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大変なことがあっても、また前に進むことができることを知って頂きたい…『焼け跡クロニクル』原將人さんと原まおりさんに聞く!

2022年3月17日

自宅が全焼した原將人監督によるドキュメンタリー『焼け跡クロニクル』が関西の劇場でも3月18日(金)から公開。今回、原將人さんと原まおりさんにインタビューを行った。

 

映画『焼け跡クロニクル』は、『20世紀ノスタルジア』等で知られる映画監督の原將人さんが妻の原まおりさんとともに、自宅全焼からの再起を当事者の視点から記録したドキュメンタリー。2018年7月、京都の西陣にある原將人監督宅が原因不明の出火により全焼し、すべての家財道具と、50年の映画人生をかけた全作品のオリジナルフィルムや脚本、映画機材が焼失した。火傷を負って入院した原監督に代わり、妻のまおりさんが家族の様子をスマートフォンで記録。焼け跡から救い出した8ミリフィルムとスマートフォンで記録したデジタル映像を組み合わせ、火災当日の模様と、一家のゼロからの再起への日々をつづる。

 

2018年7月、火事があった日、まおりさんは、いつものように定時での仕事をしていた。午後4:20頃、帰り支度をしていた頃に、長男から電話があり「おかあさん、驚かないで聞いてね、家が火事だから」と云われる。「そんなこと云われても、『あぁ、そうですか』と理解できないですよね。まさかそんなことが起きるとは思っていなかった。パニックになる要素も飛ぶぐらいに真っ白になりました」と思い返す。「信じられない。本当だろうか」と半信半疑になりながら、自宅へと原付バイクで駆けつけたが、自宅周辺の道は封鎖されていた。消防車や救急車がある風景を観た時に「いつもとは全く違う一大事だ」と気づきながらも、自宅が火事にあったことを信じられず「iPhoneで記録することによって、本当に映っていて見返すことが出来たら、現実に起きた出来事だと自分が納得できるんじゃないか」と受けとめ、撮影していく。とはいえ「現実として受けとめないと、心が折れそうだった」が本音であり「撮影することで自分に仕事を与えた。だから、私はこれからの自分の時間を進められる」と自身の心を保っていった。

 

当時、自宅にいた將人さんは、誰もいない2階からミシミシと音がしているのを聞き「我が家に出入りしていたイタチかな。脅かしてやろう」と向かっていく。「洗濯して畳んだ衣類を囲んで、火の子供達が手をつないで踊っていた。『お前たち、こんなところで遊んでいたら駄目だよ』と言いかけていた。そこで布団をかぶせたら、化学繊維だったので、火に油を注ぐように燃え上がってしまった」と事態は悪化し、下の階にいた子供達と共に直ぐに家を脱出する。『双子暦記・私小説』の編集作業中だったので、扉を開けて煙が渦巻いている状況下で、息を止めてデータを取り出そうとしたが、配線していたケーブルを取り外すのが大変で、引きちぎって辛うじて脱出した。息子さんが携帯電話で電話して消防署の方が駆けつけており「火傷しているから即入院しないと大変なことになりますよ」と云われてしまう。「僕は熱くもなんともなかったから、火傷していないだろう」と思ったが、次第にヒリヒリし出して、息苦しくなり、病院に向かった。翌日、まおりさんから「昨日帰ってからずっと撮っているから、心配しないで。ずっと入院していて良いわよ」と電話で云われ、ホッとしたが、病院の一般病棟は熱中症の患者で塞がっており、入院する必要があったが追い出されてしまう。

 

火事発生直後、すぐに行政が動いており、区長さんの御見舞いと共に区役所の方が避難場所として公民館を提供し、食べ物含め緊急支援物資も用意して頂いた。將人さんは「古い木造の町家が多いから、火事が多いでしょうね。行政もしっかりしていました」と感心しながらも、公民館は3日間しか滞在できず、公団住宅の手配があり移送することを提示される。だが、子供達が通う保育園の問題があり困っていたが、偶々同じエリアで知り合いの紹介で家具付きのアパートが見つかり、生活を戻そうとしていく。子供達の様子について、まおりさんは「火事の騒ぎの時は、とても元気でハイテンションだった」と話すが、10日を過ぎた頃から落ち込みが激しく「日常の中で何もないと気づくんですよね。それから暗い日々が続きました。1年半程度は…」と告白。「1年をかけて日常空間を取り戻さないといけない」と認識しながらも、鏡を見た時に「恐ろしく疲れ果てた女が写っている。これ誰だろう、私だ…」と気づいてしまう。子供達を見たら暗い顔をしており「どうにかしなきゃ」と思い、気分転換できるように様々な努力をしていった。

 

1年半程度が経過し記憶が薄れてきた頃、自分達の生活空間が出来上がってきて、次第に思い出の品を発掘していく。まおりさんは、自分で撮影した記録映像に向き合えず、最初は見る気が起きなかったが、映画監督の妻として、映像を見てみたら驚いてしまった。「辛い映像だけじゃなかった。火事が起こった日も子供達が『おなか空いた』とか云っていた。自分が思い描いていた不幸な火事が、記録映像があることによって、辛い現実だけじゃなかった」と教えてもらい「映像に救われた。これは映画になるな」と確信する。とはいえ、最初はじっくりと見られず「原(將人さん)なら見れるだろう」と感じ、観てもらうことに。そこで、原將人監督の一人称視点による作品『焼け跡ダイアリー』が出来上がった。しかし「暗い作品だったので私も辛かった」と打ち明け「自分が撮影した映像を自分の目で見て、子供達の映像を目にして、家族が再生する映画を観たい。生きる喜びがあり、人の心を明るくするような作品を作れたらな」と願い、シナリオや企画もなく自然発生的に本作が生まれていく。將人さんは、まおりさんが撮った映像について、最初は「スマホが横になっていなかった」と不満があったが、完成してみると「縦の画面で全てが写っていないのも意味がありますよね。声が録れていて、現場にいた臨場感がありました」と実感した。

 

まおりさんは「火事のことを家族でもっと早く話せばよかった」と今でも後悔しており「どうしてもっと早く話さなかったんだろう。辛いことを1人で背負っているのは。子供達も相当辛かったと思う。私も相当辛かった」と話す。「火事はクローズな災害なので、この作品を作っていると、様々な声がかかる。気持ちがすぐ通じる」と感じ取っており「インターネットで火事にあった場合のことを調べてみたら無かった。話したがらないんですよね。私もそうだった」と実感している。だからこそ「映画を作らなきゃ、と思っていたかもしれないですね。辛さを聞いてもらえたり共有してくれる人がいるだけで気が楽になる」と身に沁みていた。本作は、子供達本人が登場するため「辛かったけど頑張ったよね」と思える映画にしたいと考え「彼女達が10年20年経っても観られるような作品を残しておこう」と子供達の反応も受けとめながら、じっくりと編集されている。「私達は記録映像があったから、向き合うことが出来た。自分達だけが火事にあったのではない。他にも大変な経験をした方がいたと思うだけでも、勇気になればいいな」と願っており「火事にあった人にも観て頂きたい。再生することを知ってほしい。必ず治癒されると思って撮影していたので、傷も治るし、大変なことがあっても様々な人が助けてくれる。また前に進むことができることを描いたので、知って頂きたい」と、どんなことが起きても生き抜いていけることをメッセージとして込めて本作は届けられた。

 

映画『焼け跡クロニクル』は、3月18日(金)より大阪・梅田のシネ・リーブル梅田や京都・烏丸御池のアップリンク京都や九条の京都みなみ会館で公開。また、4月22日(金)より神戸・三宮のシネ・リーブル神戸でも公開。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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