Now Loading...

関西の映画シーンを伝えるサイト
キネ坊主

Now Loading...

関西の映画シーンを伝えるサイト
キネ坊主

  • facebook

独自の映画世界を構築してきたフランマルティーノの特集上映「ミケランジェロ・フランマルティーノの驚くべき世界」がいよいよ劇場公開!

2026年6月16日

イタリア映画史において唯一無二の存在感を放つ映像作家であるミケランジェロ・フランマルティーノの特集上映「ミケランジェロ・フランマルティーノの驚くべき世界」が、6月19日(金)より全国の劇場で順次公開される。

 

ミケランジェロ・フランマルティーノは、イタリア映画史において唯一無二の存在感を放つ映像作家。その作品は、言葉に頼らず、南イタリア・カラブリアの荘厳な風景や、そこに刻まれる時間の神秘を静謐なカメラワークで描き出す。人間、動物、大地、そして闇──すべての存在が等しく尊厳を持ち、調和の中で生きる様子を映し出すその世界には、誰も見たことがない驚きと畏敬が満ちている。情報が溢れ、膨大な映像が消費される現代において、フランマルティーノの映画は「見る」という行為の根源的な意味を問いかけていく。そこにあるのは、明快な物語ではなく、光と影の移ろい、風のささやき、動物の息遣い──世界そのものの奇跡を感じさせる、詩的で豊かな映像の連なり。カラブリアという古の土地を舞台に、消えゆくものへの惜別、生命の循環、そして未知の世界への探求を描く作品は、観る者の心に静かな驚きと深い余韻を残す。それは、現実を超えた世界の奥行きに触れる映画体験であり、私たちを神秘とワンダーの中へと引き込んでいく。本特集では、デビュー作であり日本初公開となる『おくりもの』(4Kレストア版)、カンヌ映画祭で喝采を浴びた『四つのいのち』、そしてヴェネチア映画祭で3冠に輝いた『地底への旅』の全長編3作品を一挙上映。フランマルティーノが描き出すのは、言葉を超越した「存在の映画」の極致。目の前に広がる驚きと美しさを、ぜひ映画館で体感を。

 

映画『おくりもの』(4Kレストア版)は、イタリア映画界で異彩を放つ孤高の映像作家ミケランジェロ・フランマルティーノ監督が2003年に発表した長編デビュー作。監督の祖父であるアンジェロ・フランマルティーノを主演に迎え、人口流出によって廃村寸前のカラブリアの小さな村を舞台に、老いた男の人生最期の日々を独特のユーモアとともに静かに描き出す。
南イタリアの過疎化が進む田舎の村に暮らす老いた男。ある日、老犬の埋葬を手伝ってくれた青年たちが、携帯電話とともに1枚の紙きれを忘れていく。それは、個人的な目的で撮影されたヌード写真だった。後日、老人は村でひとりの女性に目を留める。その女性は、写真に写っていた人物で…
プロの俳優は使わず、その土地に生きる人々とともに撮影し、「伝統と現代性」「生と死」「共同体と孤独」といった普遍的なテーマを、静かな映像詩として描き出した。

©Santamira – Coop. CA.RI.NA.

 

映画『四つのいのち』は、イタリアの映像作家ミケランジェロ・フランマルティーノ監督が描く、生まれては死んでいく4つの命の物語。ピタゴラス派の「四つの転生」の思想に基づく構成の中で、人間の世界を中心に置かない、根源的に平等な視点から、人間、動物、植物、鉱物を同じ重みで映し出す。
南イタリア・カラブリア地方の山村で暮らす年老いた牧夫が静かに息を引き取った後、彼の仔山羊はもみの大木に身を寄せて息絶える。その大木は村の祭りのために切り倒され、やがて木炭となる。
一切のセリフを廃し、長回しの映像で自然のありのままの姿を描き出す。日本では2010年の第23回東京国際映画祭のnatural TIFF部門で上映された後、2011年に劇場公開された。

©2010 VIVO FILM, ESSENTIAL FILMPRODUKTION, INVISIBILE FILM, VENTURA FILM

 

映画『地底への旅』は、生命の循環を描いた『四つのいのち』がカンヌ国際映画祭で高い評価を受けたミケランジェロ・フランマルティーノ監督が、イタリアの高度経済成長期という歴史的文脈を背景に、人間が未知の領域へと踏み込む行為の意味を問うた一作。2021年の第78回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で審査員特別賞を受賞した。
若い探検家たちは地図もない状態で地下683メートルの未踏の地へと挑み、アセチレンランプの光を頼りに洞窟の構造を測量・記録していく。一方、地上では老羊飼いがポリーノ高原の広大な自然の中で、病に苦しみながらも静かに最期を迎える準備を進めていた。
老羊飼いの死が、洞窟探検家たちが深淵の最深部に到達する瞬間と重なることで、生と死、時間と空間の壮大な循環を描き出す。撮影監督は、ジャン=リュック・ゴダールやエリック・ロメール、ダニエル・シュミット、マノエル・ド・オリベイラなど、数々の名監督との協業で知られる名手レナート・ベルタ。日本では第34回東京国際映画祭のワールド・フォーカス部門で『洞窟』のタイトルで上映された。

©2021 Doppio Nodo Double Bind, Essential Films, Société Parisienne de Production, Arte France Cinema

 

特集上映「ミケランジェロ・フランマルティーノの驚くべき世界」は、6月19日(金)より全国の劇場で順次公開。関西では、6月19日(金)より大阪・梅田のテアトル梅田、6月20日(土)より神戸・新開地のCinema KOBE、6月26日(金)より京都・烏丸の京都シネマで公開。

今回の特集上映で、初めてミケランジェロ・フランマルティーノ監督を知った。
人や自然や動物や音や時間。それそのものを、見えたまま、聞こえたまま閉じ込めているような映像・音の数々に心を奪われた。そして彼の映画に登場する人間は”セリフ”を殆ど発さない。会話をしていたとしても、あくまでそこにいる人の会話が聞こえてくる程度で、それを重視してはいない。とにかく徹底して南イタリアのカラブリアという土地を眼差し、人間や世界の普遍的な問題を真っ直ぐ考える。また、それを続けることで人間のおかしみだけでなく、なぜ世界は人間中心なのだろうという疑問や、自分たちがつい頭に作ってしまっている”普通”を改めて考え直せるような気がしている。

 

 

『おくりもの』(4Kレストア版)

2003年に発表した、ミケランジェロ・フランマルティーノ監督のデビュー作。日本では今回が初公開。南イタリア・カラブリアのある小さな街は過疎化が進む。ある老いた男の愛犬が亡くなり、街の青年とともに埋葬する。度々映される浜辺で座礁した船が印象的だ。波を受け続け、どんどん朽ちていく様は、人が老いていく様子と重ねて見ることができ、抗いようもなくそれでも何か美しくも感じてしまう時間の流れと人生を見事に表現していると感じた。

 

そして、きれいな街並みの中にもある闇。ある女性がおそらく家計を助けるためにあることをさせられている様子が映し出される。決して許されることではないが、街を映すとなった時に隠されてしまう暗部さえ、そのまま映し出し、主人公の態度でNOを突き付ける様子にこの監督の誠実さを見た。主人公の老人を自身の祖父に演じさせているのもそこに対する意思のように感じる。

 

『四つのいのち』

『おくりもの』から7年後に公開された本作は、カンヌ国際映画祭を熱狂させた映画とのこと。人間を中心に据えず、人・動物・植物・鉱物を並列に捉え、シンプルに時の流れを体感できる映画である。この映画を見た後、カンヌが熱狂したのも分かる気がした。映画を物語として語りすぎていないのに、命の循環が静かに映し出されている姿を目にして感動を覚えた。

 

南イタリア・カラブリアの丘にある村に暮らす老いた男は、病を治すために教会の床の塵を水に溶かして飲む、という迷信的治療法に頼っている。ある夜、集めた塵をどこかへ落としてしまったことに気づき、夜中なのに慌てて教会に向かう。教会は当然開いておらず、塵を手に入れることは出来なかった。その後、彼は亡くなってしまう。飼われていたヤギたちは、あるアクシデントをきっかけに囲いから解き放たれ、その後別の牧夫に引き継がれる。生に執着するあまり迷信に頼りたくなる気持ちはなかなか共感できないため、その姿は滑稽に見えるが、同時にそれでも生きたいという尊さも感じてしまった。ヤギが街に解き放たれる様はシンプルに心が躍った。奈良に住んでいる私は、ある意味見慣れた光景だが、シカに比べてヤギの「何考えているか分からない」雰囲気に恐怖も感じた。放たれるきっかけも含め最高のシークエンスだった。この丘の上の街は決して便利な街ではないし、『おくりもの』に出てきた闇の部分もあるだろうし、街ぐるみで一体感がありすぎるのも個人的にはしんどくなる気もしている。それでも何か、現代で失われているように感じるスローな生き方や雰囲気を羨ましく感じる自分もいる。

 

『地底への旅』

『四つのいのち』から11年。地球の表面で蠢いているかのような存在を映してきたミケランジェロ・フランマルティーノ監督は、視野を地下にまで広げた。地上では、老いた牧夫が高原の雄大な自然の中で病に侵されながらも、静かに死を迎える準備を進めている。若い探検家達は、地図なき地下を測量するため、ランプの光を頼りに未踏の深淵へ潜り進める。彼らの様子を丘の上から見つめる老いた牧夫は何を感じているのか。知らずにはいられない人と、自分の知りえる範囲で過ごし続ける人。どちらが良いでも悪いでもない。知ることで進歩することもあれば、見失い取り返しのつかないこともあるはず。恐怖と向き合いながら、それでも人類は未知の領域へ踏み込み続ける。人生も、必ず迎える死という存在に向かって勝手に突き進む。最後の最後まで死が何かを完全に知ることはできないので、歳を重ねるたびに恐怖も増していくのかもしれない。こんなに静かに穏やかに死を迎えられるのなら少しは恐怖も和らぐ気がするが、自分のその瞬間は、こんなに穏やかに迎えられる気がしないので、ジタバタするのだろう。老衰できるとも限らないし。だからこそこの映画を静かに見つめる時間に魅力を感じた。

 

今、エンターテイメントの世界は、分かりやすいものや刺激的なものがもてはやされ、数字を常に気にすることを求められ、消費されている。そういうものに浸りどんどん加速しているように見えるし、疲弊しているようにも見える。そんな中でもより良いものが現れることは間違いなく、極端な否定こそしないが、こんなにスローで答えを出そうとしていない映画を映画館という空間で見るということは、とても豊かな時間だなと私は感じる。映されているものをただ眺め、感じ、浸る時間は最高のヒーリングだ。私は映画館にそれを求めている節があり、この映画に出会うことができて本当に良かったと思っている。願わくば、こういった映画がこれからも見られる世の中であってほしい。

fromブライトマン

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

Popular Posts