日常の中で何も起こっていないように見えて、実は様々なことが積み重なって起きている…『ある惑星の散文』富岡英里子さんと深田隆之監督を迎え舞台挨拶開催!
海外へ行った恋人を待ち、スカイプ越しに通話をする脚本家志望の女性と、心の病で舞台を離れカフェで働く女優の姿を描く『ある惑星の散文』が7月2日(土)より関西の劇場でも公開。公開初日には、大阪・十三のシアターセブンに富岡英里子さんと深田隆之監督を迎え、舞台挨拶が開催された。
映画『ある惑星の散文』は、神奈川県横浜市の本牧を舞台に、人生の岐路に立つ2人の女性が織りなすささやかな物語を描いたドラマ。脚本家を目指すルイは、海外に行っている映画監督の恋人アツシの帰りを待ちながら、スカイプ越しの会話で2人の今後の新しい生活への計画に胸を躍らせていた。一方、舞台俳優として活動していた芽衣子は、精神疾患によっていまは舞台を離れ、カフェで働いているが…
濱口竜介監督の『偶然と想像』等で助監督を務めてきた深田隆之さんの初劇場公開作品である本作。横浜市出身の深田監督が、かつてはアメリカ軍の接収地としてその文化を吸収し、その後は鉄道計画のとん挫などにより陸の孤島となってしまった本牧を舞台に映画を撮ろうと考え、ロケーションからシナリオを発想して制作した。
上映後、富岡英里子さんと深田隆之監督が登壇。ようやく日本での劇場公開を迎え、改めて感慨深げな舞台挨拶が開催された。
2015年に企画が始まり、2016年に撮影して2017年頃に完成を迎えた本作。最初、フランスのベルフォール映画祭で完成披露となる上映があり、次にアメリカのポートランドにある美術館で上映があり、少しずつ広がっていった。様々な機会が重なって、今回、日本での上映に至っている。富岡さん演じるルイの物語と中川ゆかりさん演じる芽衣子の物語である今作について、深田監督は「この2人の物語が軸にあります。神奈川県横浜市にある本牧と呼ばれるエリアで全て撮影しており、本牧の風景を映すことがもう一つの軸としてありました。さらに、惑星や宇宙、星といったモチーフを一つの柱として持ち出しています」と説きながら「本来、一般的な映画では線上にあるドラマを語っていくことが一般的ですが、この場所で撮ることや、惑星を用いるといった要素が絡み合って様々なところに線が繋がるような映画の表現が出来ないか、と試みをしたくて、この映画を制作しました」と物語を着想した経緯を話す。全て本牧のエリアで撮られており、富岡さんは「アパートは、ポートハイツと呼ばれる、本牧で働いている方達が元々は沢山住んでいた所。住民は少なくなり、孤島のようになりました」と説明。深田監督は「本牧の港湾エリアでコンテナがあり車が沢山行き来している。そして住宅街、人々が行き交う中心地、山のエリアが分けられており、場所として興味深い」と感じ、本牧をロケーションに選んでいる。富岡さんは、本牧にかつて存在した映画館で閉館まで働いており「自分が出演している映画で、閉館したところに入られて嬉しい。映画館という存在が映画の中で残されたことが凄く嬉しい」と感激。深田監督は「実は現在もあの場所は本牧の中で残っています。シネコンががらんどうになって撮影現場に出来るのはなかなか無い。ビルの中に入っているので取り壊せない」と解説していく。元々は、マイカル松竹シネマズ本牧イオンシネマ、そしてMOVIX本牧になった映画館であり、富岡さんは「私はMOVIX本牧の時代に働いていたんですが、閉館した時、住んでいたアメリカ人のお客さんが ”此処が無くなるのが寂しいよ”と英語で伝えてくれて、従業員達と一緒に泣いた」と印象深く記憶に残っている。本牧エリアは、元々はアメリカ軍が接収していた場所であり、深田監督は「戦後、しばらく接収されており、解放されているが、アメリカの文化が根強く残り、東京の文化より横浜の本牧が音楽文化が栄えた時期がある」と言及すると、すかさず、富岡さんは「ゴールデンカップス、ミッキー吉野さん、矢沢永吉さんが当時働いていた」とフォロー。今回、深田監督は本牧を歩きながらシナリオを書いており「一般的には、シナリオを書き、シナリオに合う場所を探していく。僕の場合は、場所に行きながら、この人はどういう風に行動するんだろう、と考えつつ…映画館のシーンはシナリオで書けないですよね。シナリオから書いて合う場所を見つけるのは難しくて…あの場所に行って、此処を活かすにはどうしたらいいか」と熟考の上、書き上げている。
撮影にあたり、現場のスタッフは10人に満たない人数で構成されており、富岡さんは「この人は誰でどういう人か分かる関係性の中でやっていたので、あの部屋の空間で美術が作り込まれており、入った瞬間に、此処はルイの部屋なんだなぁ」と実感し「作られながら、生活感も足されていくことによって、その空間にいることで貰えたものがあった。スタッフ達がアパートに入って来る時に『おじゃまします』と云って入って来てくれた。1人で暮らしているから、1人の時間を持とう、ということで、誰もいない時に私は部屋の中で”此処に住んでいるのかぁ”と座っていた。大事に部屋を皆でルイという人物像を作ってくれた家だったなぁ」と心地良い空間で演じられた。深田監督は「一般的な大きな現場だと、3,40人のスタッフがいる。それだけいると、この人は何の仕事をしているのか分からない時がある。そういう状況は、俳優も不安になってくる」と指摘し「小さなチームで作っているので、顔を見て挨拶が出来る。皆を把握しながら、実際に撮るアパートを作っていけた」と満足している。現場では、毎朝必ずミーティングをしており、富岡さんは「皆が持ち道具を置いて、コンディションを確認している。『このシーンはどう思いますか。どういう解釈ですか』と。私と監督の間だけではなく、カメラマンや助監督、美術、メイク、音声のスタッフ全員が話していたので、あの空間はルイの空間だけど、皆が見守ってくれている方が沢山いた凄い心地良く自由に心を解放出来るような雰囲気のあるチームだったな」と振り返った。深田監督は、ルイとアツシとの距離をずっと話している時があり、富岡さんは「私とアツシのパートの撮影期間が6日間程度。最後のシーンまで、アツシ役のジントクさんは車の中で隔離されていた」と明かす。「オンラインでしかミーティングしなかった。監督が直接(アツシ役の)ジントクさんに話す時は車に向かっていた。あのカットも1テイクだったので、はじめて扉を開けた時に、現場に入って以降、ジントクさんに初めて顔を合わせて彼の体温を感じられた」と話し、強く印象に残っている。撮影当時、深田監督は「撮影が少しでも遅れると陽の光が陰に入って素材として使えないかもしれない。俳優にとっては、その瞬間に1度しか会えないから、それを記録するしかない」と懸けており、現場を見守っていた。
なお、本作では、音に拘っており、深田監督は「どこかから聞こえてくる子供の声だけ足している」と明かした。富岡さんも「一般的な映画では表現されないような音の使い方をしている」と指摘。深田監督は「かなりノイジーな状態から始まっている。映画館で観て、音が無くなるところが強く印象に残る。劇場で映画館のシーンを見ると全く違う体験になる。最後、芽衣子とルイがぶつかり合うシーンは唐突ではあるけど『信じられる』と濱口竜介さんからの言葉があった。初めてお互いの激しい感情を見つけるシーンは唐突だけど違和感ではない」と自信がある。富岡さんは試写等で何回も観ていたが「映画館で観た時、”ここで出会うんだぁ”、”そうだったんだよなぁ”という感覚になりました」と打ち明けた。
最後に、富岡さんは「これは2人が出会うまでの物語だった。これは一つの見方であって、映画は、観る人によってどんな見方をしても良いし、可能性がある表現。私は、撮影から6年たって、惑星という視点から、並走したり離れたり近づいたりしながら周っている。人と人との距離感に似ている。自分の人生や他人との関係性、仕事も含めて全て自分で選択しているようで、外からの自分じゃない力に決められて動かされている瞬間がある」と感想を話し「ルイと芽衣子もお互いを認識しなければ、何かの巡り合わせによってくっ付いたり離れたりするかもしれない。人生は続いていくし、日常の中で何も起こっていないように見えて、実は様々なことが積み重なって起きている。人生の中で沢山の様々な瞬間にある」と自身の解釈を語っていく。そして「こんな自由に考えているので、皆さん持ち帰って様々なことを思い巡らしてもらえたら」と願っている。深田監督は「6年経って見直した時、言語化が難しい映画だと思います。観て頂いた方が、自分の中から捻り出すように言葉を書いてくださっている」とお客さんの反応にふれながら「この映画はその人の体から出てきた言葉を引き出すことが出来る余白を持った映画かなぁ。この映画を信じて、ぜひ応援していただけたら」と思いを込め、舞台挨拶は締め括られた。
映画『ある惑星の散文』は、大阪・十三のシアターセブンで公開中。また、7月9日(土)より神戸・元町の元町映画館、7月15日(金)より京都・九条の京都みなみ会館で公開。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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