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人間の心の中に潜んでいる悩みや葛藤が過激な行動を生み出していく…!『ばるぼら』手塚眞監督に聞く!

2020年11月13日

異常性欲に悩まされている小説家が、奇妙な魅力を放つ謎の少女を連れ帰り、彼女の妖艶な雰囲気に翻弄されていく様を描く『ばるぼら』が11月20日(金)より全国の劇場で公開される。今回、手塚眞監督にインタビューを行った。

 

映画『ばるぼら』は、手塚治虫さんが1970年代に発表した大人向け漫画「ばるぼら」を、稲垣吾郎さんと二階堂ふみさんのダブル主演で初映像化した実写作品。手塚治虫さんの実子である手塚眞監督とウォン・カーウァイ作品で知られる撮影監督クリストファー・ドイルがタッグを組み、愛と狂気の寓話を美しい映像で描き出す。異常性欲に悩まされている耽美派の人気小説家・美倉洋介は、新宿駅の片隅で、酔っ払ったホームレスのような少女ばるぼらと出会い、自宅に連れて帰る。大酒飲みで自堕落なばるぼらだが、美倉は彼女に奇妙な魅力を感じ追い出すことができない。彼女を近くに置いておくと不思議と美倉の手は動き出し、新たな小説を創造する意欲が沸き起こるのだ。あたかも芸術家を守るミューズのような存在のばるぼらだったが…

 

「ビッグコミック」で1973年から1974年にかけて連載されていた『ばるぼら』を当時12歳の手塚眞さんはリアルタイムにおもしろく読んでいた。手塚家では、父親の手塚治虫さんがが描いた漫画は家の中に置いてあり、誰でも手に取って読める状態。子供が読んではいけないような雑誌も普通に置かれており、読んでも怒られなかった。手塚監督は「大人向けのものを読んでいたので、子供向けに書いた漫画をあまり読まなかった。あくまで子供が読むものであり面白くない、と思っていた」と当時を振り返る。

 

今から5年前、次作について検討していた時に「次は大人向けのファンタジーを作りたい」と思い立つ。大人向けならば「ある程度はエロティックなシーンや思想を含めた作品。テイストとしては、日本映画なんだけども、外国映画のようなテイストの作品が作れれば」と構想し、『ばるぼら』を思い出し「これが原作だと出来る」と直感。改めて読み返してみると、作りたいと思える要素が詰まっており、企画に着手していく。特にプレッシャーは感じておらず「『ばるぼら』は、有名な作品ではない。自分の好きな作品なので自由に出来る」とワクワクしていた。また、音楽について「今回はジャズでいこう」と最初に思いつく。作品が放つ空気感を考慮すると「時代を超えたような雰囲気を見せたかった。また、原作が書かれた1970年代を現代に置き換えているが、当時の雰囲気を少しでも感じられれば」と念頭に置き「ジャズがいいんじゃないか」と閃いた。音楽を担った橋本一子さんは元々ジャズピアニストでもあり「1950~60年代のジャズにしてほしい。フリージャズも入れてほしい」と依頼し「日本で一番しっかりと出来る方でもあるので躊躇なくやってもらえた。見事にハマった」と満足している。

 

なお、大人向けのファンタジーであるが「内容がかなり露骨な部分がある」と認識しており「品よく作ろう」と心がけた。「品のある俳優さんに演じてもらう方が良い」と考え「稲垣吾郎さんは様々な作品に出演しているのを観ており、共に仕事をしてみたかった。品もあるしルックスも素敵だ。また、気取ったように見えるところもある。陰があり、インテリジェンスな部分も感じさせる。スターなんだけど、スターらしくない」と主人公を演じるにはピッタリのキャスティング。「撮影現場でも誠実に接してくれていた。尚且つこの役を楽しんでくれていた」と実際の印象も良く「過激な役を演じることも含め、よく理解して演じて頂いた」と感謝している。「原作自体に意外性があるので、映画でも様々な意味で意外性があるとよい」と捉えており「僕が『ばるぼら』を選ぶことに意外性があり、稲垣さんが主人公を演じることに意外性がある。まさに『ばるぼら』の世界」と自信があった。

 

撮影現場は緊張感があったが、和気藹々とした空気に溢れ「必要以上に緊張しないで、皆がリラックスした状態の中で俳優さん達も演じられた」と一安心。二階堂ふみさんは、ばるぼらを体当たりで演じており、手塚監督は「女性にとって酷なシーンがあり、吹替の女優や人形を使うことも当初は想定していた」と告白。だが、二階堂さん本人から「全て自身で演じたい」という申し出を受け「彼女の気持ちを汲み取り一任しました」と明かす。結果的に、演出について悩まず「スタッフはセクシャルな場面について理解し緊張感があった。なるべく二人が演じやすい状況を作ろう」と心がけた。なお、二階堂さんの存在感について「彼女自身がばるぼらみたい」と受けとめており「特に演出していない。ほぼ自由に任せていました」と打ち明ける。二階堂さんから「今まで自分が役を演じる時は考えていたけど、考え過ぎてしまっていた。今回は、考えないでやりたい。衣装を着てカメラの前に立ったら自分自身の感覚に任せたい。計算などせずに演じてみたい」と聞き、演技について一任し「最初の撮影から雰囲気があった。稲垣さんとも空気が合い、二人を自由に演じさせた。ばるぼらの不思議な厚みや人間臭い部分を含め、彼女が表現してくれた。僕は振る舞う場所を指示する程度で自由に演じてもらった」と信頼を寄せている。

 

異常性欲に悩まされている主人公の美倉について「初めから異常なことをしているというより、自然にやっていたら実は違っていたと後で幻覚を見ていたと気づく。本当は異常性欲ではない。正常な性欲だけど判断が間違っている」と手塚監督は説く。原作では、美倉本人が「私は異常だ」と気づいて言ってしまう。「人間は、自意識の中で『自分はおかしいんじゃないか。他の人とは違っているんじゃないか』と悩むと同時に、客観的に見ているもうひとりの自分がおり、その間を揺らめきながら生きている」と述べ「たとえ職業が作家じゃなくとも、或いは、普通の仕事をしていても『周りと私は合わないんじゃないか』ということは日常の端々にあり『自分は正しいのか、おかしいのか』とふと頭をよぎる。映画では、誇張されて恐ろしいドラマになっている。人間の心の中に潜んでいる悩みや葛藤が具体的な形になると、過激なシーンになるだろう」と認識した上で、本作では表現している。ラブシーンの表現についても「今回は品のある美しいものにしようと気を遣っている。カメラマンのクリストファー・ドイルさんも美しくしようと思っていて、俳優達も美しい方が良いと思っている」と皆の気持ちを汲み取り「今回は過剰に美しいのが良い。映画ならではの表現。2人の描写はロマンティックなものにしたかった。2人でいる時はこの世のものとは思えないぐらい別世界に自分たちは行ってしまった、と思うぐらいの状態を作り出そう」と思いを込め、美的表現を極めた。また、2人に寄り添う音については世界中の音を混ぜて作っており「雑踏の音や人々の話し声、車の音など実際の新宿にある音を使いながら、様々な国の音を混ぜることで独特な世界を感じられる」と解説し「おとぎ話のようなストーリー。あまり場所や時代を特定せず、イメージを開放してみてほしい」と願っている。

 

本作を制作するにあたり、現代社会に対して「世の中が全てデジタル化してしまっていて、コロナ禍の前からリモートになっていた。インターネットを通じてしかコミュニケーションがとれない。スマホだけでやり取りしている。相手に会わないで関係が作られていってしまう」と不満があり「もっと人間同士が触れ合うことを感じていってほしい」と切望していた。故にラブシーンは丁寧にしっかり描いており「体の触れ合いや人の関係を映画に出来たので、タイミングが良かった」と現在の状況については前向きな姿勢だ。本作についても「原作者の手塚治虫自身が自分の中の夢の部分と理屈の部分の間にある葛藤から出来上がっているんじゃないか。全てを説明的に理解しようと観るのではなく、イメージに対して心を開いて観てもらえると今までと違う映画体験が出来るのではないか。挑戦的な映画ではありますが、そこも含めて楽しんでもらえたら」と期待している。なお、『ばるぼら』はアーティスティックな内容であり観念的なものも含めて映像化しているが「基本的に手塚治虫の原作はエンターテインメント。次に挑戦するとしたら、思い切りエンターテインメントにやってみたい」と展望。とはいえ、監督ならではの哲学や思考があり「作風が変わってしまうことはない。エンターテインメントをやるという前提で原作を選べば違うものを選ぶ。『ばるぼら』のテイストとは違った作品を作り上げる」と挑戦は止まらない。

 

映画『ばるぼら』は、11月20日(金)より全国の劇場で公開。

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映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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