ドキュメンタリーは極めて主観的かつ暴力的なフィクション…『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』佐井大紀監督に聞く!
1967年放送の問題作、劇作家の寺山修司が日本について問うテレビドキュメンタリー『日の丸』を、寺山没後40年を迎える2023年に蘇らせたドキュメンタリー『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』が全国の劇場で公開中。今回、佐井大紀監督にインタビューを行った。
映画『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』は、寺山修司が構成を手がけた1967年放送のテレビドキュメンタリー『日の丸』を現代に再現したドキュメンタリー映画。街ゆく人々に「日の丸の赤は何を意味していますか?」「あなたに外国人の友達はいますか?」「もし戦争になったらその人と戦えますか?」といった日本人の本質に迫る挑発的インタビューを敢行した67年『日の丸』は、放送直後から抗議が殺到し閣議でも問題視されるなど大きな反響を呼んだ。TBSのドラマ制作部所属で本作が初ドキュメンタリーとなる佐井大紀監督が、自ら街頭に立って1967年版と同様の質問を現代の人々に投げかける。ふたつの時代を対比させることで「日本」や「日本人」の姿を浮かび上がらせていく。
1967年放送時に大きな反響を呼んだ『日の丸』を用いるため、本作も簡単には企画が通らなかった。まず、総合プロデューサーを務めた秋山浩之氏が報道のベテランとして1960年代のドキュメンタリーのアーカイブも担っていたこともあり、佐井監督は秋山氏に入念に相談していく。そして「TBS DOCS」全体を担っている大久保竜氏が企画をおもしろがり、少しずつ物事が進んでいった。TBSとしては不安要素がある企画ではあったが、結果的にこの度手掛けることができたのだという。
制作過程で「寺山修司は、個人に対して『あなたはどう思うのか』『あなたは一体何者なのか』と問おうとした」という『日の丸』の本質を掴んでいき、「政治的な要素が入ってくると、作品を矮小化してしまう」と佐井監督は危惧したという。作中では、Twitterでも街頭と同じ内容の質問を投げかけており「政治的な批判をする人も実際にはいた。だが、それを取り上げると、作品のテーマが矮小化してしまうのは明らかだった」と語っている。そして本作は“個人にアイデンティティを問う作品”として制作が進み、「そうすると自ずと過激な要素は無くなっていく。寺山修司の言葉を借りるなら、”詩的”なものになっていく」と気づけたと監督は語る。あくまで質問を投げかけているだけで、なにかを断言するようなことはしておらず、「日の丸についてどう思うか聞いているだけなので、議論が炎上する要素がない。裏に持つ要素を推測しても、推測の域を越えない。炎上せず何も起きない、という現象が起こっていた」と俯瞰している。
とはいえ、街頭インタビューを実施していく中で、95%の方に断られたという。佐井監督自身も心が折れたが「数を打つしかなく、その中で答えてくれる人がいた。答え始めてくれた方は応えてくれる。目を合わせず去っていった人は、もう追いかけてもしょうがない」と実感。1問目に答え始めてくれた方は、そのまま答え続けてくれる可能性が高く「質問を進めていく途中で立ち去ろうとする人がいたら、締め括って自分の身分を明かし、番組や映画の意図を伝えて承諾を得て使わせて頂く」と真摯な姿勢で接した。「承諾を得られなかった方は一切使っていない。作品に同意して頂いてお名前を頂いた方には自分の連絡先を渡し、『後になって、使わないでほしい、と思ったら連絡を下さい』と全て伝えています」と丁寧に対応していったという。今や、大きなビデオカメラを携えていても、YouTuberなのかTV局なのか誰もが判断できなくなっている。「TBSの腕章をあえてしていません。TV局だからといって、勝手になんでも撮っていいわけではない。望まぬ人が写らないよう配慮することは、世の中のルールだという認識が全ての方の中にある。名乗らずに急にセンシティブな質問を矢継ぎ早にやったら、どこの誰だろうと怒ります。まず身分を名乗ることが筋」という感覚も携えており「1960年代当時、TVには圧倒的な力があり、取材を断ることがしづらかったと思う。また待ちゆく人達は、現代以上に文脈を求めずとも、自分の中に国家や日の丸への答えをある程度持っていた。現在は、この真逆なのかもしれない」と、様々な方に観てもらい意見を頂く中で認識がめばえていったという。
街頭インタビューは東京都内で実施しており「可能であれば、地方を取材したかった。とにかく時間とお金がなかった」と悔やみながらも「日本の或る種の象徴としての東京という街。 “東京”という文化も政治も経済も入り乱れている混沌とした場所に住む、不特定多数の人を見てみたかった」と話す。なるべく若い人に聞いており「若い人がいそうな街、例えば渋谷や新宿。映像的な色っぽさを表現したくて、あえて円山町のラブホ街で聞いてみたり、新宿歌舞伎町のど真ん中で夜に聞いてみたりした」と明かし「おそらく夜のお仕事をしている女性にも多く声をかけていますが、全員去っていってしまい、答えてくれなかった。そういうところにいると『顔を出さないでくれ』と言い放つ男性と出会えてしまう。アクシデントを求め、意識的にハレーションが生まれそうな場所に自らを投下しました」と語る。若者でも晴れ着を着ている女性が答えてくれた場合もあり「年齢ではなく、考えを持っているかどうか。渋谷や新宿はほとんど答えてくれなかった。休日の浅草が持っている観光地としての空気感の中では答えやすかったのかな」と察している。
街録を撮り終え、編集作業に向かうが、当初は「どうしたらいいか分からなかった。どうしてこの手法をとったのか」と困惑してしまう。だが「寺山修司は何を考えていたのか、なぜこんなことを企てたのか」という気持ちにフォーカスし、当時を追体験していく構成にしていった。「ドキュメンタリーは極めて主観的で、暴力的なもの。自分で取材内容を決めて、取材対象者を決めて、聞いて撮影して編集して構成していく。事実の集積として、物事の真実を捉えているように見えるけども、主観的なフィクションである」と気づき「自分自身の関心や思いにのせていく構成にしよう」と舵を切り、俯瞰することも止めていく。「自分の視点で編集していけば、この目線を鑑賞者と共有できる」と確信し、主人公に感情移入しながら物語を追っていくスタイルに。「寺山修司は文脈を与えずに、矢継ぎ早の質問が街中に現れて戸惑う様子を紡いでいくことを『日の丸』の趣旨にしている」と理解し「僕は映画として目線を付けたかった。『日の丸』をゼロイチで産み出した人間ではないので、距離をとって寺山修司を見つめる目線は必要。その目線にお客さんも乗ってもらう」と方針を決め、編集も自身で最後までやり遂げた。
完成した作品は「TBSドキュメンタリー映画祭 2022」で上映された後に劇場ロードショー公開。寺山ドキュメンタリーに関わりのある、シュミット村木眞寿美氏や今野勉氏にインタビューした映像を追加しており「当時の人達がどのような思いで作ったのかを探求していく僕の目線を強めた。過去を見ていくと、映し鏡として現代が見えるようになっていく。僕という目線を通して観客にも経験してもらう。追加取材を行ったことで、構成が強固になった」と印象深い。なお、試写段階では、鑑賞者は沈黙している印象があったが「劇場に観に来て下さる方は、直接感想を伝えて下さる。観た方がSNSや映画感想アプリで発信して下さることで、自分も言っていいんだな、という感覚になってくれればいいな」と願っており「最近日の丸に対して自分のスタンスをとることが難しくなっているよね、という作品。映画が示唆している通りに、皆が沈黙している印象が多かった。でも、この映画を観て、自分の中で何かが起きて、それを発信する行動に移すことが、この映画の存在意義だと思っている。もしかしたら何かが回り始めるかもしれない」と新たな兆しを感じ始めている。
そして、佐井監督は、新作ドキュメンタリー映画『カリスマ~国葬・拳銃・宗教~』も先日完成させたという。こちらは「TBSドキュメンタリー映画祭 2023」で上映予定だ。普段はTVドラマの助監督の仕事もしている佐井監督は、撮影現場でエキストラの方と向き合う機会が多く、「エキストラさんは、画面を美しくするために、言われた通りの動きをする。その在り方と同じように、社会というフレームの中では、社会人皆がエキストラなんじゃないか。皆が自分の人生を主役として生きているのだろうか」と関心事になっていた。そこで、安倍元首相の国葬に行き「安倍元首相という主役と、お花をたむける人と国葬に反対している人がいる。(参列者を)エキストラという言い方は適切ではないが、日本社会では主役ではないのかな」と感じ、インタビューを遂行した。また、山上被告による事件を受け、1960年代19歳の永山則夫が日本各地で拳銃を使って起こした殺人事件を想起し「『あの事件は、当時の日本の貧しい農村に起きたネグレクトという社会構造から生まれたのではないか』と論じる人がいる。(その考えを借りると)山上被告の事件は、政治と宗教の密接な関わりという社会構造の中から生まれてきた殺人ではないか。2人とも同時に拳銃に魅せられていた。逸脱した個人が拳銃を握るのか。あるいは拳銃を手にしてしまったことによって、より一層社会から逸脱していくのか。永山則夫を追求することで、鏡となって、山上被告がうつって来るのではないか」と説く。さらに、約40年前に千石イエスと言われた千石剛賢が聖書の勉強会を開いて、当時10代の若い女性信者と皆で共同生活をしていたという「イエスの方舟」も取り上げている。「皆で日本中を逃げ回り、メディアは彼らを執拗に追い掛け回していました。しかし、本当は家出少女をかくまっていただけというのが実態だった。現在も「イエスの方舟」に所属し、聖書を勉強することでキリスト教にふれ、自分の人生を主役として生きている女性たちにインタビュー。彼女たちの信仰と個人の在り方を映すことで、鏡のように統一教会というものをうつし出す」と解説。「永山則夫を通して拳銃魔を、イエスの方舟を通して宗教を。エキストラを見つめることで、カリスマが見えてくる。逆のものを見ることによって、本体は不在だけど、本体が浮かび上がってくる」という形で、社会構造を捉えた作品になっており「映画の中では、この意図を言葉では説明していないですが、観た人に感じ取ってもらえるような演出にしています。統一教会や山上被告、安倍晋三周辺にもあえて取材はしていない。取材しないことによって、逆に影のようにそれらが浮かび上がってくる。対象者を取材することによってその人間性が見えてくる、ドキュメンタリー本来の手法とは逆の手法を試みました」と語る。
映画『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』は、全国の劇場で公開中。関西では、大阪・梅田のシネ・リーブル梅田、京都・烏丸御池のアップリンク京都、神戸・三宮のシネ・リーブル神戸で公開中。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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