沖縄を見つめれば、世界が見えてくる…!『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』太田隆文監督に聞く!
日本で唯一、地上での戦闘が行われた沖縄戦を、実際に体験した人や専門家の証言、そしてアメリカ軍が記録した当時の映像を交えて紹介する『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』が7月31日(金)より関西の劇場でも公開。今回、太田隆文監督にインタビューを行った。
映画『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』は、第2次世界大戦時、日本で唯一の地上戦がおこなわれた沖縄戦の悲劇を描いたドキュメンタリー。当時、劣勢だった日本軍の本土決戦準備の時間稼ぎのために沖縄は捨て石にされ、女性や子ども、老人までもが徴用され、戦闘協力を強いられた。さらに軍が県民に集団自決を強制し、死に切れない子どもを親が手を下して殺すという悲惨な光景も広がり、沖縄県出身の戦没者は12万2282人、当時の沖縄の人口の3人に1人が亡くなった。沖縄戦の当時を知る体験者、専門家の証言、米軍が撮影した記録フィルムなどから、沖縄上陸作戦から、戦闘終了までを描く。当時、満州で戦線に立った宝田明さんと、原爆の悲劇を描いた「きのこ雲の下から、明日へ」を上梓した斉藤とも子さんがナレーションを担当。原発事故を描いた『朝日のあたる家』の太田隆文監督が手掛けた。
劇場映画の監督としてデビューする前にメイキングを撮っていた太田監督。大林宣彦監督の『理由』等、先輩監督立ちのメイキングを手掛け、自作のメイキングも自ら編集しており「ドキュメンタリーと同じです。長編作品は初めてですが、TVでのヒューマンドキュメンタリーは手掛けていますから」と問題はない。社会的なドキュメンタリー作品に対し「基本的に真面目に作っている。しかし、沖縄戦について知りたいと思って観てみると退屈してしまう」と感じており、エンターテインメント性のある劇映画の出身として「楽しく出来ないけど退屈せず興味が尽きない作品を作りたかった。観出したら最後まで観てしまう観客を惹きつける作品のテクニックは劇映画にある」と自負しており「如何にドラマチックにドキュメンタリーを描くか。ドキュメンタリーを観ているかのようなリアリティのあるドラマを作るか。方向性は逆だけど同じことをしています」と説く。
日本とアメリカの両方の視点を以て展開される本作。太田監督は「戦争は両者の視点がある。日本の戦争映画は日本側の視点。ドキュメンタリーならば、”沖縄戦とは何なのか”と日本側の視点だけだと偏ってしまう。アメリカ側の視点が必要」と論じる。体験者の視点についても「戦時中の現場を知っていても全てを知らない。大変な経験をしていても、客観的な視点で俯瞰できない」と認識しており「当時を経験した人と、現在の視点で沖縄戦を捉えている人。様々な相反する人が語っていくことで、沖縄戦が見えてくる」と多様な視点を提示していく。また、アメリカ側の視点を十分に取り入れ「戦争をビジネスのように捉えており、写真やビデオが撮られている。映画を作る時と同じ発想がある」と気づかされた。
撮影は、太田監督の知り合いから紹介されながら、芋づる式に夫々の分野で第一人者の方々に出会っていき「『この映画を作れ』と沖縄の神様が出会わせてくれた」と思わざるを得ない状況に放り込まれていく。基本的に1時間のインタビューをしていったが「皆さんは講演会にも登壇されているので話し上手。皆さんはもっと話せたかもしれないけど、聞く側としては1時間以上は耐えられない」と吐露する。「あまりにも過酷な現実を当人から話されると、重すぎて限界を超えてしまう」と実感し、敢えて何も調べずに伺い、ゼロベースで疑問に感じたことを素直に聞いていった。3年間かけて8回伺っており、まとめて実施すれば2週間で撮影出来る日数だったが「一度に聞けない。結果的に3年間かけて探していく旅でした」と振り返る。直接伺って体験談を聞きショックを受ける日々だったが、編集時に映像を通して再び観ていくと「さらにショックを受けて泣きそうになることも何回もあり編集にならない」と大変だったが、どうにか冷静に取り組んでいった。「1時間の中で何処を切り取って、その方のパートを作ればいいか考えないといけない。どの人から順番に見せていくか構成していかないといけない」と編集作業を振り返り「ある人の証言がほかの人の答えになっていることもある」と気づきながら、撮影時間以上の3ヶ月もかけて編集を行い本作を仕上げていく。撮影当時を振り返りながら「取材をしながら引っかかっていたことの答えを、聞いてもいないのに仰って頂いた方がいた。その時、一つの方向に導かれているな」と気づき「様々な方の中にも答えがある気がした。編集方針も出来上がった」と映画になると確信できた。
なお、ナレーションは宝田明さんを中心に作られている。太田監督は、宝田さんのマネージャーに相談するため事務所に伺ったら、宝田明さん御本人がおられて、1時間かけて説明を行った。「宝田さんはいたく泣きそうになりながら『わかった。これはやらなければならない』と応えて頂いた」と明かし「『晩年は戦争を伝えることが自分のテーマ』だと仰っており、前向きに喜んで取り組んで頂いた」と感謝している。収録は「ご自分でOKかどうか判断して、時には最初に戻ることもあった。結果的に6時間かかりました」と打ち明けるが「凄く拘って取り組んで頂いた。体験者の証言について、ナレーションがアナウンサーだとバランスを保てない。宝田さんに御願いしてよかった」と納得できる作品が出来上がった。
昨年12月には、沖縄での完成披露試写会を実施。来場者は高齢者がほとんどで、若者は少なかった。「沖縄でも若者が沖縄戦を知ろうとしない。教育している学校は勿論あるが、していない学校もある」と知り、教育者の方に聞いても「どうすればいいのか。昔は体験者の方に来て頂いたが、次々にいなくなってきた。どうやって若者に沖縄戦を語り継いでいけばいいのか」と悩んでいることが伝わってくる。また「若者にとっては、生まれた時から基地があり存在は当たり前。おばあちゃんやおじいちゃんが辺野古移設に反対するデモにいくことを咎めている若者が増えているので、なんとかしたい。教育者として、沖縄戦が全て分かる本作を見せていきたい」と仰って頂いた。「昨日のことのように思い出して、皆さんが辛かったと言って泣きながら観て下さった」と会場の雰囲気が伝わってきており、帰りがけに「全国の人達に見てもらって下さい。作ってもらって、ありがとうございました」と感謝の言葉を頂き、驚いてしまうばかり。沖縄で苦しんできた方は「沖縄での伝わらないやりきれなさを痛感している」と実感した。また、沖縄県の玉城デニー知事とお会いした時に「沖縄を伝えることができない。でも、伝えるためにはコンテンツが要るんだよ。コンテンツがなかなかない」と云われ「今回、作ってくれて全国で公開されたら本当の沖縄が伝わる。沖縄から発信するコンテンツがないことが悲しい話で」と嘆かれ「自分たちの思いが届いていないことが日本の現状である、とお客さんが感じている」と受けとめている。
本作の制作を振り返り、太田監督は「教育現場でもエンターテインメントでも、沖縄戦がしっかりと扱われていない。沖縄の歴史の勉強だけでなく、アメリカが分かり、政府の動きなども含め現代が見えてくる」と身を以て理解した。「負けているのに同じような作戦を敢行することは変わらない。国民を政府は守ろうとせずに命令して犠牲を強いる。過去の歴史の勉強だけでなく現代が見えてくる」と気づき「未来を考えるきっかけにしてほしい作品。ここから沖縄を見つめれば、世界が見えてくる」と伝わっていくことを願ってやまない作品がいよいよ届けられる。
映画『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』は、7月31日(金)より京都・烏丸の京都シネマ、8月1日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場で公開。また、神戸・新長田の神戸映画資料館でも近日公開予定。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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