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一夫多妻家族に“異変”が起こる…『放送禁止 ぼくの3人の妻』がいよいよ劇場公開!

2026年3月10日

©「放送禁止 ぼくの3人の妻」製作委員会

 

一夫多妻制の家庭を取材した未放送映像から、1人の夫の死をめぐる3人の妻の不可解な証言と、真実が浮かび上がっていく『放送禁止 ぼくの3人の妻』が3月13日(金)より全国の劇場で公開される。

 

映画『放送禁止 ぼくの3人の妻』は、2003年4月からフジテレビの深夜に放送され、日本におけるフェイクドキュメンタリーの先駆け的存在として人気を博す「放送禁止」シリーズの劇場版第4弾。薄暗い場所で、揺れる蝋燭の炎を前に、祝詞を高らかに読み上げる霊媒師と、祈祷を受ける3人の女性たち。3人は、1人の夫を共有する一夫多妻制の家で暮らす妻たちだった。トランス状態に陥っている3人は口々に「夫を殺した」と言う。3人の妻たちの中で、誰が夫を殺したのか。その答えは、放送禁止となったあるドキュメンタリー映像の中に隠されていた。様々なテーマを設けて「ある事情で放送が中止となったVTRを再編集し放送する」という設定で描かれる「放送禁止」シリーズ。今作では一夫多妻制をテーマに、1人の男性と、彼の3人の妻を追ったVTRから、男性が誰に殺されたのかが明かされる。企画・脚本・監督は、「放送禁止」シリーズのほか、ハリウッド映画の日本リメイク「パラノーマル・アクティビティ第2章 TOKYO NIGHT」などでもメガホンをとった長江俊和さん。

 

©「放送禁止 ぼくの3人の妻」製作委員会

 

映画『放送禁止 ぼくの3人の妻』は、3月13日(金)より全国の劇場で公開。関西では、3月13日(金)より大阪・難波のなんばパークスシネマや京都・出町柳の出町座や神戸・三宮の kino cinema 神戸国際、3月14日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場で公開。

フェイクドキュメンタリー(モキュメンタリー)は、存外成立が難しい。フィクションにすら真実味が求められ、映っているものへの無謬性が染み付いた日本の環境において、はじめから「これは本当かのように一応やりますが、嘘です」と宣うのがそもそも捻り技すぎている。さらに、ある程度集中して視聴していれば、裏の「真実」について一応の集団合意(のようなもの)が形成されなければならない。そのプロセスにおいては、簡単すぎても文句を言われ(解説パートを付けようものなら言語道断)、投げっ放しすぎると苦言が噴出する(これは昨今のTVで放送されているフェイクドキュメンタリー系作品に言える)。全ては観る側の“愛”によるものなのだが…

 

ましてや【放送禁止】という大看板を背負っての新作とあらば、客席とスクリーンの摩擦係数が巻き起こす“愛”の勢いは凄まじい。今般、【放送禁止】が向き合わなければならないもの、それは“愛”であった…というより、当世で映像に携わる者が全て向き合わねばならぬイシューともいえる。だが、本作を観てない人は何のことか分からないであろう…ともかく、時代は“愛”なのだ。

 

物語の舞台は、山深い土地――ここならきれいな水もたくさん採れるのでは――に建てられた大きな家。そこに暮らす男とその妻が3人。一夫多妻制を取材する体でカメラは4人の生活を追う、日本社会にはまだ受け入れられていない”愛”の新しいかたちを収めるために。

 

立て付けから違和感を滲ませる映像と編集は、時おり映ってはいけないものを見切れさせる。夫と名乗る男は、聞こえてはならないものさえ聞こえていた。自立型の“愛”のかたちに、歪みが侵食していく。様々な意味で「こういうことは起こり得るな」と、他人事ならざる感慨が沸き起こってしまう。印象深い瞬間を捉える俯瞰のショット、そこで映ってしまったものに想像が捗る。ふと、夫婦としての性事情について妻たちが語るシークエンスを振り返っていく。あの絶妙な噛み合わなさも、ヒタヒタと符合していく感覚に興奮を覚える。

 

なぜ敷地のそこかしこに看板が立てられているのか?
「ちゃんと話した」後、夫はどうなったのか?
接続詞のおかしな発言は、憔悴してたゆえか?
予告編の同様のシーンで意図的にカットされていたものは何だったか?

 

斯様にまんまと考察脳を刺激される98分。俳優陣の抑制と過剰のメリハリが利いた演技も相まって、”原点であり頂点”を見事に体現していた。ポストトゥルース、あるいはハルシネーションが叫ばれるこの時代、”事実を積み重ねることが必ずしも真実に結びつくとは限らない”というシリーズのテーゼを真っ向から体現してくれたこと、これは逆説的でもなんでもなく、“愛”だけではたどり着けない達成に他ならない。

 

“愛”というものは、常に進歩している。それは現行の制度化におかれている人間のコントロールできない領域にまで及ぶ。「同じことを繰り返す」のは、人間がそうであるように“愛”もまた同じ。いや、“愛”のほうがある意味忠実であろう

 

――

尚、この文章には筆者のたどり着いた限りの真実について、幾何か強調させていただいた箇所がある。それは観てのお楽しみ。

fromhachi

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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