災いのもととなる“扉”を閉めていく旅をする少女の解放と成長を描く『すずめの戸締まり』がいよいよ劇場公開!
(C)2022「すずめの戸締まり」製作委員会
平穏に暮らしていた少女がある青年との出会いがきっかけで災いを呼び込む扉の存在を知り、戸締まりの旅に出る『すずめの戸締まり』が11月11日(金)より全国の劇場で公開される。
映画『すずめの戸締まり』は、日本各地の廃墟を舞台に、災いの元となる「扉」を閉める旅に出た少女の冒険と成長を描いた長編アニメーション。九州で暮らす17歳の岩戸鈴芽(すずめ)は、扉を探しているという旅の青年に出会う。彼の後を追って山中の廃墟にたどり着いたすずめは、そこだけ崩壊から取り残されたかのようにたたずむ古びた扉を見つけ、引き寄せられるようにその扉に手を伸ばす。やがて、日本各地で次々と扉が開き始める。扉の向こう側からは災いがやって来るため、すずめは扉を閉める「戸締りの旅」に出ることに。数々の驚きや困難に見舞われながらも前へと進み続けるすずめだったが…
本作では、『君の名は。』の世界的ヒット以来、国内外で高く評価されている新海誠監督が、美しい色彩と音楽で描きだす。『罪の声』『胸が鳴るのは君のせい』等に出演してきた若手俳優の原菜乃華さんが、オーディションを経て主人公すずめ役の声優に抜擢。音楽はRADWIMPSと陣内一真さんが担い、「すずめ feat.十明」「カナタハルカ」が主題歌として奏でられる。
(C)2022「すずめの戸締まり」製作委員会
映画『すずめの戸締まり』は、11月11日(金)より全国の劇場で公開。関西では、大阪・梅田のTOHOシネマズ梅田や大阪ステーションシティシネマ、難波のTOHOシネマズなんば、京都・二条のTOHOシネマズ二条や三条のMOVIX京都や七条のT・ジョイ京都、神戸・三宮のOSシネマズミント神戸等で公開。
いつも新海誠には驚かされてばかりだ。『ほしのこえ』から『天気の子』まで強い作家性が刻まれているが、決してワンパターンではなく、今と未来を見据えた作品を作り続ける作家へと成長している。なぜ彼は成長し続けるのだろうか?なぜなら新海誠は「対話の人」だからだ。彼は制作に関わるスタッフからの意見も積極的に取り入れ、作品を通じて観客とのコミュニケーションを図ろうとしている。他者との繋がりや断絶を繰り返し描いてきた彼らしいアプローチだ。そして、3年ぶりの新作である『すずめの戸締まり』もまた、他者との繋がりやどうすることもできない断絶を描き、これからの未来を見据えた作品になっていた。
九州で暮らす女子高校生の岩戸鈴芽は、閉じ師を生業にしている宗像草太と出会う。彼は誰もいなくなった場所に佇む扉の鍵をかけ、人知れず災いを防いでいる。そして、鈴芽は草太とともに日本中に点在する忘れ去られた場所を旅することになる。あらゆる場所に人々の営みがあり、記憶が刻まれている。しかし、時の流れによって風景も暮らす人々も変わり、いつしか忘れ去られてしまう。あるいは、不条理な理由で繋がりが断たれ、悲しくも寂れていった場所もある。そして、廃墟と化した場所には言葉にならない閉塞感や諦観、消えていった記憶が降り積もっていく。
鈴芽と草太の旅は忘れ去られた場所に刻まれた記憶や人々の繋がりを再確認する旅だ。忘れ去られた場所を悼み、記憶に思いを馳せながら扉に鍵をかける。そして、旅の中で様々な人と出会い、縁を繋げていく。記憶も人との繋がりも簡単に壊れてしまう。それでもまた誰かに「行ってきます」と言うために、繋がりや居場所を求め続ける。目の前で起こる災いに立ち向かう物語は、忘却という名の断絶に抗う物語なのだ。
そして、鈴芽はもう一つの断絶と向き合わなければならない。彼女が向き合う断絶とは一体何なのか。察しのいい方なら、とある新海誠作品を思い出すかもしれない。テーマもすごく似ていて、世界観も通ずるものがある。しかし、これまでの新海誠作品とはどこか違う。彼の作品が好きな人ほど驚いてしまうのではないだろうか。ただ、間違いなく新海誠は更に新しいステージに踏み出したと言える。彼の成長やメッセージを受けた観客はどんな反応を見せるのだろうか。新海誠を敬愛してやまない筆者としては今から楽しみである。
fromマリオン
ファン待望の新海誠監督最新作は、ボーイミーツガールから始まり、セカイ系と…従来の作品要素をふんだんに含んだ、監督らしさ溢れる作品となっている。
『天気の子』では、「世界を救うか、1人を救うか」という二者択一に対し、驚くべき決断を下したことが記憶にも新しい。世の中における社会規範の圧が息苦しさを感じる昨今、個人を尊重するような作品の優しさが、まさに雨上がりの曇天に差す光明のようだった。一方、『すずめの戸締まり』は、『天気の子』から更に一歩先を描く物語のように見えた。基本的なセカイ系とも言える「ボーイミーツガール」「世界を救うか壊す可能性のある少女」というフォーマットを、本作は全て逆転させている。恋に落ちるのは少女で、世界を救う力を持っているのが男性だ。セカイ系の文脈の中に「3.11」という現実的な背景を使用することで、”壮大な運命を背負っている私”でも”個人単位の行動しかできない私”という、物語における大小の対比が観客にもすんなり受け入れられるように思える。「個人単位の行動しかできない」という部分も、1人の女子高生にできる行動の限界を事前に決めているのか、すずめには保護者がいたり、周りの協力者の中で成り立っている旅というのが作中度々描かれていく。等身大の環境を提示することで世間受けしやすいのは『君の名は。』で、監督が証明している事実でもある。
田舎の高校生が都会に出ていく様子も、従来の監督作品が好きな人には刺さるポイントであり、ロードムービーとしても、神戸や東京など現実世界とリンクすることで、観る側の楽しさが倍増してしまう。世界を救うかどうかの瀬戸際においても、序盤から差し込んでいる世間の日常の様子を描いたシーンが積み重なることで、世界か個人かを選ぶ少女の葛藤が、よりリアルに映し出されていた。そして『すずめの戸締まり』が凄いのは、更に先へと物語が突き動くからなのである…
fromねむひら
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
- 最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!