気軽に家族の話ができるようになれば…『沈没家族 劇場版』加納土監督に聞く!
加納土監督が大学の卒業制作として発表した、監督の実母が始めたユニークな共同保育“沈没家族“を紐解き、“家族のカタチ“を見つめ直すドキュメンタリー『沈没家族 劇場版』が、5月18日(土)より関西の劇場でも公開される。今回、加納土監督にインタビューを行った。
映画『沈没家族 劇場版』は、1990年代半ばに共同保育で幼少期を送った加納土監督が、自身の生まれ育った場所での生活を振り返るドキュメンタリー。加納土の母親はシングルマザーのため、自分が家にいない間、幼い息子を代わりに保育してくれる人を募集し、彼女が撒いたビラを見て集まった大人たちによって共同保育がスタートする。子どもたちの面倒を見ながら共同生活を送る保育人たち。この取り組みは「沈没家族」と名づけられた。大学生になった加納土は、自身が育った「沈没家族」、そして家族とは何なのかとの思いから、かつて一緒に生活した人たちをたどる。母の思い、そして不在だった父の姿を追いかける中で、家族の形を見つめなおしていく。加納監督が武蔵大学在学中の卒業制作として発表したドキュメンタリー映画を劇場版として再編集等を施して公開。
まず、インパクトがあるタイトルが気になってしまう。これは、監督の母親である穂子さんが共同保育で子供を育てようと始めた時、一緒に保育で関わっていた人達と偶然テレビを観ていた時に遡る。保守系の政治家が「男は働きに出て、女は家にいるという価値観が失われている。男女共同参画が進み、シングルマザーが増えている。こんな状況だと日本は沈没する」と云った。この発言を聞いた穂子さんは「そんなことで沈没するなら、沈没しちぇよ」という皮肉を込め、共同保育の取り組みを「沈没家族」と名付ける。加納監督も「映画のタイトルにとして見た時もカッコいい」と思い、本作のタイトルに採用した。
本作は、加納監督が通った武蔵大学の卒業制作として発表した作品である。社会学部メディア社会学科に所属していた監督は、ジャーナリズムやメディア社会学を学び、ドキュメンタリー制作ゼミに入った。なお、雑誌を作ったり、ジャーナリズム的な取材をしたりする学科だったが、ゼミでは、ドキュメンタリーや映像のイロハを教わっていない。最初の企画段階では、ゼミ内でも「それは何なんだ」という反応だった。「沈没家族」の説明からしないと理解してくれない。「家の中に知らない大人がいる、保育園の迎えに父親や母親以外の人が来る、というのは考えられず、ビックリしていた」と回想しながら「自分にとっては当たり前の環境だったけど、他の人達は全く知らない。それ程にビックリするような環境なんだな」と実感。また、大学でセルフドキュメンタリーを撮った実績は無かったので「セルフドキュメンタリーでありながら、沈没家族という題材や共同保育の内容がドキュメンタリーとしても興味深い」と担当教授も応援してくれた。
完成した卒業制作版は、2017年のぴあフィルムフェスティバルで審査員特別賞を受賞する。審査員からは「共同保育で育った子が大きくなり、カメラを回して会いに行く時点で貴重な内容である。沈没家族という試みが世の中にあって肯定していることを映画として発表することに価値がある。ゆるりゆらりと接している雰囲気がおもしろい」コメントを頂いた。とはいえ、予備審査員からは「監督が1人1人に会った時の状況を聞いた時、それを受けてどう思ったのか見えてこない」という感想も多くあり「劇場版では、その要素を意識して多く取り入れている」とさらなる編集を行っている。
劇場版を制作するにあたり、加納監督は、改めて、お世話になった方に会って話し、カメラに収めていく。卒業制作版では、社会学部の研究対象としてアーカイブ的に撮ろうとしており、沈没の変遷を聞き取り調査した。劇場版では、調査した結果を受けてどう思ったのかをアウトプットしており「沈没家族がどのようにうごめいていたのかを紹介すると同時に、様々な意見を伝えている。後半では、血の繋がりを絶やせない父親とどうやって向き合うか」と熟考し、父親を撮ることで沈没を立体的に見せていく。
特に、劇場版で印象に残るのは、父親との対峙である。加納監督は父親と沈没家族や穂子さんとの関係について話したことがなかったので、卒業制作の作品として当時の話をしたいとオファー。「そういうのは話したことがない、いい機会だね」と承諾してもらった。お互いに当時の話をすると意識した上で会ったので、緊張していたが「不意に父親が声を上げた際には、僕自身もビックリした。フジテレビによるドキュメンタリーを観て、彼は思い出が甦ってきたのではないか。僕も父親の発言内容によりパニック状態に陥り、感情のバランスが崩された」と、現在は冷静に振り返っていく。父親とは一度も意思を以て話していなかったので「その場にカメラがある中で、腹を割って話せて良かった。父親は、カメラを向けられて、さらに興奮しているだろうけど。僕はカメラを持ったことで強く言える意識まではなかったけど、撮っている意識は無かった」と、父親と対話している素の状態を分析した。
東京の劇場では先月より公開されているが「それでいいんだ。肩の荷が下りる。ホッとする」と感想を貰っている。加納監督は「僕が家族に対して、良い意味で、執着していない。たまたま集まって、こんな風に育ったことをゆるりとした雰囲気を強めて撮っている」と素直に話し「自分の家族を語っていいんだ。自分と家族を繋げなくても語れるようになった」という感想も多かったことを加えた。「家族の話を積極的に人に話そうとは思わないし、人に家族の話を聞くのもタブー」と冷静に考えながら「気軽に話せるようになったと聞くと嬉しいですね」と喜んでいる。
公開された劇場版を観た穂子さんの様子について、加納監督は「恥ずかしいですよね。ほぼ主演で、自分の生活が映っているので、中立な立場で観れない」と受けとめている。だが「映画制作を通して、保育人と再会できたので『ありがとう』と云っている」ことも伝えた。父親は卒業制作版を観ており「映画に移っている自分をフィクションとして割り切って観ているので、怒ってもいない。客観的に観て笑っていた」と怖がりながらも、驚いている。
なお、劇場版では、MONO NO AWAREが主題歌や挿入歌を担当した。Vo.の玉置周啓さんは加納監督が通った高校の中の良い先輩である。卒業制作版を観て、おもしろいと思ってもらった。劇場版にあたり、MONO NO AWAREに楽曲を依頼。「挿入歌は歌詞が入ってくると思っていなかったので、ビックリしたが、ピッタリの曲だな」とお気に入り。
これまでの過程を振り返り「様々な方に関わってもらって映画が出来上がりました。最初に一人だけでカメラを回していた映画が、ここまでの規模になるとは思っていなかった」と顧みる。沈没家族や穂子さんについて「観た方にとっては凄いことなんだ、と世に出して気づいた。だからこそ劇場公開に至ったんだな」と感謝の気持ちを表していた。
映画『沈没家族 劇場版』は、5月18日(土)より、大阪・十三の第七藝術劇場で公開。また、7月20日(土)より、京都・出町柳の出町座、神戸・元町の元町映画館でも近日公開予定。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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