『人類遺産』と共に日本の産業遺産を知る…シアターセブンで前畑洋平さん迎えトークショー開催
6月10日(土)より大阪・十三のシアターセブンで、世界70カ所以上におよぶ廃墟の姿を捉えたドキュメンタリー作品『人類遺産』が上映されている。6月18日(日)には、産業遺産コーディネーターであり、NPO法人J-heritage総理事の前畑洋平さんを迎えてトークショーが行われた。
映画『人類遺産』は世界70カ所以上におよぶ廃墟の姿を捉えたドキュメンタリー。高度経済成長を支えたマンモス団地をはじめ、かつては人でにぎわったテーマパーク、劇場など、人間の手によって作り出され、利用され、やがて放置されて朽ちていく世界の廃墟の数々を、ナレーションや字幕などによる説明、音楽を排し、人間の姿も一切登場させず、美しい映像とともに切り取っていく。「軍艦島」の呼び名で知られる長崎の端島など、日本の廃墟も映し出される…
上映後、ナレーションや字幕のない本作を鑑賞したお客さんに前畑洋平さんは「目大丈夫ですか?」と労いながら、トークショーは開始。前畑さんは、本作を「知らない廃墟は世界にはいっぱいあるんだな」とビックリしながら鑑賞。前畑さん自身は「福島のインパクトが大きかった。自分が知っている景色がだんだん自然に覆われていく」ことが印象に残った。「ここまで多くの廃墟に対峙するのは初めてだった。現地に行くと、どうしても写真を撮りたくなる。案内人がいると、その方の話を聴区必要がある。自分のペースでゆっくりと廃墟に対峙できなかった。本作の鑑賞はいい経験になった」と語る。
前畑さんは元来廃墟マニアで、ご縁があり、産業遺産に関わる仕事をしている。具体的には、産業遺産にお客さんを連れて行くツアーや見学会を開催したり、産業遺産を活用したい自治体からオファーを頂いてお手伝いをしたりしている。「元々、小学校の頃に観た映画『ぼくらの七日間戦争』に憧れ、秘密基地をつくりに廃工場に忍び込んだのがスタート」だと前畑さんは明かす。「その時点で辞められず、中学・高校生時代には心霊スポットに行くような気持ちで廃墟に行っていた。社会人になってからは、バイクや自動車で全国の心霊スポットや昼間の廃墟に行くようになった」と振り返る。廃墟が注目され日本のサブカルチャーの一種になってきたが、そもそもは1999年に書籍『MAN』の別冊で廃墟が特集され、摩耶観光ホテル等の有名処が掲載されたことが大きい、と解説。この書籍によって昼間に廃墟に行く人が増加し、世代が分かれてきた。第1世代は心霊スポットから廃墟に興味が移った世代。第2世代は廃墟に多く行き、未踏の地を多く発見した人が優位となる世代。第3世代は、廃墟を格好良く写真に撮る世代を指す。前畑さんの場合は「第3世代の方達に憧れ、一眼レフカメラを購入し全国の廃墟に行っていた時期があった。20代後半になり、SNS「mixi」によって廃墟マニアの方との人脈ができ、オフ会(廃墟マニア内では合同探索[略して合探]と呼ばれる)に参加ようになり、廃墟の世界に入っていった」と経緯を話す。「全国の廃墟を巡っていく中、壊されていく廃墟を多く目にするようになった。調べていくと、日本の経済成長に貢献した場所だったと知った。ならば、許可を得て皆で行ったり、残したりする仕組みを作った方がいい」と思うようになった。以来、仲の良い廃墟マニアらと一緒にNPO法人J-heritageを起ち上げ、産業遺産という側面を見出しながら価値を共有できる仕組みを作るべく活動している。
前畑さんは「廃墟の持っている可能性や価値を共有できたら」と思いを込め、影響を受けた廃墟を写真で紹介。まずは、廃墟の島として軍艦島を挙げる。「廃墟マニアの中には聖地だと思う方がおり、キングオブ廃墟だと言われている。日本人だけでなく、外国の廃墟マニアの方にも人気がある。長崎県の人によれば、設置されている監視カメラには白人が多く映っている」と明かす。軍艦島自体は、石炭を掘るために作られた島。出てきた土が広がって軍艦の形を成しており、最盛期には5,300人の方が住んでいた。軍艦島は緑なき島と言われていたが、人がいなくなってから急速に緑が覆い茂り、一部では建物を飲み込むような形で緑がたくさんある。「日本の人口が減っていく現在において、今後は、このような景色がもしかしたら見えてしまうのか。美しさも感じながら怖さを感じるのが廃墟なのか」と捉えていた。他にも廃墟になった島のなかには。軍艦島と言われている島がいくらかある。瀬戸内海にある軍艦島と云われる四阪島を挙げる。企業の私有地であり、一般の方が上陸できない。廃墟マニアでは、軍艦島より上陸が厳しい禁断の廃墟と呼ばれていた。最盛期には5,700人が住んでいたが、現在はリサイクル鉱山(携帯電話に入っている金属を再精錬する)として操業が続けられている。もう一つの瀬戸内海にある軍艦島として広島県の東邦亜鉛による契島を挙げた。「企業の私有地で、軍艦島のような形を成し、島中が機械に埋め尽くされている。長崎の軍艦島より、軍艦島らしさがある」とコメント。
遊園地の廃墟として、前畑さんは、世界の廃墟ベスト20にもノミネートされている奈良ドリームランドを挙げる。最近、完全に解体が終了し更地になった。その前は、ジェットコースターが完全に緑に覆われ、美しい状態になっていた、と話す。「高度経済成長や戦後復興の一つの象徴として、抑制やお金がないといった不遇の時代を過ごした方にとってレジャーは待ち望んでいたもので、人の想いが出ている場所。当時を物語る貴重な産業遺産の側面を持つ廃墟」と思っている。また、滋賀県には甲賀ファミリーランドがかつてあった。前畑さんが訪れた際、夜間に行きつくのに苦労したが、ゴルフ場の奥へ歩いて行き、夜が明けた頃に巨大な観覧車が風で動いている風景に出くわし、言葉に出来ず鳥肌が立った。他にも、最後の見学会を終えて、今は観られない宮城県の化女沼レジャーランドを挙げた。「廃墟の遊園地が様々に残っていたが、現在は壊されている」と告げる。
工場の廃墟は、廃墟マニアにとって様々なものが見れるので人気だ。まずは足尾銅山通洞選鉱場をピックアップ。前畑さんは「採取してきた鉱石を選別する場所が全国にあるが、財閥系の大規模な鉱山の選鉱場で残っているのはここぐらいで、他は解体され基礎が残っているだけ。足尾銅山は日本初めての公害があった場所として負のイメージを持たれることが多い場所だが、最近は、近隣の方が影だけでなく光も当てていこうと動かれ、古河機械金属㈱が協力し流れが変わっている」と説明。鉱山は、他にも秋田の尾去沢鉱山精錬所や長崎にある池島炭鉱の選炭工場を取り上げた。佐賀の川南造船所について「残したいと声があったが、壊された。特殊な船として人間魚雷と云われる回天を作っていたことで、地域の人からは良い印象がなかった」と述べる。群馬の富岡製糸場は世界遺産になったが、公開しているのは30%程度で残り70%は未公開。「工場内には製糸の全工程が再稼働できる程に設備が残っている。当時の労働者らの住宅や病院、外国人技師の家までが残っており、30年スパンで修復し公開できる場所を増やしていく」計画を伝えた。他にも門司の セメント工場を取り上げた。「廃墟マニア内では、日本で最大の廃墟の工場と言われている。中央にはJRの鉄道が走っている程の大きさ」と表現する。なお、現役のセメント工場は、見学会を時々開催しているので、参加を提案する。「セメント工場は、石炭を扱っていた会社が業界の斜陽化を鑑み会社が潰れさせないためにも起きた白黒革命。エネルギーの世代交代に合わせて変化していった」と歴史的側面を説く。
刑務所の廃墟についても取り上げた。諫早市にある旧長崎刑務所は、総レンガづくりで2階部分が落ちてしまい、一階と二階の境目がない。五翼放射状舎房と呼ばれる五本の指を広げたような形をした洋風の刑務所。明治の五大監獄と呼ばれるプロジェクトの一つの刑務所と云われ、不平等条約を改正し受刑者に人権を与える立派な国だとアピールするために作られた国家プロジェクトだった。前畑さんは「廃墟になり壊してしまう国なんだ」と衝撃を受けた。真ん中に立つと全ての舎房が見渡せる仕組みになっており、その景色を見てみたく、探してみると奈良少年刑務所があった。中で指導している先生を見つけお会いし、想いを共有でき、2010年以降は年1回の見学会を開催している。なお、明治時代の建物なので、老朽化が進んでおり、壊される可能性はゼロではなかった。「壊されることが決まる前に、価値を共有する機会をつくらないといけない。見学者が増えることで、刑務所の中の人達の価値の変化が起こるかもしれない」と前畑さんは考え、見学会を始め、重要文化財に指定することを一つの目標とした。書籍で紹介したり、建築関係の方に来てもらったりもした。法務省より重要文化財に指定され、監獄ホテルとしてPFI方式による民間企業に経営権を渡して活用する方向性が決まった。「僕らの見学会は役に立ってないだろうが、残ることが決まって良かった。最後の見学会に行ってほしい」と訴える。
最後に廃線跡について取り上げた。旧JR福知山線の生瀬~武田尾間は、ハイキング道路として西宮市が整備した。西宮市には譲渡されず、JRが守ったまま、最低限の安全面が整備された。前畑さんは「JR側にしてみれば、何か起きれば怖く、落としどころがみつかった。ペンディングになっているダムの計画次第によっては水没する可能性がある。いい形で他の水害を防ぐ方法が見つかれば変わるかもしれない」と訴える。鉱山鉄道の廃線跡も取り上げた。かつて、1円電車と呼ばれ、朝来市の神子畑選鉱所と養父市の明延鉱山を結ぶ約5Kmの鉱山鉄道で90%がトンネルとなっており、日本遺産になった。Jヘリテージが日本遺産になるために写真を提供したりお手伝いしたりしたことから、日本遺産になった記念に特別な見学会があるかもしれないと期待している。夕張市の三弦橋による森林鉄道は、森林から生産される木材を搬出するために設けられた産業用鉄道。シューパロ湖のダムができ、水没し恐らく10年後に水が無くなるタイミングで見れるのではないか、と予測している。姫路モノレールは、姫路と手柄山を繋ぎ、1966年に開催された姫路大博覧会の会場輸送のためにつくられた。歩いて15~20分の距離の中間に大将軍駅が作られ、距離も短くバスの倍ぐらい運賃を必要とした。モノレールの駆動系を作ったロッキード社が倒産し、部品が壊れた時にお金がかかることが判明。赤字続きで僅か8年で休止になり廃線になった短命な鉄道だった。「真ん中にあった大将軍駅は10階建てアパートの3~4階に作ったモノレール駅であり、1969年に作っているのは凄い。解体されることが決まり、最後に見学会をしてもらいたい」と思いがあった。「過去に取材したことがあり、姫路市と付き合いがあった。様々な仕事させてもらっていく中で大将軍駅の見学会をしましょう」と言い続けた。昨年が開業50周年にあたり問い合わせも多く、姫路市も注目されていることに気づき、どうにかするべきと思っていた。「50周年でシンポジウムを開き、その一環で見学会をしましょう」と提案し、開催が決まった。手柄山駅は残され、残っていた車両も保存され、タイムカプセルのように35年前のまま残っていたことから「昔はどのように走っていたのだろう」と、過去に旅させる力を利気絶した。なお、現在、手柄山駅に車両が戻し整備され、交流ステーションとして使われている。
前畑さんは「廃墟や産業遺産は高度経済成長期を知ってもらう大事な場所。だが、過去への旅といった視点が重要とされていない。廃墟の状態では負の遺産と捉えられ、そのままでは残せない。廃墟を残そうと思ったら新たな価値を見出す必要がある」と考えている。「僕たちは産業遺産として残そうとした時、安全に綺麗にしてしまうと、積み重なった時間を消すことになり、過去に旅することができない。廃墟マニアが集まってできたNPOだからこそ、廃墟の良かった部分を残すべきだと思って活動している。出来れば廃墟のままであってほしい」と願っている。「その場所に訪れ、当時の時代背景や今後のあり方を皆で考える機会を絶やさないことが大事。そのために、一旦は産業遺産として価値づけ、綺麗にし過ぎず、どのように見せたら大事なものとして受け取れるか、と皆で考える機会をつくれたら」と思いを込め、トークショーを締め括った。
映画『人類遺産』は、6月23日(金)まで大阪・十三のシアターセブンで上映。6月17日(土)~6月23日(金)は13:55~にて上映。また、8月5日(土)より8月18日(金)まで神戸・元町映画館で上映が予定されている。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
- 最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!