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コロナ禍の社会を捉えながら ”あなたの物語”にもなる作品…『くぴぽ SOS!びよーーーーんど』田辺ユウキ監督に聞く!

2023年12月14日

“大阪で1番売れてないアイドル”を自称する地下アイドルグループである、くぴぽに迫るドキュメンタリーの第2弾『くぴぽ SOS!びよーーーーんど』が12月16日(土)より大阪・十三のシアターセブンで公開される。今回、田辺ユウキ監督にインタビューを行った。

 

映画『くぴぽ SOS!びよーーーーんど』は、大阪を拠点に活動する地下アイドルグループである、くぴぽのドキュメンタリー「くぴぽ SOS!」シリーズの第2弾。2014年にプロデューサー兼メンバーのまきちゃんを中心に結成されたくぴぽは、型破りなパフォーマンスが一部のアイドルファンから注目されたものの、メンバーの卒業や脱退が相次ぎ、あまりの不人気ぶりから「大阪で一番売れてないアイドル」を自称するように。しかし地道な活動が実を結び、2020年1月に東京で開催した初のワンマンライブは大成功、さらに大型音楽イベントの開催も発表する。しかしそんな矢先、世界を新型コロナウイルスによるパンデミックが襲う。ライブのできない日々が続く中、メンバーそれぞれが自分の未来について考えるようになる。くぴぽのメンバーのほか、コロナ禍にくぴぽファンの多くが“推し変”した先のグループ「少女模型(しょうじょまねきん)」らが出演。芸能ライターの田辺ユウキさんが初メガホンをとり、芸能ライターならではの視点で2020年以降のアイドルの生き方を映し出す。

 

小泉今日子さんやアイドル時代の松田聖子さんといった1980年代のアイドル的ミュージシャンずっと聞いていた田辺さん。リアルタイムでは、TV番組「ASAYAN」を観ており、1997年に結成されるモーニング娘。はずっと追いかけていた。当時、メンバー入れ替えの激しさはアイドルシーンに革命を起こすと共に、ファンをドギマギさせていくことに。その後、ハロー!プロジェクト所属のグループが次々に登場していき、AKB48やももいろクローバーが現れる2000年代後半になり、さらにアイドルに興味を持っていった。ももいろクローバーについては「インディーズから這い上がっていくぞ!という意気込みがある」と気づき、自然と「地下アイドルシーンとは何なのだろう」と注目。モーニング娘。のように地下アイドルでもメンバーの入れ替わりが発生し、2010年頃からは御当地アイドルが沢山登場し、大阪の地下アイドルシーンも認識し、動向を追いかけていった。

 

2012年頃、大阪にあるライブハウス、難波Meleでは地下シーンのお笑いライブを開催していた。大喜利等のイベントも催され、田辺さんは毎月のように出演。イベントでは、くぴぽのオリジナルメンバーとなるまきちゃん(当時は、服部真希という名義)が出演しており「音楽とかお笑いとかやっています」と挨拶され、頻繁に顔を合わせるようになり親交がうまれていった。知り合って1~2年ぐらい経った頃、まきちゃんから突然に「女性のアイドルをやろうと思います。自分が女装して、女性の友達と組んで、”くぴぽ”という女性アイドルグループをやる」と聞かされる。当時、ジェンダーレスなアイドルグループが組まれることはあまりなく「そもそも、まきちゃんのセクシャリティーもよくわからない。何を言っているのかな」と懐疑的になりながらも、ライブに誘われ伺うことに。デビューライブ直近のタイミングで見たが「ちょっと面白かったですよね。ゴムパッチンをやったり、ジャイアントスイングをやったりするパフォーマンスが目立っていたんですよ」と話しながらも「周りにいる女の子達は普通に可愛らしいのに、一人だけよく分からない存在のまきちゃんが汗と涎まみれになっている。ボールとか投げられたり、ストッキングを被ったり、熱々の食べ物を頂こうとしたり、ダチョウ俱楽部のようなパフォーマンスやっていた。お客さんもドン引きだった」と振り返る。「正統派のアイドルを見に来た人達はドン引きで、フロアにほとんどお客さんいないんですよ。くぴぽのお客さんはゼロに近い」と明かしながらも「個人的にはちょっと面白かったので、私が当時開催していた音楽イベントなどに呼んで出演してもらった」と気に入っており、徐々にくぴぽと親交が深まっていく。

 

ライターとして活動している田辺さんは、京都精華大学で教えている石岡正人監督と親交があり、学生と一緒にイベントを開催していた。そこで、変わったものが好きな柳元沙月さんというおもしろい学生と出会いながら、2016年に「一緒になにかやりませんか」と石岡監督から依頼をもらう。くぴぽのおもしろさを紹介し、石岡監督が共同プロデューサー、柳元さんが監督という布陣でくぴぽの活動を追いかけた。2016年6月から2017年1月まで密着し、地下アイドル社会の一部を切り取ったドキュメンタリー『くぴぽSOS!』として2017年10月に劇場公開された。

 

その後、1作目にもカメラで参加していたユリカナコさんがライフワークとして撮影していく。田辺さんより長時間をかけて撮っていたこともあり、くぴぽの映画2作目を提案。まきちゃんも再び映画が制作されることに興味があり、ユリさんを監督にして起ち上った。田辺さんもプロデューサーであると共に、同時期に追いかけていた地下アイドルの少女模型を撮るカメラマンとして現場に一緒に入り、ユリさんは監督として撮影と編集も担うことに。最終的には、ユリさんと話をしながら、2つの素材を合わせてユリさんに編集してもらい完成させる予定だった。だが、2020年の夏頃、とる事情によりユリさんは降板することになる。そこで、田辺さんが本作の監督になったが「ユリさんがそれまで何を撮っていたか全く分からなかった。摺り合わせ前の段階だった。ユリさんがどういう方向性やテーマ性を以て撮影していたのかも分からない。どういうものを作りたかったか分からない」頭を悩ませながら撮っていくことに。当時は、コロナ禍真只中でアイドル達も活動が苦しくなっていた。当時追いかけていた少女模型は、コロナ禍対応として、配信ライブやライブハウスを助ける寄付イベント等、様々なことを率先して実現させており「アイドルとコロナ禍について撮るなら今だな」と直感。また、コロナ禍によって、アイドル活動を続けるか辞めるか選択を迫られる人が多くなり「コロナ禍の影響を受けた社会の状況下、仕事や生き方の将来が見えない中でどのように生きていくか、皆の中に圧し掛かった。アイドルを通して、一般社会が描けるんじゃないか」と気づき、以降はコロナ禍をテーマに掲げ撮影。以前から、様々なアイドルグループへのインタビューでは「将来、皆さんはどうなりたいですか」と聞いていたので、コロナ禍がテーマにした以降も、様々な話を聞きながらも「皆さん、これからのアイドルの未来をどう考えていますか。ご自身はアイドルを続けるか、どうするか」と尋ねて応えてもらった。

 

とはいえ、3年もコロナ禍が続き、何度も緊急事態宣言が発令され、何も変化がなく皆がうんざりする日々が続いていく。くぴぽのメンバーに関しても出入りが続いた。本作の撮影は2020年1月から開始し、1年後をゴールにしようとしていたが「これは、あまりにも残酷過ぎる。コロナ禍で皆が声出せない状況の中で1年経った、と映画を終わらせても何の救いにもならない」と愕然してしまう。最初のシーンは、2020年1月に開催された初の東京ワンマンLIVEにしており「満席になりハッピーな雰囲気があった。これからくぴぽはステージが上がっていくぞ!と高揚感がある映画のオープニングにしておきながら、最後は、コロナから抜け出せない状況でもアイドル達は頑張っていますよ、という萎んでいく終わり方になってしまう。出口が見えていない終わり方は絶対に嫌だな。ならば、オープニングシーンに近いものを撮れるまでやろう。近いものではあっても、コロナ禍を経ているから同じような場面でも同じには見えないはず。ゴールがちゃんと撮れるまで粘ろう」と決意。そして、コロナ禍によって延期が続いた、くぴぽ主催フェスである「服部フェス」もテーマに掲げている。だが「服部フェスの開催が実現したことを伝えるだけでは弱い」と感じると共に「2022年開催の服部フェスの映像をエンディングにするのも一案だったが、コロナ禍でお客さんが全然集まらなかった」と振り返る。「来年見ていろよ」「数年後は座席を埋めたい」という将来の展望を話すまきちゃんのMCを受け「もしかすると、1年後はコロナ禍の状況も変わっているかもしれない。スカスカだった座席もちょっとは埋まっているかもしれない。だったら、もう1年撮ろう」と撮影を粘っていった。

 

納得できる映像を撮り終えた後、編集作業では様々な手法を取り入れている。当初、映画冒頭のテロップの出し方は、一文ずつ読ませて次の文章に向かう形式で大きな字幕のようなものだったが「自分で見ていても、前の文章忘れてしまう。次々と切り替えていくと、物語が頭に入ってこない」と気づき、一文残して次の文章に向かうようにして全面に出していく形式を選んだ。「作品のつくりは、何かの影響はないです」と言いながらも「あえて挙げるなら、そういうテロップは市川崑監督作品らしさがあるかもしれませんね」と挙げた。すると、本編に関して「映画の編集や構成をある程度終えていた段階、最後の詰めをしていた頃、TVドラマ「VIVANT」にハマり、もっとポップに意識的に複線や考察出来る要素を強めに出したおかげで、映画としては奥行きが生まれた」と語り、トレンドも柔軟に取り入れていることも伝わってくる。最初のシーンと最後のシーンは関連するように構成しており「僕の中での映画の持論は、入口と出口は絶対関連していなきゃいけない。月日を重ねているからこそ、同じような場面に見えても、見る人にとっての意味合いや感じ方は絶対変わる。オープニングとエンディングの場面の重なりが見えた時にこそ編集は終わり、映画が完成した」と確信できた。

 

劇場公開を迎えるにあたり、改めて、本作の制作について「僕が1作目を否定したところから2作目を作り始めた」と告白。「1作目は、”誰が正しいか、間違っているか”に執着しがちだった。”この人が間違っているから、メンバーとしてやっていけない”といった意見の衝突がメインになっていた。内輪揉め等の内部事情を人に見せていた作品だった」と振り返り「見た人も皆、”まきちゃんは間違っている”、”まきちゃんは正しい”といった感想に陥りがちだった。それは、映画としての広がりは薄い。議論することは良い、と思っているんですけど、閉鎖的な映画になっていた」とプロデューサーとして認識している。「アイドルを知らなかったり、興味がなかったりする人でもやっぱり見られるようにしよう。大衆的なドキュメンタリー映画を作ろう」と意識し「もっと広がりのあるものを作るため、いかにして最終的に間口を広くホップに見えるか」と拘った。更には「私が映画を見る立場としては好ましく思わないような表現も取り入れています」と意図を説き「最終的には娯楽作品として仕上げている。狭くて見えづらく思われそうな地下アイドルの物語ではない。娯楽として社会を捉えているので、”あなたの物語”にもなる。誰にでも当てはまる話です」と期待している。

 

2024年には、くぴぽは10周年を迎え、本作を東京でも上映する予定だ。田辺監督は1年を通して今作の公開と付き合っていく心積もりだが「結成の初期から見ていて、カメラを構えながら10年もくぴぽと付き合ってきた。まともなアイドルグループになっている。良い意味で大きなクセがなくなってきている。ドキュメントとして追いかける必要はないな」と捉えている。第三弾を制作する予定はなく「くぴぽと僕は円満離婚をしよう」とまきちゃんにも伝えたそうだ。なお、もし撮るなら「あと30年後、まだまきちゃんがくぴぽをやっていたら撮りますけど。僕はもう70歳超えていますけどね。まきちゃんも還暦に入っているはずですけどね。そこまでやっていたら、また撮りますけど」と笑いながら話す。また「他のアイドルは撮ってみたいです。”撮ってほしいです”と依頼されたら、当然撮ります。私が”これは、おもしろいぞ”と思えるグループや個人がいたら撮りたいな」とも思い描いたり「もし本気で取り組むなら、アイドルを動かしているプロデューサーやスタッフを撮る。少女模型の運営を務めた、にっしーさんのようなおもしろい人ですかね。或いは、アイドルを卒業した人の日常、アイドルをやめようとしている人の辞め際とセカンドキャリアには興味があり、撮ってみたいな。それは、世の中とリンクできるかもしれない」と考えていたりするが「アイドルの魅力や音楽が良さを伝えるようなドキュメントを撮る理由は僕にない。ちゃんと社会とリンクした、娯楽作品にしたいので」と断言する。普段は芸能ライターとして活動しており「執筆・分析・考察する仕事をしているので、映画監督を務めても、文字か映像で表現する違いがあるだけ。本作に関しては、映像で表現できる世の中の分析であり、文字で表現するには難しい。そういった意味では、芸能ライターと映画監督は近しいところがありますね」と冷静に語ってもらった。

 

映画『くぴぽ SOS!びよーーーーんど』は、12月16日(金)より大阪・十三のシアターセブンで公開。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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