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人間は如何にして罪の意識を捨ててしまえるのか…!『許された子どもたち』内藤瑛亮監督に聞く!

2020年5月29日

いじめによる殺人の加害者と家族に焦点を絞り、罪を問われない“不処分“扱いになった少年のその後から、罪と罰のあり方を問いかける『許された子どもたち』が6月1日(月)より公開。今回、内藤瑛亮監督にZoomを用いたインタビューを行った。

 

映画『許された子どもたち』は、『先生を流産させる会』の内藤瑛亮監督が、実際に起きた複数の少年事件をモチーフに、構想に8年の歳月をかけて自主制作映画として完成させたドラマ。とある地方都市。不良グループのリーダーである中学1年生の市川絆星は、同級生の倉持樹に対するいじめをエスカレートさせ、ついには彼を殺してしまう。警察に犯行を自供する絆星だったが、息子の無罪を信じる母親の真理からの説得により否認に転じる。少年審判は無罪に相当する「不処分」の決定を下し絆星は自由を得るが、世間では激しいバッシングが巻き起こった。そんな中、樹の家族は絆星ら不良グループの罪を問う民事訴訟を起こすことを決意する…

 

養護学校に非常勤講師として勤めていた20代中盤の内藤監督は、特別支援学校で働くことの楽しさを覚え、教員採用試験に合格し教員として勤務しながら、自主制作で映画を作り始めた。元々はパンチ力のある映画を好んでおり、TVでは観られないようなぶっ飛んだ作品を観ることに喜びを感じていく。故にギョッとするようなモチーフのある作品を手掛けてきたが「決して暴力は好きではないし、日常的に接してもいない。どちらかといえば怖い」と感じており、怖いからこそ描いてきた。

 

初長編作品『先生を流産させる会』の公開前から本作を企画していた内藤監督。当時はまだ教員をしながらの映画監督だった。作品は評価され、映画会社やプロデューサーから声がかかるようになり、教員を退職して映画の道を歩むことを決心。本作の企画を映画化するべく交渉してきた。興味を持ってくれた方もいるが「もっとエンターテイメントにしてほしい」や「出演する子どもたちを20歳過ぎてもいいからアイドルや若手俳優に出来ないか」と云われ、監督が望む形での映画化が出来なくて8年が過ぎていく。2015年に「川崎市中1男子生徒殺害事件」が起き「この事件は僕が描こうとしていた題材と根源的に繋がっている」と感じると同時に「現代的な社会の病理が表出している面があるな」と気づく。そこで「自主制作映画として今すぐ撮りたい」という思いが高まり、制作に至った。

 

(C)2020「許された子どもたち」製作委員会

 

制作にあたり、内藤監督は出演を希望する中学生を対象にワークショップを開催。所謂、演技の技術を教えるワークショップではなく「いじめを題材にした作品を作ります。出演を希望し、いじめについて演じながら考えたい人は参加して下さい」と打ち出し、少年犯罪や贖罪の在り様を共に考えさせる内容である。演技経験の有無は関係なく、いじめ問題に興味を持って参加された子が多かった。「いじめの経験談を知り合いにインタビューして下さい」という課題を出すと、いじめに関する経験談を知人から聞き、ワークショップではインタビューした相手を演じながら経験談を自身の経験のように語ってもらう。聞いていた子どもたちは質問し、それに応えていくと、時にはインタビューしていない部分も質問されるが、想像して演じながら応えていく。「いじめの被害者や加害者の内側に入って、どのようにいじめ問題を捉えられているか」と考えてもらう狙いがあったが、監督もギョッとするような経験談もあった。例えば、「あなたのした悪いことを演じる」ワークショップの課題では、親のクレジットカードを使って150万円使ったこと、担任の先生を皆で泣かせて追い詰めて辞めさせたことが挙げられていく。インタビューをした子ども本人も「この相手は反省していない」と感じ取り、如何に反省していないかを語っていくこともあり「如何に悪いことであるか」と分析もやってもらうようにした。「いじめ」と「いじり」の違いについて討論した際には、やられている側が「いじめ」だと思ったら「いじめ」になる、という結論が纏まりかけていた時、実質的にいじめられていても被害者が「いじり」だと認識することもある、という考え方も挙げられていく。「友達でありたい」という自尊心やプライドによって、被害者はカーストの低い位置になってしまうことを恐れ「いじめじゃない、いじりだ。僕達は友達だ」と思い込もうとする卑屈な心理にも気づかされた。子どもたちが自分なりの言葉で表現していることは新鮮であり「僕が作り込んだ台詞より彼等自身の言葉やロジックや空気感が怖いし興味深い」と考え直していく。そこで、作中にある討論シーンでは、台本を用意せず実際に子どもたちがディベートしており、ドキュメンタリー的手法を撮影に取り入れている。

 

 

2ヶ月間にわたり全8回のワークショップを開催し、内藤監督は子どもたちの人となりが分かり、それを反映するようなキャスティングにしていった。ヒロインの櫻井桃子を演じた名倉雪乃さんは自前のロリータファッションを装っており、かつて学校でネガティブな経験があり、演じた役に近い存在であるため、そのままキャスティングしている。蓮見春人を演じた春名柊夜君は素で一風変わった話し方をするので、本人のキャラクターに近づけていった。まさに本人のキャラクター性や人間性をキャラクターに近づけたり反映させていったりしながら見事なキャスティングとなっている。なお、不良少年グループを演じた子どもたちは、嫌がることはなかった。いじめの加害者について知って演じようというワークショップであったため「彼等も光栄だったんじゃないかな。本人達の役としては、これをいじめだとは思っていない。男の子によくあること。実質的には、いじめやいじりによって上下関係が明確にある。友達関係のノリや遊びだと、やられている側も共通認識を持ってしまうことは、男友達の関係性では多い」とワークショップでも話し合っており「役柄を理解して取り組んでいる」と感じている。彼等には監督がキャラクターインタビューを行っており「本人自身ではなく役として応えている。いじめ加害者グループにいる彼等も自分達は友達関係で成り立っている。樹君に対する行為もノリでしかない」と理解した上での受け答えをしていることが理解できた。

 

(C)2020「許された子どもたち」製作委員会

 

主人公の市川絆星を演じた上村侑君について、内藤監督は「大きな体格で男らしい体つきをしているが、繊細なところもある」と捉えており「彼自身が中学生になってから体が大きくなり、本人も戸惑い、学校に行けない時期があった。繊細な面を持っており、見た目の強そうな男らしさと、繊細な部分のギャップが絆星役に合っている」と感じ、大変な役ではあるが抜擢する。また、彼の目に力があると感じ「絆星は内面を語らずに目で語っていく存在なので適している」とも話す。とはいえ、演技経験は多くなく「現場ではどうやって演じればいいのか迷っていました」と明かし「その時、こちらから答えを出してしまうと、演技の幅が狭まってしまう。出来るだけ質問を投げかけるようにしました」と説く。具体的には「その時、どういう気持ちだと思う?」と聞いていき「彼が答えたら、他の可能性も提示しながら質問し、彼が考える幅を広げていくような感じで伝えていきました。明確なことは提示せず、考えながら演じてもらうようにしていった」と心掛けていた。現場では「いじめの加害者ではあるが、後半は周りから責め立てられていく立場なので、精神的に辛そうでした」と感じ取っており「彼に限らず素人の子どもたちが参加している。精神的にも肉体的にもストレスの多い作品だと認識しているので、カウンセラーの方に入ってもらった。辛いことや悩んでいることがあれば、監督に言いづらいことをカウンセラーの方や親に話しても良い」と気遣っていく。なお、監督もカウンセラーの方に「どういうことを気をつけたらいいか」と質問したり相談したりしながら撮影していった。

 

内藤監督の『ライチ☆光クラブ』や『ミスミソウ』は、衝撃的なクライマックスを迎えカタルシスが大きくなり、感情の高まりがある。本作に関しては、分かりやすいカタルシスで終わらせていない。本作では「山形マット死事件」が着想の基にある。加害者の少年達が最初は自供していたが、否認に転じた。彼等はずっと否定していたが、最終的に高等裁判所で被害者の死に関わっていることが認定されている。それでも彼等は否定し、その後、大人になり、仕事に就き、結婚して子どもがいる方もいるが、損害賠償請求に対して一人も支払わなかった。監督は「何故このようなことが出来るのか」と引っかかり「罪を犯したにも拘らず、罪の意識を完全に捨ててしまっている。自分が子どもを殺したのに自分の子どもとどう向き合っているんだろう」と疑問が残っていく。或いは「意外と平穏に暮らしているんじゃないか」という気もしながら「人間はそんなことも出来てしまう。そんな姿を描きたい」と着想。「観た人によっては主人公が反省していないことに不満を持つ方もいる」と明かしながらも「ある現実、として突きつけたい。如何にして罪の意識を捨ててしまえるのか」と追求していった。

 

(C)2020「許された子どもたち」製作委員会

 

本作の劇伴を担当した有田尚史さんは、内藤監督の作品に長年携わっている。監督は編集の時に既成曲を付け、イメージを添えて有田さんに依頼していく。この手法の場合、楽曲のイメージに引っ張られるので、嫌がる音楽家もいる。「有田さんの視点を以て解釈し、自分なりの世界観を以て制作してくれる」と信頼しており、デモが届いた際には「ここの音は外してほしい」「この低音を強くしてほしい」「この高音はもっと足してほしい」と細かく指示していった。今作の終盤は曲が進めていく長いシーンとなっており、神聖かまってちゃんの「フロントメモリー」と、マイケル・ウィンターボトム監督の『ひかりのまち』でマイケル・ナイマンが制作した楽曲を繋げたものを仮で充てており「前半は疾走感あるポップな曲、後半は抒情的な雰囲気に切り換えていってほしいと無茶な依頼をして作っていった」と打ち明ける。エンディングの楽曲には、ドラマ「TRUE DETECTIVE/二人の刑事」の第1話「暗闇」の最後に流れたThe Black Angelsの「Young Men Dead」をイメージしており「第1話が終わった時、ある犯罪が解決したと思ったら実は全然解決しておらず、これから始まるぞという時に格好良く楽曲が流れる」と語ってくれた。

 

なお、現在の状況下において、内藤監督は、じっくりと脚本が書けている。実は『先生を流産させる会』公開時、想定していなかった様々な批判を受けて反省しており、以降はミソジニーやフェミニズムに関する本を読むようになった。そこで「女性を差別してしまう男性は、男らしさに縛られている。男性優位社会が作られている中で、女性嫌悪や女性差別が内面化してしまう。男性自身も男性のあるべき論に縛られ苦しめられている」と理解し、今作にも反映されているところがある。「弱い自分を受けとめられなくて『男は泣くな、弱音を吐くな』と躾けられ、最悪の場合は自殺してしまう。弱い自分を打ち消すために強い自分を演じ作り上げようとする。時には女性差別的ニュアンスも入ってしまう」と述べ「絆星は苛められていたけど、弱い自分を受け入れられなかった。強い自分を作り出そうとしてあぁなってしまった。男らしさに縛られていた」と説く。次作について「雄大な男らしさに囚われている男を主人公にして書いています」と明かし「#MeToo運動が盛んになり、女性の立場から男社会の問題点を描く作品が増えましたが、男性の立場からも考えて作っていかなきゃいけない」と自戒も込めて話す。また「ポリティカル・コレクトネスな視点を取り入れられた方が表現の幅が拡がる」と考えており「『ゲット・アウト』は見事に表現し、新しいエンターテイメントとしておもしろく、作品として成立している。凝り固まって出来上がった今までの作品を前に進めるために、ポリコレ的な視点を取り入れて作品を作ることは重要かな」と語った。

 

映画『許された子どもたち』は、6月1日(月)より大阪・梅田のテアトル梅田、6月12日(金)より京都・出町柳の出町座、6月20日(土)より神戸・元町の元町映画館で公開。なお、出町座では、6月12日(金)から6月25日(木)まで内藤瑛亮監督の『先生を流産させる会』と『牛乳王子』も上映される。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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