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彼女の心はなぜ壊れてしまったのか…女性の人生に当たり前のように潜む困難や差別を描く『82年生まれ、キム・ジヨン』がいよいよ劇場公開!

2020年10月7日

(C) 2019 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.

 

育児と家事に追われ、心が疲弊してしまった人妻の、少女時代からの心の軌跡を描き出す『82年生まれ、キム・ジヨン』が、10月9日(金)より全国の劇場で公開される。

 

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』は、平凡な女性の人生を通して韓国の現代女性が担う重圧と生きづらさを描き、日本でも話題を集めたチョ・ナムジュのベストセラー小説を映画化。結婚を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるジヨンは、母として妻として生活を続ける中で、時に閉じ込められているような感覚におそわれるようになる。単に疲れているだけと自分に言い聞かせてきたジヨンだったが、ある日から、まるで他人が乗り移ったような言動をするようになってしまう。そして、ジヨンにはその時の記憶はすっぽりと抜け落ちていた。そんな心が壊れてしまった妻を前に、夫のデヒョンは真実を告げられずに精神科医に相談に行くが、医師からは本人が来ないことには何も改善することはできないと言われてしまう。

 

本作では、『トガニ 幼き瞳の告発』『新感染 ファイナル・エクスプレス』のチョン・ユミとコン・ユが共演。監督は短編映画で注目され、本作が長編デビュー作となるキム・ドヨン。

 

(C) 2019 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.

 

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』は、10月9日(金)より全国の劇場で公開。

 

観る度に本作が現在社会に投げかける問題の意味を感じさせてくれる作品。最初は「女性にとって困難が多い現代社会を生きる主人公の、少しファンタジックな要素も交えた希望のドラマ」として。再見し「何世代も前から現代まで韓国に根深く存在し、日本でもようやく公に議論がされはじめた、フェミニズムに関して正面から向き合った作品」として。本作の原作と映画に触れる順番で、印象は大きく変わる。「何も知らずに映画を観る」→「原作本を読む」→「再度映画を観る」という流れをお勧めたい。再見後、自身の職場で働く女性達を思い出し、彼女達の見えにくい苦労を想像し、今まで理解の低すぎた自分を恥ずかしく思った。男性目線でのリアクションはどうなのだろうか、と戸惑ったが、キム・ドヨン監督は「妻・娘・母を思い出したという言葉を聞きたい」と語っていると知り、少し安心した。

 

本作を鑑賞する際、心の片隅に留めておくと理解しやすい知識を3点だけ挙げたい。まず1つ目は、キム・ジヨンは33歳の設定である。1982年生まれだと2020年現在では38歳になるが、原作が韓国で出版されたのが2015年なので、当時の年齢が33歳だ。タイトルを聞いて所謂アラフォーの女性の話と思うかもしれないが、ジヨンは「30歳少し過ぎで、結婚・出産・退職したばかり」の人である。本作で描かれる事柄は、勿論20代以前にも40代以降にも重要な話だが、主人公の設定は気に留めておきたい。2つ目は、原作の冒頭で脚注がなされていることとして、韓国では結婚しても苗字が変わらなく別姓のままである。主人公の名前は「キム・ジヨン」、彼女の夫は「チョン・デヒョン」。娘の名前は父型の性を取り「チョン・ジウォン」だが、この命名のくだりについては原作をご確認頂きたい。そして、3つ目は、これも原作本のあとがきで解説されていることとして「デヒョン氏以外の男性の名前」がどう呼ばれているかも、気にしながら観てほしい。

 

なお、目の前が真っ暗になるような絶望の中に置き去りにされる原作のラストとは違い、映画では希望を抱かせる演出になっている。映画も原作もどちらも秀逸なオープンエンドであるが、映画はより希望を全面に出した幕開けだ。観賞後に観た者同士で会話が弾むだろう。本作が提示する課題は、これから私たちが向き合って議論していかなければならない問題である(そしてずっと前から声を上げ続けてきた人々がいることも忘れてはいけない)。デートで観に行っても構わないし、主演俳優のコン・ユのファンだからと、イケメンのビジュアル目当てで足を運ぶのだって全く問題ない。観た後に、エンタメとして消費するだけで終わりにさせない、強いメッセージを発する作品である。とにかく多くの方に、まずは観てほしい。

fromNZ2.0@エヌゼット

 

本作は、”ミサンドリー(男性嫌悪)”を助長させるものでは無い、と言っておきたい。現実の目前に存在する透明な「男女差別」に対し、「一人(個人)では解決出来ないから一緒に(全体で)考えていこう。」と、性別を問わず思考することを促す作品だ。エンドロールが流れ本作が終わっても、私たちの未来は続いていく。これからどう改善すれば、今よりも良い社会になれるのか。「ああ、感動したね、ジヨンがんばってたね」で終わる話ではない。後半にあるジヨンと母ミスクの会話が一番重く心にのしかかる。「あなたは花盛りの頃、兄さんたちを支える為に工場でミシンを回していた」という台詞だけでミスクの過去の立ち位置を誰もが察することができる。

 

鑑賞前には、性別によって本作に対する捉え方が大きく変わるかもしれない、と恐怖を感じていた。観終えた今、最初より気分が遥かに良い。社会から断絶された「母」という役を背負う人物の苦しむ姿を、可能な限り湾曲せず真摯に描いた映画が今まであっただろうか。本作が地に足をつけて映画界(原作である書籍含め)に存在することは大きな意味を持つ。見えなかったものが見えるようになった、世間が見ようとしなかったものを見させるようにキム・ドヨン監督がやり遂げている。映画という媒体が持つ力が十分に発揮されると感じた。

 

本作を鑑賞することで「私の代わりにジヨンが感情を代弁してくれた」というより、筆者自身が人生で感じてきた、言葉にできない様々な性差別による疑問──「女の子はこうしなきゃいけないに、なんで男の子は許されるの?」に名前をつけていくような感覚が得られている。チョン・ユミにしかキム・ジヨンを演じられなければ、夫チョン・デヒョンにはコン・ユ、ミスクにはキム・ミギョンでしか演じれない俳優の力があった。全力で演じていることが伝わるほど、感情をかき乱されたのが確かな証拠である。

from君山

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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