現実で起きている事実が想像を超越してきた時にドキュメンタリーは一番おもしろくなる…『カナルタ 螺旋状の夢』太田光海監督に聞く!
アマゾン熱帯雨林に住む先住民族に密着したドキュメンタリー『カナルタ 螺旋状の夢』が関西の劇場でも11月19日(金)から公開。今回、太田光海監督にインタビューを行った。
映画『カナルタ 螺旋状の夢』は、ひとりの日本人男性がアマゾンの熱帯雨林に1年間滞在して撮りあげたドキュメンタリー。イギリス、マンチェスター大学で映像人類学の博士課程に属していた太田光海監督は、卒業制作のため、エクアドル南部のアマゾン熱帯雨林に暮らすシュアール族のもとを訪れる。太田監督は、部族の知恵を受け継いで森で薬草を発見して回るセバスティアンと、初の女性村長であるパストーラ夫妻の家に住み込みながら、彼らの日常を1年間にわたって記録。生と死が渦巻き、過去と未来が交錯する現代の森に生きるアマゾン先住民の姿を描き出す。
英国のマンチェスター大学で、映像人類学を学んだ太田さんは、卒業制作にあたり、エクアドルに行くことを決心。人類学の同僚や友達に決意を話していく中で、エクアドルに知り合いがいる方に遭遇する。現地の友人2,3人を紹介してもらい、エクアドル現地に到着後、実際に会っていき「アマゾンに行きたいけど、知り合いはいないですか?」と聞いて回った。アマゾンと直接のつながりはないが、アマゾンを知っているかもしれない人を紹介してもらい、その方に会っていくことを繰り返していっており「自分の人脈を使いつつ新しい人に出会って…と3,4回繰り返すと意外とつながるもんなんです」とあっけらかんと話す。現地には、元々シュアール族の人で、村で育ったけども現在は都市で生活している人がおり「映画を撮りたいことや興味があること等について話すと、そういうことなら紹介できる人がいるから一緒に村に行こう、とガイド料を払い連れていってくれた」と明かす。なお、エクアドルの公用語はスペイン語で「彼らもスペイン語は通じる。スペイン語で話しつつ、彼らの言語についても知りたかった。現地でシュアール語を学んでいました」と説くが「教材はないので、文法構造から自分で発見していくしかない」と果敢に取り組んだ。
イギリスで学ぶ前にはフランスのパリに住み、様々な種類の映画を鑑賞しており「エクスペリメンタルな作品から、アプローチが普通じゃないドキュメンタリー、インスタレーションアートのようなもの、ありとあらゆるジャンルの作品を観ました。映像はおもしろいな。様々な手法があり多様性がある」と発見。さらに「ドキュメンタリーにも様々な表現方法がある」と気づき「僕にとっては現実がおもしろい。起きている事実が想像を超越してきた時に一番おもしろくなる。劇映画ではどれほど奇想天外な物語でもフィクションの枠に収まってしまう。ドキュメンタリーにおいて、現実があまりにも奇想天外だと青天井、どこまで現実が突き抜けていくのか」という感覚になることを惚れ込んだ。本作の撮影にあたり、1年間の現地滞在となり「ドキュメンタリーにフィクション的要素は排除する必要はない。全てのインスピレーションをぶつけて良い映画にしたい」と撮りたい映像についてイメージは漠然とあった。また、シュアール族が用いていたアヤワスカと呼ばれる幻覚剤に興味を持ち「彼らにとって、この世界とつながるための重要な媒介になっている」と事前に研究書を読みながら考えており「もし可能だったら、彼らが接種している現場を映像に撮れたらいいな」と期待していく。だが、不確定要素が多く実現できるか分からず「彼らの絵面が良いという基準だけでなく、彼らの森との繋がりや関係の打ち立て方を垣間見れる映像をとにかく撮りたい。彼らにギリギリまで近づいて親密な中で撮りたい」と優先事項を踏まえ、撮影に挑んでいる。
だが、アマゾンでの撮影は困難を極めており「足場が悪く簡単には歩けない。最初に村を訪れた時、手ぶらで身軽な状態でも全く歩けなかった。あまりにも障害物が多く、道がぐちゃぐちゃで蛇がいつ横にいるか分からない。さらにカメラがあると、注意散漫になる。一歩間違えたら転んで怪我してしまう」と身の危険を感じた。毒蛇に噛まれたら高確率で死ぬこともあり「なぜ逃れられたか。偶然としか言いようがない。アマゾンの自然環境は、湿気や虫などであまりにも圧倒的過ぎた。現地入り直後に電子機器が全てイカれてしまった。機材はアマゾンを想定して作られていない」と痛感させられた。
1年間の滞在期間中、基本的にはずっと現地で暮らすことに重点を置き、撮り貯めた映像は合計35時間のみ。2時間のドキュメンタリーを作るためには少な過ぎる撮影時間だが「状況をセレクトして撮っていた。僕にとって彼等に出来るだけ接近したい。接写だけではなく精神的にも同じような立ち位置にいる状態で撮りたい」と拘りがあった。俳優の役作りと同じだと認識し「彼等と同じことをして同じものを食べたり葉っぱを切ったりしていくと、こういう動作だと一番格好良かったり次の動作を予測出来たり細かいところが理解できる。すると、カメラをどこに向ければよいのか、感覚が磨かれていく」と自らを研ぎ澄ますと同時に「博士論文を書く必要があります。最初は彼等と同じ生活をして共に暮らす必要がある」と自身の課題にも対応していく。
なお、シュアール族の方と打ち解ける段階が必要であり「カメラを向けられても良い相手だと思ってもらうことが大事。その後に、仲良くてもカメラを向けられると恥ずかしくなる可能性もある」と撮影の配慮には余念がない。最初は、カメラの存在によって振る舞いが瞬間的に変わったこともあり「彼等にとっての映画のイメージも少しはある。映像に全く触れてこなかったわけではない」と理解しており「彼等は自分達の社会の中で、先住民の者として期待されているイメージも理解している。まわりまわって先住民の暮らしに対する期待を受けていることも分かっている。期待されている自分の像と本来の自分という狭間で揺れてしまう」と認識。「等身大な普段の姿を撮りたい」と少しずつ伝えていき「彼等もなんとなく理解しながら進めていった。ある時から僕がカメラを回して撮影し始めても誰も何も言わなくなる」と透明な状態になることを心がけていく。そして「とにかく自分の感覚が向く方向に集中しよう」と意識し「彼等と体の感覚を近づけるために同じようなことをしながら、カメラを構えた時は何も考えず自分の思う良いショットを撮ろう」と集中して撮っていった。
撮影を終えイギリスに帰国後、編集作業では全ての映像を見直している。「アマゾンにいる時は見返す時間はない。1人になって作業する時間があまりない」と打ち明け「同時に論文執筆も進める必要があり、映像素材を見ながらタグ付けをしてコメントをつけて、各シーン同士の繋がりを確認していった」と振り返り。映像を見返していく中で出来の良いカットがいくつか発見し「作品に取り入れることが決まると前提にあるシーンも定まりロジックが固まり肉付けしていきました。ラストシーンを決めると同時に一番最初のシーンも決めました」とすんなりと出来上がった。完成した作品を最初に大学の同僚や先生に見せたが「その人達が映画に対して自分と全く違う感覚を持っていたら、信頼している人達から辛辣な評価を受けてしまうリスクが有る」という事態に陥り「彼等は意外と批判的だった。彼等の話を全て受け入れると、必要なシーンが無くなってしまうことに気づいた。自分が何をしたいか、強く持っていないと映画を作る意味すらなくなってしまう」と実感。だが「おもしろい経験でしたね」と姿勢は前向きだ。
今後の作品制作においても「なるべく長時間を現地で過ごして、可能なら言語も現地で学ぶプロセスを大事にしたい」というアプローチは揺るがず「次はアマゾン以外で撮りたい。もっと実験的な映像にしてもいいのかな」とチャレンジ精神は止まらない。映画的な手法についても「どういうショットを考えても違う雰囲気の作品になるでしょう。自分に対して常に変わり続けないといけない」という危機感を持ちながらも「共通しているのは、この世界と自然環境の間で人間が結びうる関係性のディテールに対する興味。そういう場所に惹かれていくのかな」と未来を目を輝かせていた。
映画『カナルタ 螺旋状の夢』は、関西では、11月19日(金)より京都・出町柳の出町座、11月20日(土)より大阪・九条のシネ・ヌーヴォと神戸・元町の元町映画館で公開。なお、11月27日(土)には、元町映画館で太田光海監督の舞台挨拶や小笠原博毅さん(神戸大学大学院国際文化学研究科教授)とのトークイベント、出町座で太田光海監督の舞台挨拶の開催が予定されている。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
- 最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!