1970年代のNYハーレムを舞台に、若いカップルの愛と信念の物語を描く『ビール・ストリートの恋人たち』がいよいよ劇場公開!
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1970年代のNYハーレムを舞台に、レイプ犯の疑いがかけられた婚約者の無実を証明しようとする女性の姿を映し出す『ビール・ストリートの恋人たち』が、2月22日(金)より全国の劇場で公開される。
映画『ビール・ストリートの恋人たち』は、1970年代ニューヨークのハーレムに生きる若い2人の愛と信念を描いたドラマ。19歳のティッシュは、幼馴染の青年ファニーの子供を身ごもるが、彼はいわれのない強姦罪で服役中の身だった。しかし、ふたりはそれでも強く愛し合っていて、ティッシュの家族はファニーの無実を証明しようとある行動を起こす…
本作は、『ムーンライト』でアカデミー作品賞を受賞したバリー・ジェンキンス監督が、ドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』の原作でも知られる米黒人文学を代表する作家ジェームズ・ボールドウィンの小説『ビール・ストリートに口あらば』を映画化。オーディションで抜てきされた新人女優キキ・レインと、『栄光のランナー 1936ベルリン』のステファン・ジェームスが主人公カップルを演じ、主人公を支える母親役でレジーナ・キングが出演した。
映画『ビール・ストリートの恋人たち』は、2月22日(金)より、大阪・梅田の大阪ステーションシティシネマと難波のTOHOシネマズなんば、神戸・三宮のシネ・リーブル神戸、京都のMOVIX京都をはじめ、全国の劇場で公開。
美しい、とても美しいラブストーリーだ。
出会うべくして出会い、長い時間をかけて愛を育んできた二人。信じあい寄り添う恋人たちが互いを見つめ合う視線は、そのまま観客へと向けられたカメラワークとなり、我々は彼らの愛の言葉を正面から受け止める。ため息と共に見とれてしまうしかない。
それなのに、とても辛い事件が二人を襲う。1970年代、現在よりもさらに黒人差別が激しい時代。不当な罪状、償う必要のないはずの罰。上手くかみ合わない互いの家族。大げさに誇張するでもなく、巻き込まれた人々を美化するでもなく、理不尽な扱いを受ける彼らの姿が、悲しいほどに当たり前のようにに描かれ、怒りとやるせなさがこみ上げる。
「ビール・ストリートの恋人たち」という邦題はストレートで美しい。まさにその題名通りの物語である。しかし、原題の「If Beale Street Could Talk」という言葉も知っておいて観ていただきたい。「もし、ビールストリートが話すことが出来たなら」と訳せるこのタイトルは、叶わなかった事に対する「もしも…」というifの意味に訳せるのだが、それだけではない。語れない数々の通りの代わりに、世間に届かなかった何人もの黒人たちの声の代わりに、この映画が大事な物語を綴る。どうかそれをあなたには見届けてほしい。そんな思いが籠められているようにも聞こえた。
fromNZ2.0@エヌゼット
「人間の違いは母親が違うだけだ。」
この台詞が全て。でも人は無関心なことに対してどこまでも冷酷になれる。
ファニーを捕まえた白人の警官はファニーが黒人だから逮捕した。レイプされた被害者の女性は自分を守るためファニーを訴える。ファニーを助けるためプエルトリコまで出向いたティッシュの母親はレイプされた女性の気持ちを完全に汲むことはできない。人は意識的にも無意識的にも人を傷つける。でも、この中で意思や正義がみえなかったのは「黒人だから」逮捕した警察官だけだ。
ファニーとティッシュの恋愛模様は至って平凡。幼馴染から恋人になり、家を探す。あたたかい家族と反りの合わない義母。親しい友達。趣味。でも周りの環境だけが2人の恋愛を平凡なものにさせない。顕著に表れていたのがティッシュが働く香水売り場でのシーンだ。自分の手に香水をかけて香りを嗅ぐ黒人男性と、ティッシュの手に香水をかけて香りを嗅ぐ白人男性。香水という「匂い」もそうだが、手がいかにセクシャルなものかということを感じた。非常に性的で生々しいシーンだった。
ビール・ストリートをアメリカのすべての黒人の故郷だ、と語る冒頭は全編を通して見たあとにもう一度みると心に重たく響く。ファニーやティッシュに限らず、そこで暮らす人びとを連想させるようなタイトルが秀逸。
fromマツコ
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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