長く上映し日本全国で響かせたい…!『盆唄』中江裕司監督を迎え舞台挨拶開催!
福島からハワイ、富山と舞台を移しながら、東日本大震災の影響で存続の危機に瀕する福島県双葉町の伝統“盆唄“のルーツと現状、そして未来を映し出す『盆唄』が、2月22日(金)より関西の劇場でも公開。2月23日(土)には、大阪・梅田のテアトル梅田に中江裕司監督を迎え、舞台挨拶が開催された。
映画『盆唄』は、『ナビィの恋』の中江裕司監督が、「盆唄」を通して結ばれる福島県双葉町の人々とハワイの日系人たちの姿を追ったドキュメンタリー。東日本大震災から4年が経過した2015年、避難所生活を送り続ける双葉町の人々は、先祖代々守り続けていた伝統「盆唄」消滅の危機に心を痛めていた。そんな中、100年以上前に福島からハワイへ移住した人々が伝えた盆踊りが「フクシマオンド」として現在も日系人に愛され続けていることを知る。自分たちの伝統を後世に伝えられる新たな希望を抱いた双葉町の人々は、盆唄を披露するべくマウイへ向かう。故郷とともにあった盆唄が、故郷を離れて生きる人々のルーツを明らかにしていく。
中江監督が3年の歳月をかけて取材を敢行し、双葉町の豊かな伝統芸能とハワイのボンダンスにまつわる唄や音楽、その背景を鮮やかに映し出す。史実に基づくアニメーションパートでは、余貴美子さん、柄本明さんらが声の出演。
上映後、中江裕司監督が登壇。うちなーぐち(沖縄の方言) で挨拶しながら、和やかな舞台挨拶となった。
沖縄に住み、沖縄で映画を撮っている中江監督が、福島とハワイに3年かけて通い詰めて撮った今作。きっかけは、東日本大震災の1,2年後に『白百合クラブ東京へ行く』のスチールカメラマンである岩根愛さんから「ハワイの日系移民と福島県の盆踊りを受け継いでいる人達を繋げたい」という思いを以て、映画製作の相談を受けた。当時、沖縄県への取材状況と東日本大震災後の状況を鑑み「同じようなことはしたくない。ご縁のない私には出来ません」と一度は辞退する。
だが、ある日、バンドBEGINから依頼があった。戦後の大変だった沖縄で、ハワイで募金活動を募り、生きた豚を550頭沖縄に送り、沖縄の食糧危機を救った逸話を聞き、BEGINは「感謝の気持ちを以って楽器をハワイに送ろう」と中江監督にドキュメンタリー制作を相談。NHKのドキュメンタリーとして撮り、ハワイの日系人達とご縁ができた中江監督は、岩根さんの依頼に応じるに至った。
まずは、本作で中心となる横山さんと実際にお会いし「魅力的な人。僕自身も惚れ、映画に出来る」と感じ、撮影を開始。ドキュメンタリーは簡単に撮り始められるが、撮り終わりは難しいと受けとめており「撮れたという実感がない限り終わらない。最長で10年かかる」と覚悟していた。なお、自身が制作する劇映画やドキュメンタリーについて「監督は不完全なものしか作れない。観て頂いた皆様の人生を以って補い、映画は出来上がっていく」と冷静に捉えている。
作中には、アニメーションも盛り込まれているが、中江監督は「ドキュメンタリーは撮りながら考えていく。最初から構成があるわけではない。撮れたものがあり、次に何を撮るかと考えていく」と解説。最初は双葉町の方の現在の日常を撮り始めたが「現在も帰還困難区域ですから、とても厳しい状況です。でも、それだけの映画にはしたくなかった。希望を描く必要がある」と訴える。先人達から学ぼうと思い「ハワイ移民が育ててきたフクシマオンド等も含めて描かないといけない。現在の双葉町の方による捉え方を受け、アニメーションの手法が見えてきてた」と直感。全ての撮影を終えてから作り始め「双葉町の方々への僕のメッセージでした。それがお客さんにも希望を見せられることになるんじゃないか」と考え、アニメーションを採用した。本作が公開された現在は「長く上映していきたい。3.11を超えて、日本全国で『盆唄』が響くことが双葉町の為にもなります。ぜひ広めて頂ければ」と思いを込め、舞台挨拶は締め括られた。
映画『盆唄』は、大阪・梅田のテアトル梅田、神戸・三宮のシネ・リーブル神戸、京都・烏丸の京都シネマをはじめ、全国の劇場で公開中。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
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