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役者は監督に答えを云わせるものではない、演技に魂が通っていないと意味がない…『由宇子の天秤』春本雄二郎監督に聞く!

2021年9月30日

女子高生いじめ自殺事件の真相を追うドキュメンタリーディレクターの女性が、学習塾を経営する父のある行動で、究極の選択を迫られる様を描く『由宇子の天秤』が10月1日(金)より関西の劇場でも公開。今回、春本雄二郎監督にインタビューを行った。

 

映画『由宇子の天秤』は、『火口のふたり』の瀧内公美さんが主演を務め、『かぞくへ』の春本雄二郎監督が情報化社会の抱える問題や矛盾を真正面からあぶり出していくドラマ。3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件の真相を追う由宇子は、ドキュメンタリーディレクターとして、世に問うべき問題に光を当てることに信念を持ち、製作サイドと衝突することもいとわずに活動をしている。その一方で、父が経営する学習塾を手伝い、父親の政志と二人三脚で幸せに生きてきた。しかし、政志の思いもかけない行動により、由宇子は信念を揺るがす究極の選択を迫られる。主人公の由宇子役を瀧内さん、父の政志役を光石研さんが演じるほか、梅田誠弘さん、河合優実さんらが脇を固める。

 

女子高生いじめ自殺事件と父親が起こした出来事という2つの大きな事象を描いた本作。春本監督にとっても脚本づくりは大変で「一稿目の段階では、いじめ自殺事件については多く書いていなかった。由宇子自身が同じ立場になっていく話を描く必然性が生じた」と説く。「由宇子が追っている事件について正しさを以て放送しないといけなくなってくるからこそ、自身のプライベートが明るみになってしまうと困る状況になった時、彼女の天秤がより際立ってくる。自分のプライベートをしっかりと描きたいと思ったら、事件の中にある人間ドラマをしっかりと描かないと活きてこない」と踏まえ「両方が影響し合うからこそ意味がある。自身のプライベートで正しくないことを選択しなければならない状況になった時、事件をしっかりと細かく設定を書きこんでいった」と解説。当初、事件の加害者側家族しか登場させなかったが「ファーストシーンで被害者側の家族が登場するのは後から出来た設定であり、書き込まれていった家族。両方を登場させないと、由宇子の立場と重ならない。少しずつボリュームが増えていった」と明かす。第一稿目で本作のアイデアを思いついた時には「これはおもしろい脚本を書けるかもしれない」と思いながら書き始め、出来上がった時には「これを直していったらもっとおもしろいものになるぞ」と改稿を重ねている。だが、迷路に迷い込み「稿を重ねる毎に、どこに向かうのが正解か分からなくなる」と告白しながらも「迷宮を乗り越える瞬間が来る。そこまで書き直し続けないといけない。十稿目でようやく着地点が見えるかもしれない。でも形にしてみないと分からない」と悩みに悩んだ後に脚本を完成させた。

 

また、本作では、長編アニメーション『この世界の(さらに いくつもの)片隅に』の片渕須直監督や『ソ満国境15歳の夏』の松島哲也監督がプロデューサーとして参画している。春本監督は「僕よりもキャリアが長い映画監督であり、自身が監督する時にプロデューサーからどういう言葉を言ってもらったらやりやすかったかどうか200%理解している。ならば、後輩である僕をプロデュースする時、200%気を遣ってくれる」と信頼し、プレッシャーは全く感じなかった。「僕はこうすると良いと思うよ、それを選ぶのは春本だよ」と云われ「僕が選ぶ権利を残してくれる。『俺の思うようにこの作品を変えてやろう』といった野心は1ミリも二人にはない。作品を良くするためにアイデアを出す立場のスタンスでやってくれた」と安心感を得られている。

 

前作『かぞくへ』を拝見し「春本監督の作品に出演したい」と手を挙げたのが本作主演の瀧内さん。台本を読んだ当初は「凄い脚本であることは分かるが、上手く言語化出来ない」と漏らした。監督自身も「一言では云えない作品」だと認識している。それでも、台本を読み終えた瀧内さんは「由宇子を演じたい」と申し出ており、春本監督のワークショップに参加してもらった上で、正式に出演が決まった。また、ドキュメンタリーディレクターの由宇子を見守る富山を演じたのは様々な規模の日本映画に出演し続けている川瀬陽太さん。春本監督は「飄々とされているように見える方ですが、物凄く気を遣う人なんです。そして、誰よりも十分に考えている人なんです。そんな中で、自分自身の感覚や本能を大切にしようとしている。このバランスがある中で、心の中でせめぎ合いがあるんだろうな」と現場で感じた。「現場ではなるべく僕からの直接的な答えを聞くことは避けようとしている。役者は監督に答えを云わせるもんじゃない、という思いがある方」と受けとめ「この矜持と慎み深さを現場が終わった後に感じました」と役者と監督の関係を一考せざるを得ない。撮影現場では、表情の指示等は一切命じておらず「指示することは、その役者をマリオネット化しようとしていることと同じ。魂が通っていないと意味がない。なるべく直接的で機械的な指示は出さなようにしている。リハーサルを何度も行い、間について説明しました」と言及した。

 

153分の長さとなった本作。「結果的にこの長さになった」と述べ「素材からOKカットを取り出し並べると9時間もありました。編集していく中で、3時間になりました。とはいえ流石に長過ぎるので、肉を削ぎ落として骨だけにするならどこをカットするか。判断が大変でしたね」と振り返る。最終的に「必要な骨しか残っていないので、ダレるわけがない」と断言。とはいえ「撮り終わっても繋いでみるまで分からない。一つ一つのシーンはOKでも、繋いでみると、おもしろいか分からない。観てもらう中で実態が分かってくる。現在もまだ育っている過程にいる」と冷静だ。完成した作品は、世界の映画祭に出品され、高評価を得ている。韓国の釜山国際映画祭でワールドプレミア上映が行われ「現代社会のディスコミュニケーションにおける人間の心の弱さや繊細さの機微を丁寧にすくい取っている」と評価を頂いた。また、スペインのラス・パルマス国際映画祭では、女性の映画作家団体から「ジェンダー格差がある世の中で男性作家が逞しい女性を描くことで、女性像を描くことが出来る男性作家がいるという手本になってくれた」と多様な社会に向けての確かな手応えを感じている。

 

映画『由宇子の天秤』は、関西では、10月1日(金)より大阪・梅田のテアトル梅田と京都・烏丸御池のアップリンク京都で公開。また、10月15日(金)より、神戸・三宮のシネ・リーブル神戸でも公開。

ドキュメンタリーは、客観的に事実や現実を切り取り、真実を照らし出す。しかし、どんなに客観的な視点で描こうとしても、潜在的に製作者側の主観や価値観が介入してくる。本作は主観と客観で揺れ動くドキュメンタリー作家の葛藤を徹底的に描いていく。その容赦のなさと隙のなさに誰もが自分の中にある正義の天秤を試される。今年の邦画を語る上で絶対に外せない作品だ。

 

いじめで自殺した少女のドキュメンタリーを制作中である由宇子に突きつけられるのは、父が犯したある罪だった。自らが選択した題材に対して真実や事情をとことん突き詰めようとする一方で、身内が起こした罪を隠蔽に近い形で穏便に解決しようとする。穏便な解決は当事者からの希望でもあるが、客観的な視点を重要視する彼女にとって自己を揺るがす重大な問題として立ち塞がっていく。真実を明らかにするための正しさや倫理観が、今度は自分に向けられてしまう。しかし、彼女にも守りたいものがある。二重規範に陥った彼女に対して事態は容赦なく悪化し、正義の天秤は揺れ動く。

 

ドキュメンタリー作家も、被写体として登場する当事者も、自分に都合の良い真実を無意識的に選び取ろうとする。選んだ選択によって何かを見落とし、何かを明らかにしてしまう。簡単に白黒つける事は出来ないからこそ、真実をはっきりさせる事はとてつもなく重い責任と選択、正しさ、倫理観が求められる。最終的に主人公が選んだ選択が本当に正しかったのかは分からない。ただ最後まで自分の中の正義と罪と向き合う意志があること、そしてその意志を貫くのはとても険しい道のりであることは確かだ。

fromマリオン

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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