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合唱団の1人の少女のまなざしを通して、才能や成功、沈黙がどのように結びつき、ゆがめられていくのかを静かに描き出す『ブロークン・ヴォイス』がいよいよ劇場公開!

2026年9月15日

©endorfilm s.r.o. Punkchart films s.r.o. Ceska televize innogy Ceska republika a.s. Barrandov Studio a.s. 2025

 

共産主義の終わりを迎えた1990年代のチェコを舞台に、13歳の少女の視点から選ばれる喜びとその裏にある歪みを描く『ブロークン・ヴォイス』が9月19日(土)より全国の劇場で公開される。

 

映画『ブロークン・ヴォイス』は、チェコ・プラハの名門少年少女合唱団”バンビーニ・ディ・プラーガ”をめぐる実在の性的虐待事件に着想を得て制作されたドラマ。ひとりの少女のまなざしを通して、才能と成功、そして沈黙が結びつき歪められていく過程を映し出す。共産主義体制が終わりを迎え、社会全体に自由の空気が流れはじめた1990年代初頭のチェコ。カンティチェラ少女合唱団のBチームに所属する13歳のヴァレリエは、選抜チームの姉ルチエの背中を追い奮闘する日々を過ごしていた。ある日、指揮者のヴィテクがBチームの練習に現れ、ヴァレリエを指名して歌わせる。海外ツアーを前に選抜メンバーを決める雪山合宿が始まると、欠員の代役として呼ばれたヴァレリエに、ヴィテクは楽譜を手渡し覚えるよう告げる。少女たちの間では競争と嫉妬が渦巻き、ささやかな悪意が日常に紛れ込むが、それでもヴァレリエは選ばれるため歌い続ける。やがてヴァレリエはヴィテクから特別に扱われるようになり、ついに正式な団員となるが…

 

日本では”チェコ少年少女合唱団”としても知られるキーン少年少女合唱団に所属するカテジナ・ファルブロバーが主人公ヴァレリエを繊細かつ力強く演じ、劇中歌曲を自ら歌唱。監督・脚本は、本作が長編第2作となるチェコの新鋭オンドジェイ・プロバズニークが務めた。

 

©endorfilm s.r.o. Punkchart films s.r.o. Ceska televize innogy Ceska republika a.s. Barrandov Studio a.s. 2025

 

映画『ブロークン・ヴォイス』は、9月19日(土)より全国の劇場で公開。関西では、9月25日(金)より大阪・梅田のテアトル梅田や京都・烏丸御池のアップリンク京都、10月31日(土)より神戸・元町の元町映画館で公開。

目標や夢に向かって頑張る子供を支え、アドバイスをして、導いていく立場の大人は、尊敬や憧れの対象になることがある。何ら変なことではない。指導者である大人に対して信頼があるからこそ成り立っている。それは技術によるものなのか、人柄なのか、はたまた好意なのか。人によって様々だろう。だが、信頼していた大人による裏切りは2026年現在も無くなっていない。毎月必ず、と云っていい程にニュースで取り上げられる。日の下にさらされないものも含め、絶えることがない。

 

本作はチェコで起きた実在の事件をベースにして、少女が自分の身に降りかかった出来事にどのようなプロセスで気づいていくか、を丁寧に描いている作品だ。丁寧に描いた、と云っても、よくない出来事である。勿論、起きる出来事を悪いこととして描いているが、だからといって断罪するための映画ではない。そのため、以下の内容を読み、トラウマを掘り起こされたくないと感じた方は避けてほしい。

・グループ内で順位を競う(競わされる)必要がある環境で生じる嫉妬から発生するイジメ

・指導者による生徒に対するグルーミング行為

を注意して観てほしい。

 

まず映画の本質とは別に、映し出される映像の綺麗さがある。特に、雪山合宿の光景は少し憧れてしまうような白銀の世界だ。だが、雪で閉ざされた山荘だと思うと、閉鎖空間的な怖さもある。また、本作での合唱シーンは、カメラの前で実際に録音しているようだ。荘厳で神秘的な合唱に魅了されてしまうが、主人公が夢を見た場所であると同時に、苦しめる環境にもなっていくことから、複雑な気持ちになってしまう。ある合唱団とその指導者が合宿し、アメリカでのツアーに出る。1人の少女が直面した社会の厳しさ、駄目さ、自身の欲が痛いほどに描かれていく。主人公の少女はある合唱団のBチームに所属しているが、ゆくゆくは姉がいる選抜チームに入ることを夢に見ている。そんな少女は、選抜チームの指揮者に見出され、選抜チームの合宿に参加することになっていく。指揮者は、合唱のことになれば、ひたすら厳しい。厳しいどころか、恐怖すら感じるレベルだ。気に食わなければ容赦なく家に返すし、怒鳴り散らしていく。それ以外の場面では気さくに振る舞ったり、一緒になって歌ったり踊ったりしてくれる。選ばれることを目指す彼女たちは指揮者の振る舞いに疑問を抱いても、そんなことがなかったかのように振る舞う。実害を被っていない人は、良い人とさえ思っているのではないだろうか。主人公は実力を見出され、次第に立場が良くなっていく。最初から選抜チームにいた先輩たちからすれば気持ちいいものではない、と感じてしまうほどに気に入られている。彼女を取り巻く環境はどんどん悪化していく。そんな環境の中で、自分を認めてくれる大人は輝いて見えることだろう。違和感にも目をつぶれてしまうくらいに眩しいだろうか。ただ、その大人が真に善人とは限らない。それでも自分は可愛がられているんだ、選ばれたんだ、と正当化してしまうものだ。心の何処かでは気づいていて、許せなくなる瞬間が訪れる。なぜ声を上げられないのか、なぜ抵抗できないのか。この映画ではパートごとに同じ音を奏で、リズムを合わせ、指揮者の指示に従う合唱団という環境を使ってじわじわと意識させていく。丁寧に描けば描く程、言葉にならない叫びが聞こえてくる。

 

日本の子供が置かれている環境はどうだろうか。ルールやマナー、親の目、人の目、成功に繋がる経験、成長に必要なことなど、挙げればキリがないほどに様々なことを気にしなければならない。これらを半ば強制的にさせられる。同調圧力も強い。そんな環境下では、自身の弱みや失敗、付け込まれた事実に声を上げられるだろうか。子供も大人も関係なく声を上げ、逃げられる世の中であってほしいと願うばかり。個人主義が進み、皆が効率的なことばかり考える現代において、良い手本になる大人が子供を指導する環境は維持し続けられるのだろうか。芸術分野だけの懸念ではなく、ありとあらゆる指導者を必要とする子供にとっての懸念事項である。

fromブライトマン

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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