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忘れられた真の日本が沖縄にある…『岡本太郎の沖縄』葛山喜久監督を迎え舞台挨拶開催!

2018年11月24日

岡本太郎さんと沖縄を改めて彷徨う旅に出るドキュメンタリー『岡本太郎の沖縄』が11月24日(土)から関西の劇場で公開。上映初日には、大阪・十三の第七藝術劇場に葛山喜久監督を迎えて舞台挨拶が開催された。

 

映画『岡本太郎の沖縄』は、日本を代表する芸術家・岡本太郎さんがかつて訪れた沖縄で何を感じ、何を発見したのかを探っていくドキュメンタリー。日本とは何かという答えを求めて日本中を旅していた岡本太郎さんは、まだ米軍統治下だった1959年と1966年に沖縄を訪れて感銘を受け、「沖縄の中にこそ、失われた日本がある」「沖縄で、私は自分自身を再発見した」とまで言い切った。その時の体験は名著「沖縄文化論 忘れられた日本」、残した写真の数々は写真集「」として記録されている。日本中を旅した太郎がそこまでほれ込んだのは沖縄だけであり、何がそこまで彼をひきつけたのか。太郎にとっての沖縄とは何だったのかを、太郎と同じ沖縄を歩く旅を通して解き明かしていく…

 

上映後、葛山喜久監督が登壇。岡本太郎さんが歩んだ沖縄を中心に舞台挨拶を行った。

 

写真集「岡本太郎の沖縄」を手にしながら、葛山監督は「表紙のおばあさんに惚れ込んだ。この人はどういう人なんやろ」と関心を持ち、以来、岡本太郎さんが訪れた場所に行っていたことを明かす。当時は「岡本太郎と同じアングルなんだな」と感動する日々だった。岡本太郎さんの著書『沖縄文化論』を読み「さらに沖縄に行きたくなり、岡本太郎の旅路を歩いて、所縁のある人に、当時はどんな様子だったか、と聞いていった」と振り返る。

 

本作でターニングポイントとなったのが大宜味村。北部の喜如嘉集落にある芭蕉布の里での坂道で映っていた女性、数十年後に人間国宝になる平良敏子さんだった。葛山監督が岡本太郎さんと同じアングルで撮っていたら偶然にも遭遇。平良さんの一日を描くことで「沖縄の意義に繋がってくるので、比重が長い」と捉えた。さらに「岡本太郎の沖縄」の表紙になった久高ノロさんに繋がっていく。作中では、おばあさん達が作り出す民芸品やふるまいを讃えるが「太郎さん自身は『私は民芸をやりにきたんじゃない』と言う。『沖縄の民芸品を通して媒介にして、自分自身を見つめるんだ』というのが、太郎さんの本音」と説く。さらには「久高ノロさんと御嶽が太郎さんにとって一番重要である。太郎さんのパートナーである岡本敏子さんが『太郎は沖縄で自分自身と出会ったのよ。だから嬉しかったのよ』と一言で言い切っている」と明かす。岡本太郎さんの沖縄を読み解き「僕らも、旅を通じて自分自身を見つめられた時は心地良い、と思います、幸せな旅を太郎さんが出来た」と実感した。

 

岡本太郎さんは、沖縄に行く前は日本国中をずっと旅をしている。最後に訪れたのが沖縄だった。沖縄の中に太郎さん自身の真意を再発見し「『忘れられた真の日本がある』と沖縄だけで言っていた。太陽の塔に繋がってくる部分がおそらくあるだろう」と葛山監督は推測する。本作を通して「DNAレベルのノスタルジー、つまり、人間の本能や本質を、太郎さんは伝えていた。観て頂いた方々にも自分自身を見つめるという感覚になって頂ければ」とメッセージを託した。そのうえで「太郎さんと現在の我々をつなぐノスタルジーがなければいけない」と思いを込める。

 

最後に、本作の語りを担った井浦新さんに向けて、葛山監督は感謝を伝えていく。実は「1年ぐらい前から井浦さんにオファーさせて頂き、半年後にOKを出して頂いた。井浦さんが忙しいという意味ではなく『岡本太郎さんという人の主観で話が出来るだろうか』とずっと考えて頂いていた」ことだと明かす。録り直しもあったが「井浦さんも太郎さんや沖縄と縁がある。良い意味でフラットなノーマルな声で邪魔をしないことから井浦さんにお願いした。感謝しております」と思いを込め、舞台挨拶は締め括られた。

 

映画『岡本太郎の沖縄』は、11月24日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場、京都・烏丸の京都シネマで公開中。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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