Now Loading...

関西の映画シーンを伝えるサイト
キネ坊主

Now Loading...

関西の映画シーンを伝えるサイト
キネ坊主

  • facebook

人間は限りある命を生きて死んでいく存在である…!『えんとこの歌 寝たきり歌人・遠藤 滋』伊勢真一監督に聞く!

2019年8月4日

脳性マヒにより寝たきりの生活を強いられながら、歌を詠み続けているひとりの男性、遠藤滋にフォーカスした『えんとこの歌 寝たきり歌人・遠藤 滋』が関西の劇場で現在公開中。今回、伊勢真一監督にインタビューを行った。

 

映画『えんとこの歌 寝たきり歌人・遠藤 滋』は、脳性まひで寝たきり生活を強いられながらも介助の若者たちと触れ合い、ベッドの上で数々の短歌を詠む遠藤滋さんの姿を記録したドキュメンタリー。脳性まひのため寝たきり生活を送りながらも、自ら介助者のネットワーク「えんとこ」(「遠藤のいるところ、縁のあるところ」の意)を組織した遠藤さん。ベッドの上での生活は35年を過ぎ、障がいも進行していく中、遠藤さんは50代後半から短歌を詠むようになり、心の叫びを言葉に託す日々を送る。そんな彼と介助者たちの心の交流を通して、ありのままの命を生かし合いながら生きる人々の姿を浮かび上がらせる…

 

現在の「えんとこ」は、谷ぐち順さんがリーダー的存在となっており、パンク系やDJ、ロベルト吉野さん等の音楽関係の方が中心。伊勢監督は「遠藤さん自身はクラシック派だけど、介護者はロック系が多い」と興味深く見ている。この理由について「ミュージシャンにとっては時間に縛られないで働ける」とふまえ「谷ぐち君はそれ以上に介護に関して思いを持っている。理屈ではなく、音楽と介護を通じて人と関わることは近い。えんとこで介護の仕事をしていること自体がセッションのような感覚」だと説く。

 

だが、本編中では介護者の名前等は一切紹介しない。伊勢監督は「TVで名前が表示されていることに慣れているが、本当は、名前を出す必然性がなければ、表示する必要はない」と本質的な課題を挙げる。「観ている人が名前と関係なく、映像物語の中でその人の存在が分かればよい。必要に駆られて字幕を入れること以外は、遠藤さんが話すことを分からないから分ろうとしてほしい」と訴え「映画を受動的に見てしまったらおもしろさの奥行が広がらない。観る人が自分の中で組み立て考えていくことの喜びを奪ってはいけない」と提案していく。

 

ならば、遠藤さんが短歌を詠んでいることは大きな意味がある。伊勢監督も「説明的にならず、文語体に慣れていない人達にも伝わってほしい」と願っていた。「短歌を詠んでいる行程自体がおもしろい。遠藤さんは日本文学科出身の文豪的な人間で、50代になってから短歌を詠み始めた」と明かし「かたや、谷ぐち君をはじめ口語的な人が一生懸命にやり取りしながら短歌の舞台に上っているのは、すれ違いがありながら繰り返していくうちにお互いに関わり合っている」と捉えていた。彼らの光景について「スリリングで力になる。違う存在がすぐそばにいる。必要な存在なので分からなくても関わり合わないといけない」と考えおり、観客にも活き活きとした関係が伝わってくる。

 

今作は、前作『えんとこ』から20年ぶりの続編。元々は「友人の遠藤が頑張っている。僕は応援歌を歌うつもりで映画を作った」と明かす。今作では「自慢に足る友人なので、顔の表情が強調された画が多い。観る人が一様である必要はないので、自分事として映画を受けとめてもらって、次の世代にバトンタッチ出来れば」と願いを込めている。だが、同時に「いつ死んでもおかしくない、と遠藤は考えている」と受けとめていた。もし次を撮るなら「今作以上に死んでしまうということをさらに深めたような映画を作りたい。自分がずっと生きてきて年相応に様々なことを考える。その中に人間が限りある命を生きて死んでいく存在であると描きたい」と願っている。

 

映画『えんとこの歌 寝たきり歌人・遠藤 滋』は、大阪・十三のシアターセブンで、8月16日(金)まで公開中。8月17日(土)からは、京都・烏丸の京都シネマで公開。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

Popular Posts