チャレンジは、自分の殻を一枚破るきっかけを与えてくれる…『ルートヴィヒに恋して』金素栄監督に聞く!
「第九」をこよなく愛する一般の人々が集った市民合唱団を描いた長編ドキュメンタリー『ルートヴィヒに恋して』が関西の映画館で上映中。今回、金素栄監督にインタビューを行った。
映画『ルートヴィヒに恋して』は、第九を取り巻く生の物語。出演者は年齢も経歴も、国籍も宗教も、生きてきた道筋も千差万別。サラリーマン、専業主婦、看護師、農民、神父さん、鉄工所の作業員、エンジニア、医師…。自然体かつチャーミングで、リアリティーに包まれている最高の役者です。日本での「第九」は、「聴く音楽」というより、「参加する音楽」、人と人を結ぶ交わりの音楽であり、世代を超えた融和の音楽。「第九」をこよなく愛する一般の人々が集った市民合唱団を描いた。
本作の冒頭は、フィクションかと錯覚するような演出で始まる。金監督は「フィクションとノンフィクションの境界線を無くしたかった」と告白。その真意について「私達の人生はフィクション的な要素とノンフィクション的な要素による2つの要素が混ざり合って成立している。両方の長所を引っ張り出し、ミックスして美味しい料理にしたかった。観客は美味しい料理を食べに劇場に来るから、なるべく美味しい料理を提供したくて、アレンジしてみました」と説く。
1年近くの撮影期間を経て編集まで行っているが「撮影は大変だけど楽しい。編集はPCと私だけなので孤独」と述懐する。編集工程はほぼすべてを自ら担っており「ある程度出来上がった後にスタッフに見せてはいるが、ほとんど依頼していない。モニタリングが大変で、どの場面を取り入れるか決められず、数ヶ月を要しました。分類しないと何がどこに入っているか分からない程の膨大な量」だと振り返り「二度と編集作業をしたくない」と吐露した。最終的に139分に及ぶ作品となり「迷いも大きかった。仮編集バージョンでは、5時間でした。本編集にしていく過程で、縮めていきました。削除する時は胸が痛い」と嘆きながらも「編集過程は自分との戦い」だと実感する。
姫路第九合唱団(姫路労音)について、金監督は、韓国の市民と一緒に第九を歌っている新聞記事をインターネット上で偶々発見した。珍しい文化交流があることを初めて知り、興味を持ち労音に連絡する。その後、訪問調査やアンケート調査を実施して、練習会場の観察も実施していく。また、地元・神戸にある神戸フロイデ合唱団もインターネットで偶然見つけており、自身の周辺から取材を始めていった。本作は、既にアースシネマズ姫路では公開されており、上映期間が延長する程の動員。「TVドキュメンタリーのような作品を想像していたら、違っていて驚いた」や「監督からのメッセージを押し付けていない。自然な展開を感じた」「一人一人がよく描かれている」といった感想を受け取り、喜んでいる。
金監督は、日本に来るまでに韓国で「第九」に惚れ込んでいる人を見たことがなかった。クラシック音楽ファンが「第九」を聞くイメージがあり「簡単に親しみを持てなかった。日本に来てみて、年末には、彼方此方で第九が盛り上がっているから、不思議だな」と明かす。その後、自らも書籍を通して調べていった。嘗ての戦争と震災によって日本に浸透しており「戦争では学徒兵の第九、学徒兵が戦場へ向かう前に皆で一緒に集まって歌った記録が残っている。戦中は資金募集のため行われている。戦後は生還してきた学徒兵達が集まってレクイエムとして亡くなった友人達を慰めるために歌った」と説く。1995年の阪神淡路大震災の際にはレクイエムとして「第九」が歌われており「クラシックホールだけで奏でられる音楽ではなく、人間の営みと関わっている」と感心していた。
なお、姫路労音には10代の若者も参加している。姫路の子ども達による合唱団に所属して歌ってきており、子ども向けのオペラ「椿姫」に参加したことがきっかけとなった。言葉の意味は分からなくとも歌詞覚えは一番早く、テーマは後で理解出来ればいい、というスタンスのようで「子ども達こそが正解を言っているかもしれない。大人達ばかりの中で中高生達は難しいことばかり。子ども達にとって第九は新しい挑戦」だと感じた。公演を終え、最後には「殻一枚破れました」と言っており「チャレンジは、自分の殻を一枚破るきっかけを与えてくれる」と若者達から希望を感じ取った。
映画『ルートヴィヒに恋して』は、姫路のアースシネマズ姫路で上映中。6月8日(土)からは、大阪・九条のシネ・ヌーヴォでも公開。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
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