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若松監督と若松プロに思いを馳せる者達が集結して出来上がった一作…!『止められるか、俺たちを』井浦新さんと白石和彌監督を迎え舞台挨拶開催!

2018年9月25日

1969年を舞台に、“若松プロ“の門を叩いた少女の目を通して、若松監督ら映画人が駆け抜けた時代と生き様を映し出す『止められるか、俺たちを』が関西の劇場でも10月20日(土)より公開。9月25日(火)には、大阪・梅田のシネ・リーブル梅田に、井浦新さんと白石和彌監督を迎えて大阪完成披露試写会が開催された。

 

映画『止められるか、俺たちを』は、2012年に逝去した若松孝二監督が代表を務めていた若松プロダクションが、若松監督の死から6年ぶりに再始動して製作した一作。1969年を時代背景に、何者かになることを夢みて若松プロダクションの門を叩いた少女・吉積めぐみの目を通し、若松孝二ら映画人たちが駆け抜けた時代や彼らの生き様を描いた。

門脇麦さんが主人公となる助監督の吉積めぐみを演じ、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』など若松監督作に出演してきた井浦新さんが、若き日の若松孝二役を務めた。そのほか、山本浩司さんが演じる足立正生、岡部尚さんが演じる沖島勲など、若松プロのメンバーである実在の映画人たちが多数登場する。監督は若松プロ出身で、『孤狼の血』『サニー 32』など話題作を送り出している白石和彌さん。

 

上映前に、井浦新さんと白石和彌監督が登壇。和やかな雰囲気の中、若松監督と若松プロを振り返り、密度の濃い舞台挨拶が繰り広げられた。

 

若松監督は76歳で亡くなり、2年前に、若松監督生誕80周年記念特集上映が東京・東中野のポレポレ東中野で開催。足立正生さんや秋山道男さん、高間賢治さんら様々な方達の中に白石監督も交わり、トークショーが行われた。トークでは涙を流したりゲラゲラ笑ったりしながら聞き「彼らにとっては、20代前半の青春の話。若松孝二にこんな風に怒られた等、僕らも体験していることだった」と振り返る。白石監督が若松プロに入った時、吉積めぐみさんの写真が飾ってあり、彼女の話を聞くと「いろいろと教えて頂いて、めぐみさんの写真中なんかも出てきた」と明かす。そこで「めぐみさんを主人公にした若松プロの映画を撮れるんじゃないか」と思い立ち、その衝動は居ても立っても居られず、様々な人に話し始めた。とはいえ「『いやいや、お前、自分の師匠を映画にするなんて辞めた方がいいよ』と誰か一人でも言われたら辞めよう」と思っていたが、「いいねぇ」と皆に言われる。若松孝二役について「僕の中では一人しか思い浮かばなかった。もしオファーして断られたら、もうこの企画は無しにしよう」と決めていた。無茶振りだと分かっているが「まず、断られると思って、様々な人に話をしたから十分だ」と思い、井浦さんにオファーする。井浦さんは「そんな背景があるとは当時の僕は知りませんでした。もしも断ってたら、僕は若松プロ関係者から罵られる」と考えていた。若松プロの仕事について「まず僕の携帯電話が鳴ることから始まる。若松監督から直接連絡が来て『新、お前、○月スタンバイしとけ』と漠然と言われ、慌てて事務所に『何月は1か月空けておいて下さい』とお願いしながら、若松プロの仕事をさせて貰っていた」と明かす。本作では「事務所から『若松プロからお仕事頂きました』と聞き、妙な違和感を感じながらも『それは嬉しいことだね』『若松プロが動き出した、やったー!』と思い、白石監督だと聞いて『そうじゃなきゃ駄目だよね』」と確信した。とはいえ「60年代の若松プロの話だと聞いて、嫌な予感がした。若松プロの話ということは、一瞬にして顔が浮かんだ。若松監督役だと聞いて、やっぱり…無茶振りだなぁ」と最初は苦笑い。白石監督は「若松監督はもういないので、筋を通して、新さんが断れる余地を残した上でお願いした」と打ち明ける。

 

白石監督は、お客さんに若松監督作品の認知度を確認しながら「全く情報を知らないで観た方がむしろ楽しめるんじゃないか」と提案。井浦さんも「羨ましいな。そういう見方でこの映画が観れる」と楽しみにしており「登場人物達をどんな人達だと思うのだろうか。この映画に出てくる人達は皆実在する人物。その中の何人かには会っています」と話す。白石監督について「若松監督の最後の助監督を務められた監督でもあります。僕も若松監督の晩年の作品に声をかけて下さって、役者として参加させてもらっている。引いて見れないプロダクション」と説明。白石監督が若松プロに入った時には、若松監督はピンク映画を撮っておらず「入ってから色々観始めた、これ、ピンク映画なのか!?」と衝撃を受けた。ピンク映画には明確なルールがあるわけではないが、暗黙の了解があり、基本的に女性の裸が映っている。逆手にとれば内容は何をやっても自由。若松監督はほぼエロの要素がない映画を撮ってきており「政治の話だったりテロリストが出てきたり。そんな映画をずっと真剣に撮っていた」と述べる。

 

その後、若松プロは映画界で成功した監督や映画界から外れて有名になった方も輩出。だが、白石監督が入った1990年代半ばの頃は、若松さん監督はほぼ映画が撮れない時期で、助監督も白石監督しかいなかった。その時に色んな思いがあったが「若くて元気な若松プロと若松さんを見てみたい」と『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』を制作。当時の舞台挨拶では「若松さんは『当時の若者達は頑張ってたんだ』と喋っていた」と懐かしむ。本作の企画を思いついた時に「当時の若者は頑張ってたけど、若松プロも頑張っていたんじゃないか。年間7,8本を監督し、プロデュース作を含めると10本ぐらい作っていた。凄まじい。僕には絶対無理。そのエネルギーは亡くなる晩年まで途切れることがない」と想像する。白石が助監督をやっていた頃は、作品数が少なく、スタッフの数も少なく「僕は若松プロで若松監督に貢献できた感覚が全くない。大人の会話をした記憶がない」と悔やむ。助監督から監督になるために若松プロを卒業した後には「『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』を作り、6年間で5本程度を制作した。その快進撃は新さんはじめ俳優部が支えた」と羨望の眼差しを送っていた。振り返ると「初期の若松プロにいなかったし、後半、同じように一生懸命に若松さんが沢山撮っていた時期にいれなかった。置いてけぼりになった気持ちがあった」と明かし、本作を撮りたいと思った衝動の1つになる。

 

当時に活躍した若松プロの方達から逸話を聞き歩いた井浦さんは、様々なエピソードや言葉の数々を台本で観た時に「確実に僕の知らない時代の監督の言葉だったはずが、台本に書かれている言葉は僕は全部聞いたことがある」と感じた。晩年の若松監督の現場を経験し、一緒に日本各地で舞台挨拶を行う旅をしている際には昔話や事件を聞き、それらが台本に全部散りばめられていると発見。だが、1つだけ実感としてなかったのが、吉積めぐみさんの存在。若松監督と話している中で、めぐみさんの話を僕たちにしたことは全くなかった。女性の新人助監督と若松監督の関係性はどうやって築けるのかと考えた時、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』の現場を思い出す。映画作りを全く知らないが映画作りの志はある普通の女の子2人が助監督として入り、現場で物凄く怒られていたことを振り返る。若松監督について「お母さんが大好きで女性に対して物凄く優しい。厳しいけど優しさがあり、フェミニストである。監督と助監督の関係でありながら、父と娘のように見えてくる」と印象に残っており、今作における門脇さんと自分との間を繋げてもらった。当時の若松監督役を演じて「昔からブレずにずっと映画を作り続けてきた方なんだ」と実感。制作当時、若松監督は財産を使い果たして『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』を作ろうとしていた。白石監督は監督依頼があり、若松監督に説明して仁義を通して了解を得たが、その後、若松監督に逃亡兵と呼ばれる。井浦さんも当時の現場を振り返り「『ホントは出来る奴がいたんだけど…』と白石監督について話していた。経験の浅い助監督が3人いたが、映画作りができる人が若松監督しかおらず。役者達も芝居ができない人が集まっていたから、全てに対してイライラしていた」と明かす。

 

今作では、若松プロに思い入れがあり、若松監督に会いたかったけど会えなかった若者たちが集まって撮影。現場に流れた空気から若松監督を感じようとしていた。井浦さんは「白石監督は若松監督の下で10数年やってきた監督ですが、志を受け継ぎ、さらに学んでいる」と尊敬している。現場の在り方は真逆だと思い知らされ「絶対に白石監督は叫ばない。叫びそうな瞬間を何度か目撃したが我慢していた。あれだけ叫び続けてきた監督の下で育つと、反面教師になっていくんだな」と実感。これを受け、白石監督は「若松さんは凄くせっかちなんですよね。怒りながら、いつも血圧上げながら映画を撮っている。その代わりに、若松さんはカットを取り忘れたり、映画を観てもう少し何カットか撮ればいいのになと思うこともあったりする」と明かす。だが、逆に言えば「その勢いが若松映画をたらしめている。僕が同じことをやっても、怒りや勢いを映画に転嫁できない」と顧みる。そこで「丁寧に1個1個落ち着いて撮るしか僕のやり方には道がない。若松さんにはない手法を以て、真摯にやっていくしかない」と貫いてきた。トラブルがあった場合、急いで撮らないといけない時には、若松さんだったらどうやるかなと常に頭をよぎり、それが引き出しとなり、助けになっている。これを受け、井浦さんは「その片鱗は、白石監督の姿から『スーパー助監督が出た!』と感じる。やろうとしているけど、絶対にやらないように努力している姿を見た。助監督達が困っていて、白石監督が自分でやった方が早い時があるが堪えていた。一瞬動くときがあるが、その動き方が全然違う」と白石監督を称えた。

 

最後に、井浦さんは、本作について「現場では白石監督の下、スタッフ・キャスト夫々の思いを1シーン1シーンに込めてこの映画は作られらたものでもあります」と述べる。撮影当時を思い出し「若松監督に会っていない若い世代の役者達は、見えない若松監督の影を追いながら必死にもがきながら演じていました。僕らは、その若い役者さん達がいてくれて、本当に良かった。彼らは若松監督に会って学びたかった。この映画は、若い役者さん達が必死にもがいている姿が、役を通してきっと映画に映っている」と確信。若松監督や若松プロの知らない方達に向けて「こんな人達がこんな風に生きてもがいてきた。その姿が真っ直ぐ伝わっていく」と願っている。同時に、若松監督の作品を観て、若松監督を知っている方に向けて「お腹抱えて笑って頂けるように、いろんなものが散りばめられている」と解説。お客さんを見渡し「白石監督と僕らスタッフ・キャスト達が、多様な幅広い世代に楽しんで頂ける映画が出来ました。これからじっくり味わって楽しんで頂ければ」と思いを込め、舞台挨拶は締め括られた。

 

映画『止められるか、俺たちを』は、10月20日(土)より、大阪・梅田のシネ・リーブル梅田、十三の第七藝術劇場、神戸・三宮のシネ・リーブル神戸、京都・烏丸の京都シネマで公開。

戦後の日本映画、僕たちの青春が終わる…

映画監督・若松孝二さんが率いる「若松プロダクション」で映画製作に命を懸ける若者たちの短い青春を描いた本作。若松孝二監督の活躍期間の中でも、主人公の吉積めぐみさんがプロダクションに在籍した1969年から1971年の短い期間が舞台。この時期は、戦後日本の成長を信じられた1960年代が終わり、その陰にあった負の側面が露わになる1970年代との狭間。同時に映画というメディアも全盛期を過ぎ、テレビに押されながら衰退していった頃。映画に命をかけた若松孝二監督と若者たちの青春が終わり、社会と映画文化の青春期が終わりを告げる本作の語り口は戦後日本が凶暴で力強かった時代への鎮魂歌のように見える。

 

灼熱の時代の中で、何者にもなれない女の子の痛み

吉積めぐみさんは実在の人物。本作中では映画監督にはなりたいが、撮りたい映画はない人物として描かれる。強烈な反骨心と渇望で映画に臨む若松孝二監督と、一方で若松監督を傍目に目標を見つけられずに苦しむめぐみさんを中心に物語は進んでいく。日本社会と映画界がろうそくの最後の炎を勢いよく燃やす灼熱の時代の中で、何物にもなれずに悩むめぐみさんの姿が心に刺さる。

 

今もどこかに現代の若松孝二監督がいて、沢山のめぐみさんがいる

本作は、1960~70年代にかけて、映画が今よりもっと荒々しかった時代への郷愁を誘う物語ではない。当時の映画界にしかない時代性を描いたものであると同時に、普遍的な青春の痛みを描いた作品。今の時代にも若松孝二監督のような飢えた若者がいて、それよりもはるかに多くのめぐみさんのような迷える若者がいる。きっと彼らは何かを成し遂げられるか否かに関わらず、何かを信じて生きてきた。本作に映し出された、時代を超えても変わることなく命を懸けて生きる若者たちの姿に、切なさと少しの勇気が心に溢れる。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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