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長く語られていく奇跡的な作品が出来上がった…!『藍色少年少女』倉田健次監督に聞く!

2019年9月20日

放射能のできるだけ低い地域で様々な体験をさせるという“保養活動“での実話を基に、子供たちの創造力やひたむきさが大人たちを動かしていく様を描き出す『藍色少年少女』が大阪・十三のシアターセブンでも9月21日(土)より公開される。今回、倉田健次監督にインタビューを行った。

 

映画『藍色少年少女』は、夏の神奈川県藤野を舞台に、少年と少女そして悩める大人たちの姿を全編モノクロームで描いたドラマ。少年テツオが暮らす自然豊かな町は、東日本大震災における原発事故以降、外に出て遊ぶことが抑制された毎日を送っている福島の子どもたちを「保養活動」として招き入れていた。福島の子どもたちに演劇を披露することになり、テツオは福島からやって来た少女シチカとともに「幸せの青い鳥」の主役として抜擢される。どのように演じればよいか頭を悩ませていたテツオは、ガラス職人のミチルから「実際に町へ出て、青い鳥を探してみれば?青い鳥は笑顔の中に住んでいるよ」と教えられ、シチカと一緒に青い鳥を探して町のさまざまな場所へと足を運ぶ。2人は行く先々でさまざまな大人たちと出会い、住民たちが抱えるそれぞれの人生に触れていく。そして、テツオとシチカは2人の持てる力を使い、人びとの心を救済するために奔走する。

 

撮影が行われた藤野は、先の戦前戦中の頃にアーティストが移り住んで出来た町。芸術文化に親交がある町で、女優の奈良橋陽子さんが運営している俳優養成所の講師が、いじめを受け居場所がない子供達が心からの表現で発散することを目的とした演技表現を実践する劇団を営んでいた。1年に1度、芝居のようなミュージカルのような劇を上演しており、念願の映画を撮りたいと構想してい中で、倉田監督は依頼を受ける。快く引き受けて台本完成後、子供達を中心とした作品として、”こども”ではなく”少年少女”という響きに良さを感じると共に尊い表現だと受けとめ、藍色について「色自体が好き。経年劣化する程に良くなっていく日本独特の色」だと感じており『藍色少年少女』と名付けた。

 

副題である「indigo children」は、特別で変わった特徴を持ち、時には 超自然的な能力を持つとされる子供達を意味している。英語字幕を施して作品が完成後、海外の映画祭にも出品するにあたり英題が必要となった時に「indigo childrenの意味と映画の内容が一致している」とに気づき「完成後に知ったので、ビックリした。風土的にスピリチュアルな匂いがある町ではある。川と山に挟まれ谷があり霧も発生しやすく、異様な景色が生まれやすい。町に呼ばれいる感覚は脚本を書いた時も撮り終えた時も感じていた」と告白した。

 

藍色調のモノクロームによる映像表現は、子供達の依頼によって検討し取り入れている。倉田監督は、10年は続いていく作品とするために「最初は古びて見えるかもしれない。だが、時間の経過が遅くなるので、作品の寿命が延びる」と熟考。また「心の表現が上手い子なので、モノクロにすることで、心を見ようとする効果がある」と捉えている。そこで、現代のストーリーに寓話性を消さないようにする為、モノクロとカラーが両方とも美しく感じる手法を検討していく。藍色調の表現について「子供達は変わっていく、と意味を込めたい。完全なモノクロやセピア色では過去になってしまう。この映画は過去にしてはいけない」と十分に検討した結果、モノクロではあるが、カラーリストを呼んで藍色を1カットずつ練り込んでおり、まさに試行錯誤の末に完成した。

 

作中に用いられる劇の演目として、倉田監督は「様々なモチーフを網羅できる物語として、僕の中で『青い鳥』と『銀河鉄道の夜』の二案があった。『青い鳥』は幸せを自分で探すという分かりやすい話。藤野にピッタリだ」と発見。だが、戯曲を読んでみると「物凄い内容です。様々な国に行くという意味が重い。幸せの国や思いでの国だけでなく、死の国や戦争の国や病の国まである。垣間見るものが子供向けではない」と驚いた。しかし「本物の『青い鳥』を皆が知らないなら、ベースとなる話として適している」と採用する。本作を長く観てもらうために「モチーフを1つ設定するだけでなく、様々なモチーフを乱雑に見せている。でも、網羅できるようにすると、繰り返し観たくなる」と考え、様々な登場人物を盛り込んだ。

 

主人公のテツオを演じた遠藤史人君について、倉田監督は「以前から表現力が豊かだったが、ここまで出来るとはだれも思っていなかった」と明かす。父親がふじのキッズシアターの全公演の劇伴作家、母親が本作のエンディングテーマを歌っており「勘が良かった、と云える。状況を想像し、瞬間的になりきり、心でスイッチ入れて泣き出せた。彼だったから成立した映画」だと物語る。演技指導については全体的にほぼ苦労しておらず「台詞には全員忠実だった。『どうしてこんなことを言うのか』と、キャラクターを自分で考え、血肉を付けてもらう。プロの作業を頭ではなく心で無意識で行っている」と驚かされた。劇団に長年在籍している子供達に対し「やってみて感じていく舞台を幼い頃からし続けている。ミュージシャン的な表現を手に入れている。何故このような演技が出来るのか」と未だに探らざるを得ない。もし、再び子供達と撮るとしたら「この場所から離れていく話を撮りたい。ここにいて平和なら、全員で出ていって他の町も平和な場所に出来たり平和な場所を探れたりする。もっと直接的な行動の中で人生の形を彼らとだったら見出せる」と目を輝かながら語っていた。

 

映画『藍色少年少女』は、9月21日(土)より大阪・十三のシアターセブンで公開。9月21日(土)と9月22日(日)には、結城貴史さん、ミゾモト行彦さん、柳田ありすさん、倉田健次監督迎え、舞台挨拶が開催される。また、京都・九条の京都みなみ会館でも10月公開予定。

少年少女をテーマとした映画の代表作に名を連ねてくるポテンシャルを秘めた本作。平凡な少年像でもあるテツオの一夏の出来事は、観客である我々を虜にすると同時に、我々の少年少女時代をも想起させてくれる。夢と冒険、出会いと別れ、ありとあらゆる要素が物語上で交差し、少年目線での抱えきれない程膨らんだ夏の経験を鮮やかに描いた。

 

テツオは幾度も岐路に立たされる。間違えてはいけない選択も、我々はその行く末を見守ることしかできず、本作に登場する大人達もまた子供達の選択を必要以上に強制することはない。テツオが間違えた選択を繰り返してはその度に乗り越え成長していく姿は印象的だ。選択を間違えたからといって、大人のように維持を張り放置するのではなく、時には素直になることも重要。テツオの直向きさを見て、私自身忘れかけていた純粋であることの大切さを思い出した。

 

本作の特徴とも言えるモノクロームの映像は時代背景を感じさせず、色褪せることのない傑作として本作が完成したことを証明する。

fromねむひら

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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