セルゲイ・ロズニツァが“戦争と正義”を問う『破壊の自然史』『キエフ裁判』がいよいよ劇場公開!
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第2次世界大戦末期に連合軍によって行われた、一般市民を襲った人類史上最大規模の大量破壊とされるナチスドイツへの絨毯爆撃の大量破壊の様子を映しだす『破壊の自然史』と第2次世界大戦の独ソ戦で、ナチスドイツが行った人道的罪について断罪した国際軍事裁判の様子をよみがえらせる『キエフ裁判』が8月12日(土)より全国の劇場で公開される。
映画『破壊の自然史』は、『ドンバス』『バビ・ヤール』等で世界的に注目されるウクライナの映画作家セルゲイ・ロズニツァが、第2次世界大戦下で連合軍がドイツに対して実行した史上最大規模の空爆を題材に制作したドキュメンタリー。第2次世界大戦末期、連合軍はナチスドイツに対し、イギリス空爆の報復として絨毯(じゅうたん)爆撃を行った。連合軍の戦略爆撃調査報告書によると、イギリス空軍だけで40万の爆撃機がドイツ131都市に100万トンの爆弾を投下し、350万件の住居が破壊され、約60万人の一般市民が犠牲になったとされる。技術革新と生産力向上によって増強された軍事力をもって一般市民を襲った未曾有の大量破壊の顛末を、当時の記録映像を全編に使用して描き出す。
映画『キエフ裁判』は、セルゲイ・ロズニツァ監督が、第2次世界大戦後にキエフ(キーウ)で行われたナチス関係者15名の国際軍事裁判を描いたドキュメンタリー。1946年1月、キエフ。第2次世界大戦の独ソ戦において、ナチスドイツと地元警察がソ連領土内で起こしたユダヤ人虐殺事件の首謀者15名が、人道に対する罪で裁判にかけられた。裁判では、母から幼子を奪って目の前で射殺するなど数々の残虐行為が暴かれる一方で、被告人弁論では自己弁明に終始する者、仲間に罪を擦りつける者、実行しなければ自分が殺されたと同情を得ようとする者など、戦犯たちの凡庸な素顔が浮かびあがっていく。
映画『破壊の自然史』『キエフ裁判』は、8月12日(土)より全国の劇場で公開。関西では、大阪・十三の第七藝術劇場や京都・烏丸の京都シネマで公開。
「科学は人間社会の上にあるもので、その進歩で差別や戦争を克服することができる」というようなことを話した時、ため息をつかれた経験があったが、本作で映し出された衝撃はそのため息と結びついた。科学が純粋だというのは理想であり、現実は人間活動の邪に思える部分が支配している。
『戦争と正義』と銘打たれて日本公開される二作はセルゲイ・ロズニツァ監督の代名詞のようになっているアーカイヴァル・ドキュメンタリーだ。
『破壊の自然史』は、第二次世界大戦末期の連合国によるドレスデン爆撃を中心に、連合国・枢軸国の双方から記録された映像を破壊の記録として再構築したドキュメンタリーである。空爆という人間の行為は、流体力学も熱力学も科学から戦争遂行の道具に変容させ、美学・歴史学・建築学も学問でいられない。プロパガンダのために撮影されたであろう空戦の映像に特撮を見る子どものような高揚、空爆の光と影と音には憧憬を覚えるものであった。ところが、その後に続く破壊され燃え上がるドレスデンの街と横たわる死体の山がそれら感情をたちまち打ち消してしまう。都合の悪いものを観ないことがいかに心地良いことなのか。科学と人間の関係を再考しようと努める脳裏には、ドイツの工場労働者みに向けて演奏されたワーグナーがむなしく響くだけであった。
『キエフ裁判』は、ナチス占領下ウクライナでの蛮行を裁くソビエトの公開裁判の記録である。この映像は歴史を意味づける枠組みで記録されているが、ロズニツァ監督はこれを歴史にすることを拒絶しているように思う。歴史の枠組みの中に、被害者・目撃者・加害者・裁くもの・裁かれるもの・死者・生者あらゆる人間が押し込められている。悲劇の語りによって明かされる人間の業、語るもの一人一人の顔と振る舞い、そしてちょっとした目配せや語りの間。その一瞬が歴史の枠組みを超越した人間のような気がした。裁判が結審し、ナチスへの断罪と、歓喜の声の基で裁かれたものが吊るされて死体になることでアーカイブは人間から歴史の枠組みに返される。歴史のために残されたものが全く別のものとして目の前に映し出されることほど不思議なものはない。
fromにしの
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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