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切実なことに対して真っ直ぐに立ち向かう姿は美しい…!『君がいる、いた、そんな時。』迫田公介監督に聞く!

2020年7月23日

出身国の違う両親を持つ小学6年生でハーフの男の子と、同じクラスの浮いている男の子のふたりに対して、唯一優しく接する図書室の新任司書が織り成す物語を描く『君がいる、いた、そんな時。』が7月24日(金)より関西の劇場でも公開。今回、迫田公介監督にインタビューを行った。

 

映画『君がいる、いた、そんな時。』は、2人の小学生と彼らに慕われる図書室司書の女性が不器用に生きる姿を描いた、広島県呉市でオールロケを敢行したハートウォーミングドラマ。小学6年生の岸本正哉はフィリピン人と日本人の両親のもとに生まれ、クラスのいじめっ子たちから「ガイジン」などとちょっかいを受けている。正哉はその状況をしかたないと諦め、イヤではありながら抵抗することなくやり過ごしていた。そんな正哉のよりどころは、やさしく見守ってくれる新任司書の山崎祥子と過ごす図書室だけだった。同じクラスの放送委員の香山涼太は「DJカヤマ」と名乗り校内放送をしていたが、いつも空回りしてクラスの中でも浮いている存在だった。涼太は自身が企画するある特別放送に2人を巻き込もうとする。正哉は乗り気でなかったが、祥子は涼太の企画を手伝うという。そんな祥子にはある秘密があった。

 

本作が初の長編監督作品となる呉市出身の迫田公介監督。通っていた小学校は、放送室が外側に突き出た校舎になっていた。この思い出をモチーフにしてストーリーを作ることにしていく。当時に比べて現在は周りに建造物ができ、撮りにくくなっているなかで、呉市立港町小学校に気づき「町に向けて放送している様子が撮れるかな」とロケーションを決定。広島県でも最後の円形校舎であり特殊な形をしているが「校舎をアピールする作品ではない。作品に馴染んでいる」と気に入った。

 

小学生を演じた子ども達は、一般応募のオーディションから起用。放送委員の香山涼太を演じたのは坂本いろはさん。書類選考では性別を問わず、男の子に間違われ1次審査を通過した。迫田監督は実際に会って、演技力の素晴らしさを実感し、2分で起用を決定。「偶々、男の子役を女の子が演じただけ。象徴的な話になったかな」と納得しており「本作は、メインの3人が各々で苦しみを抱えている。でも、それぞれの問題に立ち向かってはいない。彼等は誰かのために必死に何かをやった。彼等自身の個性や陥っていることについての話ではない。それなら性別は関係ない」と解説。「本作は図書室や放送室、といった学校の中でも端の方を舞台にしている。学校のメインストリームである教室ではない」と述べ「皆がいる場所から外れたところにある話。はしっこがあることは大切」と多様性に重点を置いている。

 

今年は、子供達のいじめを扱っている作品が目立ちつつある。だが、他の作品と比較すると、本作は、過激な暴力描写を強く描いていない。迫田監督は、見せつけるような表現を好んでおらず「カラッとしているように見えるかもしれない。だが、彼等それぞれの悩みや苦しみを切実に描いています。心を見せるのが映画。そのために何を撮るか」と考えている。「僕は心を撮りたい。心の動きを撮るために映画を作る」と率直に話し「大人と同じように子供達を描いている。子供ならではのハチャメチャな行動をしていますが、皆の感情は同じ」だと思って描いていく。あえて暴力描写は描いておらず「周囲に見せない裏側の姿を描くことで、彼等の気持ちが浮き出てくる。心の苦しみや重さ、心が解放されたり癒されたりすることに眼が届くように撮っている」と意図を説き「僕はそんなに優しくない映画だと思っている。鑑賞後にポジティブな作品だと思ってくれるなら、功を奏している」と本作を制作した意味を明かした。

 

子供達に対して、大人と同じレベルで気を遣って演出しており「子供だから分からない、とは思っていない。大人と同じように子供にも考えさせ、感じたとおりに演じてもらうようにした」と説く。「今までは神経質になってキッチリと撮っていた。だが、僕が考えたことを演じてもらってもつまらない」と後悔しており「僕の中にある世界だけを表現すると自分の限界を超えられない。彼等が考えていることに委ねた方が拡がる」と役者の力を信じ、子供達の戸惑いも受けとめながら撮影に臨んでいる。なお、新任司書の山崎祥子を演じた小島藤子さんには、彼女が抱えている問題や過去の出来事について、打ち合わせを一切行わずに決めてもらい、その内容を全て受け入れた。すると、小島さんの演技が正解となり「最終的にOKを出すのは監督だが…僕以上に考えられていた」と、クリエイティブな撮影ができ感心している。

 

なお、迫田監督は、自身が鬱病を患っていることを告白。お世話になっている医師から「鬱になりました。鬱の原因が恨みだと分かったとして、恨み続けて治るものでもない。交通事故に遭い骨折しても、車の運転手が反省したところで骨は治らない。これと同じ」と云われ、気づかされた。「心も体も治らない。ならば立ち向かうことに意味があるのかな」と実感し「彼等は結果として苦しみに立ち向かえたかもしれない。でも、別の意味で強くなっていたはず。大切な人の為に思いを寄せて力を注ごうとした時、彼等が強くなったことは自然であり、強くなっていてほしい」と願っている。映画監督という仕事は大変であるが「この映画を作れてよかった。誰かのために作った時に自身へと跳ね返ってくる。何もかも嫌になる時があるが、作っていく上で大切な人が出来て助けてもらうことがある」と本作を制作し痛感していく。自らを顧みながら「僕みたいな人間でも生きていける。彼等もダメな奴だけど、切実なことに対して真っ直ぐに立ち向かう姿は美しい」と受けとめ「観て頂いた方にも、上手くいかなくても一生懸命に生きている人がいる。お互いが素晴らしいと思えるようになったら救われるかな」と自作の存在意義を語った。

 

映画『君がいる、いた、そんな時。』は、7月24日(金)より大阪・梅田のテアトル梅田で公開。初日には迫田監督を迎え舞台挨拶開催。また、8月14日(金)より京都・九条の京都みなみ会館でも公開予定。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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