代を見ていた」と認識しており、作品を観てもらい、電話で打ち合わせをしながら具体的な音楽を決めていった。「代島さんはどんな思いで作ったの?」と問われ、説明しながら「上の世代に対して愛憎半ばな気持ちを持っている。凄く憧れた時があれば、失望した時もあった。僕もあの先輩達に対して恨みを持っている。なぜ時代をしらけさせたのか、なぜ失敗したのか聞いてみたい。そういう思いを音にしてくれれば。格好良いだけではなく、複雑な葛藤を抱えた気持ちが出てくる。それは18歳で亡くなった山﨑博昭さん自身の気持ちや葛藤と重なってくるかもしれない」と伝え、音楽を制作してもらった。

 

出演して頂いた方々に本作を鑑賞してもらっており「彼等も、どういう映画になるか心配だったと思う。だが、皆さんが良く受けとめてくれた。この映画に対して、これは…という方は一人もいなかった」と明かす。監督自身もホッとしながら「今まで自分達の世代の中でしか語られてこなかった山﨑博昭さんや当時の物語がもっと広く様々な方が観て感じてもらえる作品になったな」と手応えを感じている。

 

映画『きみが死んだあとで』は、5月28日(金)より京都・烏丸の京都シネマ、5月29日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場で公開。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

Popular Posts