地球のためにミニマムな暮らしをするなら、ムラブリから学び生活の中に取り込んでいかないといけない…『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』伊藤雄馬さんと金子遊監督に聞く!
タイ、ラオス、ミャンマーにかけて広がる山地で狩猟をしながら暮らす少数遊動民のムラブリを、世界で初めて撮影したドキュメンタリー『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』が関西の劇場でも5月28日(土)から公開。今回、伊藤雄馬さんと金子遊監督にインタビューを行った。
映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』は、タイやラオスの森で暮らす少数民族・ムラブリ族を追ったドキュメンタリー。インドシナ半島のゾミアと呼ばれる山岳地帯で、森の中を移動しながら狩猟採集生活を続けてきたムラブリ族。バナナの葉と竹で寝屋をつくって野営し、平地民から姿を見られずに暮らす彼らのことを、タイの人々は「黄色い葉の精霊」と呼ぶ。ドキュメンタリー映画『ベオグラード1999』等の金子遊監督が、ムラブリ族の言葉を研究する言語学者である伊藤雄馬さんと共に2年にわたってムラブリ族の姿を記録。タイ北部に暮らすムラブリ族最大のコミュニティを取材するほか、ラオスで昔ながらの狩猟採集を続けるグループへの接触を試み、ムラブリ族の謎めいた生活を世界で初めて撮影することに成功した。
大学での人類学の授業で、当時放送されていたTV番組「世界ウルルン滞在記」でのムラブリ族に関する映像を初めて観た伊藤さん。「何処かの言語を研究したい」と検討していた中で「ムラブリ語は、特にイントネーションの響きが綺麗だった」と強く印象に残っていた。指導教官の先生にムラブリ語について尋ね、知り合いの先生を紹介してもらい、偶然が重なった末に、本格的にムラブリ語を研究することに。そもそもは、フィールド言語学という分野に携わり、現地を訪れないと調査出来ない言語を探していた。フィールドワークを前提としており「ムラブリ語は文字がないので、現地を訪れて聞くしかない」と決心する。
タイやミャンマーの少数民族に興味があった金子監督は、本を執筆するために2017年2月から3月にかけて現地を旅していた。以前、民族学者のベルナツィークが書いた『黄色い葉の精霊』を読んでおり「タイの北部を訪れ、今のムラブリ族はどのような生活をしているだろう」と探訪。ガイドを連れてムラブリ族が住んでいる村をどうにか見つけ、インタビューや撮影をしていたら、伊藤さんと出くわした。「村に滞在し小屋を建てて生活しながら、ムラブリ語を研究して10年以上経つ」と聞き、日本人と会うことに驚いていたら「タイ側に定住しているがラオス側に現在も森の中で暮らしている10数人程度の集団が存在し写真や映像の記録がない」と知る。「ムラブリ族が3つの集団に分かれており、お互いに人喰いだといがみ合ってしまい100年以上会っていない。お互いを引き合わせてどのような反応が起こるか、プロジェクトにしたい」と聞き「長編ドキュメンタリーになる」と直感。2年半程度をかけて本作の制作をすることになった。
ムラブリ族は、文字がないムラブリ語を話すと共に何種類もの言葉を話す。また、北タイ語や標準のタイ語も周辺にいる民族の言語も話す方もいる。伊藤さんは、まずはタイ語を勉強し、少し話せるようになった状態で訪れ、タイ語で「目はどういいますか?」「鼻はどうですか?」と少しずつ尋ねていきながら、ムラブリ語を理解していった。習得にあたり、国際音声字母という発音記号のようなものを使って書き起こしており、どの言語でも対応できるようにしている。
撮影にあたり、タイ側のムラブリ族は伊藤さんが10年以上の付き合いがあり、協力的な姿勢に金子監督は助けられた。伊藤さんを通じて親しくなっていき「昔ながらの生活を撮影したい」とお願いしてみると、嬉々として説明してもらったり、お酒の席で焚き火の前になると饒舌になってフォークロアを話してもらったりしながら、良いシーンが撮れた手応えを感じている。ラオス側のムラブリ族については、見つかるか分からない状況の中で探しに向かっており「伊藤さんをフレームに収め、途中からは映画のナビゲーターとして、彼の視点で観れるようにしよう」という方針で、フィールド言語学におけるフィールドワークに付いていくような体感を演出した。とはいえ、伊藤さんの説得も大変であり、踏み込む勇気や決断力によって、無事に行って帰って来ることが出来た。なお、民族内での古からの対立にも出くわすことになるが、伊藤さんは、無理やり会わせようとはせず「彼らがどうしたいのか見たかった。僕も会わせたかったが、彼ら自身が会いたいならば、会ってほしいな」という思いを以て取り組んでいく。神話や長い伝統もある出来事であるため「研究者であり部外者の私がどこまで入り込んでいいのか」と熟考しており「歴史の中で様々な人達が行き来する中で、人の営みが進んだり離れたりしている。その流れの中に自分がいる。『お前のせいでこうなったじゃないか』と云われても仕方ない」と納得。互いの意思を聞き、尊重した上で「自分が無理にならない程度にお互いに影響を与え合う中で実現できることがある」という一心で取り組んだ。本編のラストシーンは最後に撮っており、金子監督は「伊藤さんが聞き取った会話の内容を訳してもらい、これはラストシーンになる」と確信し、ムラブリ族に向けたカメラを収めている。
編集にあたり、金子監督を様々な手法を想定。「フレームの中に伊藤さんを入れ、取材をしている側はドキュメンタリーでは隠されることが多い。だが、今回は取材する側を入れて見せていく。観客が現地でフィールドワークに参加しているような臨場感を出すことを大事にしてきた」と説き「今回は、ダイレクトシネマをやろう。映像と音声でなるべく感じ取ってもらおう」と決断。森の音や虫の声で感じ取ってもらうべく、テロップやナレーションや劇伴を入れず、ダイレクトシネマに忠実な方法論で作っており「一度見ただけでは、位置関係が分からず、頭が混乱してしまうが、一生懸命に観てくれて理解しようとしてくれている。何度も観られるし、長く観られる映画になったんじゃないかな」と纏めた。
出来上がった作品について、伊藤さんは「ムラブリ族が好きで研究をやっていて、自分が好きなことを様々な方に知ってもらうのは研究者冥利に尽きる。一生の中であるかないかのイベント」だと素直に喜んでいる。とはいえ「決して個人的なことではない。映画の上映は様々な人のおかげ」ということは前提として「このタイミングで公開されることに意味がある。30年前なら、珍しい人達の生活だね、で終わっている」と理解していた。既に劇場公開している東京での感想を聞いていくと「安心した」「勇気をもらえた」という反応が届いている。金子監督との出会い等を経て「偶然が重なって、この映画が今のタイミングで公開されている。今だからこそ、日本の皆さんに観て頂いたら、何かしら自分事として受けとめられる」と実感しており「様々な人に観て頂いて、今の時代の中でどういう感想を持たれるか。僕にとっては、日本はこういう時代なんだな、と分かる物差しになるのかな。様々な方に観て頂けたらな」と期待は大きい。
コロナ禍により、伊藤さんは2年間ムラブリ族に会いに行けておらず、ムラブリ研究がストップしている。だが、言語の研究は続けており「言語と身体」という分野についてずっと興味を持っていた。独立したタイミングでこの研究を始めて、武術から「言語と武術」若しくは「身体と言語」で研究を重ねていき、親和性があることは承知。「言語は、ある意味では身体である。武術的には、型的要素が強い。そんな発見があり、体系が出来つつある。ワークショップを展開していけたら。言語と身体性は切り離せない。日本語と英語では、体の使い方が違う。ムラブリ語を喋っている時だとムラブリ的な身体との相性が良くなる。既存の研究からは外れますが、様々な形で発表していけたら」と願っている。金子監督は「人類が化石エネルギーを中心にエネルギーを消費して地球の気候自体が大きく変動している。同時にして、巨大地震が起きている。この時代にムラブリ族の素朴な人達を捉えたドキュメンタリーが合っている」と受けとめており「僕達の文明が近代の中で持続可能な地球環境を破壊してしまっている。自分達の生活に関わることになってしまった。地球のためにミニマルな暮らしをするために彼等から学んで現代的な生活の中に取り込んでいかないといけないスタイルがある。そんな風にこの映画を観れば、教科書的に狩猟採集民を映像で学ぶことが出来るチャンスになっている」と期待していた。なお「ラオスにはもう一つのムラブリ族のグループがいるようなので、パンデミックが明けたら伊藤さんと続編を撮りに行きたい。ミャンマーにもムラブリ族がいるようなので、ミャンマーの情勢が落ち着いたら、3作目を」と創作意欲は止まらない。
映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』は、関西では、5月28日(土)より大阪・十三のシアターセブン、6月3日(金)より京都・九条の京都みなみ会館、6月4日(土)より神戸・元町の元町映画館で公開。なお、シアターセブンでは、5月28日(土)に金子遊監督、5月29日(金)に伊藤雄馬さんと金子遊監督、京都みなみ会館では、6月3日(金)と6月5日(日)に伊藤雄馬さん、6月4日(土)に伊藤雄馬さんと金子遊監督、元町映画館では、6月4日(土)に伊藤雄馬さんと金子遊監督、6月5日(日)に伊藤雄馬さんによる舞台挨拶を開催予定。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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