コーダとろうと聴者の間にあった壁が溶けて無くなったような時間があった…『私だけ聴こえる』松井至監督に聞く!
ろう者を親に持つ聴者の子供たちに迫ったドキュメンタリー『私だけ聴こえる』が関西の劇場でも6月25日(土)から公開。今回、松井至監督にインタビューを行った。
映画『私だけ聴こえる』は、耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたち「コーダ(CODA=Children Of Deaf Adults)」にスポットを当てたドキュメンタリー。ドキュメンタリー作家の松井至が監督を務め、15歳という多感な時期にいるコーダたちの3年間を追う。学校では「障がい者の子」として扱われ、ろう者からは「耳が聴こえる」という理由で距離を置かれるコーダたち。そんな彼らが唯一ありのままの自分を解放できるのが、年に一度の「コーダキャンプ」だ。キャンプを終えた15歳の子どもたちは、自身の進路を決める大切な時期に入る。「ろうになりたい」という欲望に突き動かされ、聴力に異変を感じるナイラ。ろうの母から離れて大学へ行こうと葛藤するジェシカ。音のない世界と聴こえる世界の間で居場所をなくしたコーダたちが、揺らぎながらも成長していく姿を描き出す。
2015年頃、NHKワールドのドキュメンタリー番組『TOMORROW』で、東日本大震災の復興に関する番組を制作していた松井監督。企画を考えていく中で「耳の聴こえない人は、津波が来た時にどのように逃げたのだろう」とふと思い、「地震の後、サイレンや人の声や津波の音が聴こえた人達は逃げた。聴こえなかった人達は街に取り残されたんじゃないか」と気づき、現地へ向かった。沿岸部に住んでいたろう者を訪ね歩き「聴こえる息子や娘が駆けつけて助けてくれた」ことを知り、コーダと出会った。また、番組を共に制作した手話通訳者のアシュリーさんからコーダの存在を知らされる。「コーダの体は聴者と同じ、内面がろう者なの」「コーダは聴者とろう者の2つの世界の間にいて居場所がない。自分が何者か知らないコーダたちに仲間の存在を知らせたい。ドキュメンタリーを作ってほしい」と依頼を受け、コーダという言葉の発祥の地であるアメリカを舞台に制作をはじめた。
まず、松井監督がアンケートを作成し、アシュリーさんがSNSを通じて拡散し、アメリカのコーダをリサーチ。数人と話してみて、後に主人公となるナイラとつながった。そこからアメリカ各地の10代のコーダが参加する「コーダキャンプ」を取材することになる。
コーダキャンプとは何か?それは、ろうの親も聴者も参加できない、森の中でコーダだけが集まり、12日間、寝食を共にするイベントだ。普段、コーダはろうの親と一緒に住んでいる。基本的にデフ・ワールドの中で生きている。そこから学校に行くとヒアリング・ワールド、聴者の世界にいる。だからこそコーダだけの時間を作る必要がある。自分とは何者なのか、自分達が何者なのか、仲間といることで、個人的アイデンティティと集団的アイデンティティとを形成していく。
コーダにとって手話は母語であり、聴者の世界と接する時はEnglishを使う。コーダキャンプではその両方の言葉が入り混じったシムコムと言われる言語が飛び交う。母語の手話を安心して使いながら、口も動く。両方を変則的に用いながらコーダにしかわからない会話を楽しむ。コーダキャンプを聴者が取材することはおそらく初めて。「コーダキャンプの方々に『アシュリーがいるなら大丈夫』と許可をもらい、入らせてもらえた。」という。
繊細なコーダコミュニティーに入っていく中、松井監督は警戒も感じたという。「アメリカ中西部のデフコミュニティーのさらに奥のコーダと出会いにいく。おそらく向こうは日本人と話すこと自体が初めて。遠い国から手話もわからない聴者のおじさんが家に入って来て、ろうの親や自身を撮られる。普段、聴者からの差別を感じながら、社会の中でマイノリティとして生きている彼らが『自分達がどのように描かれるのか』を気にするのは当然だった」という。ナイラの家に最初に行った時は「彼らにとって嫌なことや、やってはいけないことがわからない状態だった」。逆に全く関係がない遠い存在だったからこそ、撮れたものもあるという。「ナイラと出会って三日目に、彼女の部屋でインタビューをした。おそらく彼女が15年間、自分の周りのデフにもコーダにも言えなかった悩みが溢れ出てくるようだった。」この後も時間をおいて何度かインタビューを試みたが、最初のインタビューの鮮烈さには及ばなかった。「ドキュメンタリーを作っていると、相手の人生の物語の通り道に立ってしまうことがある。あの時がそうだった。聞いたからには運ばなければならないと思いました。」最初の撮影を終えて東京に戻り、3分程度の予告編を作成し、ドキュメンタリーの国際企画会議<Tokyo Docs>で発表、世界のTV局やプロデューサーから高く評価され、さらに北米最大の映画祭<hotdocs>に招待され、期待を集めていく。「知られざるコーダの世界を描くドキュメンタリーとして、聴者たちに歓迎された。」だが一方で、ナイラから「予告編を観たい」とメールを受け、応じると「自分をかわいそうな存在に描かないで欲しい」と言われた。悲壮な雰囲気のある音楽を使用し、聴者にとってわかりやすいストーリーテーリングを行なっていた。「私の物語は私だけのもの。あなたはコーダではないのだから、コーダのことは分からないと認識して」と厳しい言葉を突き付けられ、以降の取材を拒否されてしまうことに。「社会に埋もれてしまった声を描くことが自分の仕事だと思い、それを良いことだと思っていたが、ナイラが言ったことは何度反芻しても正しかった。15歳の彼女の人生を誰かが代弁していいわけない。僕がドキュメンタリーを作ることで、彼女の人生の苦労を奪うことになる。」と自身の無自覚を認識し、制作を進めることができなくなった。
以降、1年ほど撮影が止まったが「コーダキャンプはどうしても撮りたい」と許可を得て、再始動。キャンプの映像を編集したものを、ナイラやコーダたちに観てもらった。ナイラから「映像をなかったものにするのは違うと思った」と連絡があり、撮影を再開できることとなった。ナイラに会いに行く時、どんなふうに撮影すればいいか方法を考えたが「ああしようこうしようと想定すること自体がおこがましいと感じて何も思い浮かばなかった」という。ナイラや他の主人公たちに伝えたのは「僕はコーダではないからコーダのことはわからないので、あなたがディレクターになってください」という一言だった。すると、彼女たちは喜んで、どんなドキュメンタリーにしたいか、どんな予定があるか、アイデアを出してくれるようになった。
そうしてコーダたちのアイデアを映像化していくロケを続けていると、ナイラの母親から連絡があり「ナイラが聴力に異常をきたした」という話を知った。「ナイラは幼い頃からデフになりたいと思い込んでいたから、内在的な欲望が体に現れてきたんじゃないか」ナイラの母親の見解を聞いて、現場に向かった。ナイラと共に病院へ行き、検査を終えると医師が「全て正常です」と言った。「コーダの体は聴者と同じ、内面がろう者なの」、アシュリーに最初に言われたことを思い出した。様々なコーダの悩みを撮影してきたが、「その日、コーダとろうと聴者の間にあった壁が溶けて無くなったような時間があった」と感じ、映画の最後のシーンとなるナイラの家族の雪合戦を撮った。レンズの向こうに、ただの幸せな家族がいた。撮影が終わったことを直観した。上映をはじめた松井監督に、自分の幼年期の経験を語りかけてくる観客が多いという。「コーダはふたつの世界の狭間で居場所がないと悩んでいるけれど、本当は誰しも居場所がないんじゃないか。コーダの存在が鏡となって、多くの人の自己像の捉え直しが起こっているのかもしれません」
映画『私だけ聴こえる』は、6月25日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場、7月15日(金)より京都・烏丸の京都シネマ、8月12日(金)より兵庫・豊岡の豊岡劇場で公開。また、神戸・元町の元町映画館にて順次公開予定。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
- 最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!