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今観るべき憲法映画はコレだ!『誰がために憲法はある』井上淳一監督と白井聡さんを迎えトークショー開催!

2019年4月30日

芸人の松元ヒロさんが長年演じ続けている日本国憲法を擬人化した語り芸『憲法くん』を基にしたドキュメンタリー『誰がために憲法はある』が全国の劇場で公開中。4月30日(火)には、本作を手掛けた井上淳一監督と思想史家・政治学者の白井聡さんを迎え、トークショーが開催された。

 

映画『誰がために憲法はある』は、芸人さん松元ヒロさんが舞台で演じ続けている1人語り「憲法くん」をベースに、日本国憲法とは何かを改めて見つめなおすドキュメンタリー。戦後35年目にあたる1980年、初恋の人が疎開先の広島で原爆により亡くなっていたことを知った女優の渡辺美佐子さんが中心メンバーとなり、ベテラン女優たちと33年にもわたり続けてきた原爆朗読劇が2019年で幕を閉じる。鎮魂の思いを込めて全国各地を回り公演を続けてきた女優たちのそれぞれの思いが語られるほか、日本国憲法の大切さを伝えるために日本国憲法を擬人化し、松元ヒロにより20年以上も演じ続けている1人語り「憲法くん」を、2019年で87歳になる渡辺美佐子さんが、戦争の悲劇が二度とこの国に起こらないよう、魂を込めて演じた様子が収められている。

 

上映後、井上淳一監督と白井聡さんが登壇。現在の状況を鑑み、熱い議論がトークが繰り広げられた。

 

まず、白井さんは、井上監督が、何故この映画を撮ったのか聞いてみたかった。井上監督は「安倍政権になってからの無茶苦茶ぶり、特定秘密保護法案に始まり、マイナンバー、集団的自衛権行使の容認、共謀罪。全て反対の声があるのに国会で大した熟議もない。絵空事のように議論をかみ合わないような意図をするかのような空疎な言葉の数々と数の論議で押し切られている」と現在の国政を指摘。さらに「森本・加計問題があろうが忖度辞任があろうが統計不正があろうが、選挙に勝ち続け、遂には自公維新の改憲勢力が3分の2を占めて、いつでも国会発議ができるようになってしまった」と鑑みた。従来のロードマップでは2020年に国民投票を予定していたが「”ワイルドな憲法論議”と、油断も隙もない」と呆れるばかり。そこで「映画で何もしなくていいのかという思いが大きかった。演劇では頑張っているし、ヨーロッパや韓国、アフリカや中央アジアの映画でもあるし、最近はハリウッド映画ですら社会と向き合っているのに、日本だけは一部のインディーズのドキュメンタリー以外は何もやっていない。恥ずかしいことではないか」と手を挙げた。

 

井上監督の師匠は若松孝二監督。いつも「お前は何に腹が立っているんだ。映画監督になりたいだけなのか。それとも映画が撮りたいのか」と言われ、後年の若松監督から「俺は映画を武器に世界と戦っている」と聞いていた。若松監督亡き後には「僕はどうやって憲法を撮るべきか」と思いを募らせていく。当初は「『自民党に馬鹿にされているのはお前らだよ』という映画にしようと、自民党の改憲草案を映画にしよう」と計画を明かしながら「やっていることは滅茶苦茶で、国民主権の縮小、基本的人権の尊重の軽視、戦争放棄の放棄という三本柱が書かれている」と解説。そこで「1947年に中学生の副読本として『あたらしい憲法のはなし』があったが、『あたらしい憲法草案のはなし』という本が自民党から出版された。中学生でも分かるように自民党の改憲草案を説明しながら”あなた達に主権と与えすぎちゃったから、ちょっと戻してね”と云っている。それを映画にして気持ち悪い作品になれば」と画策した。だが「お客さんに”なるほど”、と思われたらどうしようか」と困惑。そこで、偶然にも、松元ヒロさんが「憲法くん」という絵本を読んで驚いた。「憲法を擬人化することは、アメリカやイギリスのコメディアンがやっていない世界唯一の発明。なぜヒロさんがやったのか」と感心し「僕達の作る規模の映画は届く人にしか届かない。価値観を揺さぶるべき人達に届かない。ヒロさんも地方をまわりながら、届く人にしか届いていなかった。『憲法くん』は平易な言葉で基本のキを届かない人、子供が観ても届くように作っている」と感銘を受けた。そこで映画にするなら「戦争を体験し、いつ人生が終わるかもしれない人に演じてもらったら意味がある。何人か候補がいたが、渡辺美佐子さんに出て頂くことになった」と企画を進めていく。シナリオが決まり、渡辺さんに12分の台詞にも応じて頂いた。だが、自民党の憲法草案を用いてシナリオを書き熟読してみると「こんなつまらない内容で作品になるはずがない。逆に『憲法くん』まで殺してしまう」と受けとめ、一度は台本を捨てている。とはいえ、渡辺さんには台詞を憶えて頂いたので『憲法くん』は昨年に撮影を終えた。12分間の『憲法くん』だけでは公開できないので内容を考えていくなかで、紆余曲折を経て、本作全体の撮影に至った。

 

現在の状況に対しての憤りは白井さんも理解でき、井上監督の思いを共有していく。だが「井上監督が若松監督の弟子であることを踏まえると、仕上がった作品がいわゆる護憲的作品におさまっているのはなぜか」と違和感を抱いた。井上監督は「映画に出来ることは、はじめの一歩でもいい」と考えている。中学生の頃に、『ひめゆりの塔』や広島の原爆に関する映画を観た当時は「被害者映画じゃないか」と心のどこかどこかで思っていた。加害の問題に対しては、監督作品の『戦争と一人の女』で戦争加害と天皇の責任問題だけを扱った。監督自身の根本としては「憲法を変えるべきところは変えなきゃいけないんじゃないかと思います。僕は昔から改憲派です。実は護憲派が云っていることこそが、実は改憲派だったんじゃないか」と考えがある。

 

政治学者の白井さんは「平成が始まり、1990年代は、村山談話や河野談話が出て、自民党政権が崩れたこともあるなかで、グローバリゼーションが云われ始めて、どうやってアジアの中に日本が着地していくのか、経済界も含め、あらゆる世界で問われるようになった。そんな文脈の中に村山談話や河野談話があった。反発も右派側から出てきたが、紆余曲折ありながらも、歴史認識問題も乗り越えていけるだろうと雰囲気があった」と説く。さらに「2000年代になり、状況も大きく変わり、加害問題に日本が向き合えるようになったはずなのに、現実は逆の出来事が起こっている。例えば、朝の連続テレビ小説では戦争加害を匂わせる表現はどんどん減っている。空襲被害すら詳しく出来ず、クレームの可能性がある。リアリティがない。政治的但しさ、ポリティカルコレクトネスの範囲内で進んでいるが、実態としてはおかしなことになってきている」と呈する。そこで「感じざるを得ないのは、現在の日本国民は、全般として、このような崇高な思想に全く値しない。現実と理想がかけ離れていくばかりで、解離を縮めたい努力が行われない」と断言した。これを受け、井上監督は「その怒りに関しては僕も同じです。お前らが馬鹿にされているんだよ。なぜ自分が馬鹿にされているのに気づかないんだ」と共感。その一方で、映画を撮るにあたり「観てくれた人の価値観を揺さぶること。人の総体が世の中ならば、究極に言えば、世の中を変えることが映画を撮ること。白井さんが暴言を言おうが、本を読んだ人がせめて変わってくれれば意味がある」と期待を示す。

 

現在の状況を鑑みた白井さんではあるが「かつての酷い戦時中の国内統制は凄まじく、そのなかで人々は情けなかったと思わざるを得ない。だが、その中でも例外的に立派な人がいる。その人の生き様や死に様を知ると我々は感動する」と述べ「現在の日本人が存在し続ければ、未来で『この時代の日本人は本当に酷いな、でもちゃんとした人もいたんだな』と思ってもらえる」と提言する。井上監督も「僕は子どもはいないけど『お父さん、あの時、何をやってたの?』と云われないように生きたい」と表した。白井さんは、映画による表現方法について「どうにか伝わらない人に伝えていくことが出来る。価値観を揺さぶられる様な経験をさせる」と考えており「そのための戦略を発展させていくか重要」と訴える。これを受け、井上監督は「現在のハリウッド映画は全盛期だと思うが、911の時、10代後半から20代前半だった若者が作り手の中心になっている。彼らは力の行使は正義の行使ではないことを徹底して学んだ」と挙げた。

 

白井さんは、今作は対し「いかにして、あの戦争と、そこから生まれた憲法の価値を後代に伝えていくか。その姿が焼き付けられます」と述べ「深刻なのは、若い後継者が出てきそうにない。この状況をどうするのか」と鑑みる。これを受け、井上監督は「それは個々の自覚でしかない。このタイミングで憲法映画にお客さんが来てほしい。今見れる憲法映画はこれだけ」と訴え、本作へのさらなる周知を呼び掛けていた。

 

映画『誰がために憲法はある』は、大阪・十三の第七藝術劇場と京都・烏丸の京都シネマで公開中。また、神戸・元町の元町映画館でも近日公開予定。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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