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荒木さんが謝ると信じていた世界観が崩壊してしまう、故にオウム真理教からの救いは難しい…『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』さかはらあつし監督に聞く!

2021年5月13日

1995年にオウム真理教が起こした“地下鉄サリン事件”の被害者、さかはらあつしさんが監督を務め、後続団体“Aleph”の広報部長である荒木浩と対峙する様子を捉えたドキュメンタリー『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』が5月14日(金)より関西の劇場でも公開。今回、さかはらあつし監督にインタビューを行った。

 

映画『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』は、地下鉄サリン事件の被害者である映画監督さかはらあつしが、宗教団体Aleph(アレフ)として今なお活動を続けるオウム真理教の広報部長に迫ったドキュメンタリー。1995年3月20日、オウム真理教の幹部たちが東京都心を走る地下鉄3路線の5車両に猛毒のサリンを一斉散布した地下鉄サリン事件。当時通勤途中で被害にあい、PTSDと神経への後遺症を抱えるさかはら監督は考え抜いた末、事件やオウム真理教と向き合うことを決意。事件から約20年の時を経て、オウム真理教の後続団体であるAlephの広報部長である荒木浩と対峙する。所縁の地を訪ねる旅の中で、さかはら監督は荒木と対話を繰り返し、友人を諭すように接しながら彼の心の内に迫ろうとする。

 

Alephの広報部長である荒木さんへの出演交渉をするべく、まずはAlephのホームページに公開されているメールアドレスを通して連絡を試みたさかはらさん。最初は返信すらなく、Alephの東京道場に直接電話してみることに。そこで、どうにか荒木さんとのアポイントをとるため、ビデオレターを送付。以降、1年かけて交渉を行い出演に至った。また、ひかりの輪の上祐史浩さんにもアポイントメントをとり、京都・嵐山の天龍寺で会っている。対面した際には、共にいた信者の方が「被害者に対して申し訳ない」と泣き出したり、清龍寺を訪れた際に上祐さんに土下座をされたりした。「体裁と対面と恐怖心により直ぐに謝らなかった」と受けとめた。映画出演は快く承諾してもらったが、翻って意欲的な姿勢は本作には相応しくないと感じ、最終的に出演依頼を見送っている。荒木さんの場合は「出演交渉に1年を掛けてでも」と思わされた。Alephでは20人による合議制によって意思決定が行われており「荒木さんの意思だけでは決まらない。1年掛けて東京の道場に何度も足を運んで話し続け、出演が決まった。撮影許可は丹波入りした撮影2日目にもらった」と明かす。

 

撮影前に作品のテイストについて荒木さんに聞かれており、さかはら監督は「俺を施設に住ませてくれ。被害者が住んでいることについて彼らはどう感じるのか撮りたい」と直談判。さすがに荒木さんは「無理です。他の信者の顔出しもNG」と言われざるを得なかった。だが「彼等にサリンの後遺症を目の当たりにしてほしかった。そうすれば、教団がやったことがわかるでしょ」と意図を述べ「荒木さんだけを映しても彼の個性は作品に現れてこない。僕と荒木さんの違いを見せたほうが良い」と考え、本作をロードムービー的なドキュメンタリーとして制作している。

 

なお、地下鉄サリン事件の被害者であるさかはらさんは、事件に対し「被害にあった感覚がない。現実感がない。壊れているかもしれない。遭遇したことは覚えている」と率直に話す。顕在的な怒りがなく「潜在意識の中で、荒木さんに会っているとストレスが溜まっている。サリンの後遺症と、心理的防衛機制のためか眠りやすくなる症状があらわれやすくなる」と打ち明けた。故に荒木さんという人間に対し「オウム真理教に対してというよりも自分の人生を大切に使っていないことについて残念に思う」と述べている。共に過ごした時間に振り返り「荒木さんの感情が揺れている時もあるが、核となる部分は変わらない」と実感し「彼から謝る言葉は表層的なもので本当は要らない。謝ると、彼が信じている世界観が崩壊する。オウム真理教から救いたかったが、マインドコントロールによって構築された世界は崩れなかった」と残念でならない。

 

作中では、さかはらさんの御両親にも出演してもらっているが「本当は嫌がった。悪さをした近所の子が謝りに来た時のような葛藤を抱えていた。息子の友達に伝えるような感覚」だと受けとめている。最終的に、2015年3月20日には地下鉄サリン事件のあった霞ヶ関駅の献花に訪れているが、本来は映画制作を目的とした撮影は不可能であり「3月17日に東京メトロに対して真正面からお願いした。だが、記者クラブメンバーではないから断られた。『被害者の権利よりも記者クラブの権利を優先するのか。この事実を外国人記者クラブの会見で取り上げ国際世論に訴える』と伝え、2時間後に撮影許可をもらった」と明かし、通常は起こり得ないことを実現させた。

 

ヴィジュアルの記録こそが映画である、と考えているさかはら監督は、本作について「今後も資料として長期間用いられる使命を伴っている」と断言。プレッシャーもあり、エンディングの姿が見えなかったが、共同プロデューサーの陳穗珠さんからのアドバイスを受け「荒木さんの子供時代の写真を出して終わることも考えたが、やはりこの終わり方しか有り得ない」と本作の完成に至った。改めて、最後まで定まらないのが映画だと感じている。今後は、自著「小さくても勝てます」のキャラクターをベースにした映画化を考えており「最終的に心暖かくなる映画を作りたい。ドキュメンタリストになりたいわけではない。あえてドキュメンタリーを撮るなら、竹中平蔵さんに派遣労働を3ヶ月させるドキュメンタリーなら観たい人がいるだろう」と冗談を交えて話したり「会社の倒産を経験した後に這い上がった方からエピソードを聞き書籍化したりドキュメンタリーにしたい」と構想を伝えたりしながら「僕は常に偉大なアマチュアでいたい」と志は揺るぎない。

 

映画『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』は、5月14日(金)より京都・烏丸の京都シネマ、5月15日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場で公開。

平成30年7月、オウム真理教の教祖である麻原彰晃と、元教団員12名の死刑が執行された。日本を震撼させた地下鉄サリン事件から23年を経て死刑執行だったが、未だに一連の事件がなぜ起こったのか、その全貌を社会が理解したとは言い難い。まるで平成から出してはいけないものであるかのような幕引きの後に残されたのは、「カルト」や「洗脳」といったわかりやすい言葉だけだった。

 

本作は、地下鉄サリン事件の直接的な被害者であるさかはらあつし監督が、オウム真理教の後続団体Alephの広報部長である荒木浩氏との対話を試みたドキュメンタリーである。荒木氏は今も麻原を師として崇めているが、その事実がもつ過激なイメージとは裏腹に拍子抜けするほど普通の人だ。川での石投げにはしゃいだり、冗談に笑ったり、昔を思い出して懐かしがったりする様子には親近感を覚えてしまう。さかはら監督は荒木氏に時折「友人」という言葉を用いながら、Alephの広報部長としてではない、個としての彼の言葉を引き出そうとする。教団や信者といった漠然としたものではなく、一人の人間がそこにいる(いた)ということ。それを無視して事件を理解することはできないという監督の思いが、本作には込められているように感じた。

 

荒木氏の物腰は終始柔らかく、客観的に自分の立場を捉えているような印象を受けるが、信仰に関する話題になったときには揺らぐことのない信念がはっきりと見える。行為を罰することはできても、思想は自由であるべきだとすれば、彼に何を咎めることができるのか。観賞後、タイトルの意味が胸に重くのしかかった。

fromマエダミアン

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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