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日本人が足を踏み入れていない台湾はまだまだ沢山ある…『心の故郷 ある湾生の歩んできた道』林雅行監督迎え舞台挨拶開催!

2018年11月10日

日本統治時代の台湾で生まれ育った“湾生“と呼ばれる二世、三世の日本人を描くドキュメンタリー『心の故郷 ある湾生の歩んできた道』が大阪・九条のシネ・ヌーヴォで11月10日(土)より公開。公開初日には、林雅行監督を迎え、舞台挨拶が開催された。

 

映画『心の故郷 ある湾生の歩んできた道』は、日本統治下の台湾で生まれた日本人=「湾生」をテーマに製作したドキュメンタリー。台湾の北東部の街・蘇澳で生まれた竹中信子さん、武石道男さんは、戦後の引き揚げによって日本に渡り、以降の人生を日本で過ごしてきた。80歳を越えた2人が2013年、偶然にも知り合い、台湾で過ごした幼少期の思い出話に花を咲かせる。映画はそんな2人を中心に、台湾を「第2の故郷」あるいは「第1の故郷」ともいう湾生たちが、なぜ台湾を懐かしみ慕うのか、いま何を思うのか、湾生たちの戦前と戦後を描き出していく…

 

上映後、林雅行監督が登壇。本作と台湾の話題を中心に舞台挨拶を行った。

 

林監督は、これまでに台湾を舞台にしたドキュメンタリー映画を制作してきており、今作で5作目。今までは台湾人が主役の作品を撮ってきたが、数年前に湾生を取り上げた映画がブームになった時に「湾生で作りませんか?」と依頼があったが、当時は迷っていた。林監督の母親は中国の青島生まれ。青島の高等女学校を卒業して日本にやってきた。日本には多くの移民がいたが、台湾生まれの方だけが湾生と定義されている。何故かと思っていた時に「東京で開催された湾生の集まりで竹中さんと武石さんに出会った。この疑問を追求したら興味深いストーリーになるんじゃないか」と気づき、制作を決意。完成までに5年近くかけており、蘇澳には9回も訪れ撮影。湾生を探し求めて、九州や沖縄にも絶えず向かった。

 

なお、林監督が初めて台湾を訪れたのは2004年。当時は台湾に対して現在のように注目していなかった。初監督作品『友の碑 白梅学徒の沖縄戦』で沖縄を訪れた時を振り返り「ある女性から『沖縄の人にとっては、本土より台湾の方が近い』と聞き、台湾を意識するようになった。僕の周りでは、中国への関心が多く、台湾の存在は意識していなかった。以来、台湾のことをよく考えるようになった」と明かす。

 

現在、日本から台湾への旅行は、安価で行きやすくなっている。例えば、金曜日に仕事を終えてから台湾に向かい、日曜日の最終便で帰って来ることも可能。だが、あまりにも忙しいスケジュールであるため、林監督は「最低1週間はいるようにしている。台湾への旅行は安価で食べ物も安いが、全てが安いわけでない。事前に調べてから行くこと」を薦める。だが、本作で取り上げられる蘇澳や基隆は、まだまだ日本人には馴染みがなく、観光コースにすら入っていない。基隆・蘇澳・高雄は台湾三大観光地。蘇澳がある東部は行きづらいが「高速道路が開通して台北から車で1時間半弱程度。タクシーでも二千元(1元が約3.7円)程度なので、今後注目される場所。東部はまだまだ開拓される余地があり、良い所がある。日本人は年間120万人が台湾を訪れているが、日本人が足を踏み入れていない場所は沢山ある」と提案。2013年の作品『呉さんの包丁』では、中国大陸から10km程度離れた場所にある小さな島である金門島を舞台に撮影した。台北からは飛行機なら50分で行ける島だが、日本人は年間200人しか来ない。日本から訪れる方は珍しく「台湾に駐在している日本人が帰国する前に、辺鄙な場所を訪れたいと思った時に行く場所。ガイドブックに書いていることと現地で感じることは違う」と提言する。林監督は、今後も様々な台湾を伝えようとしており、本作の続編である『湾生いきものがたり』も公開予定。

 

 

映画『心の故郷 ある湾生の歩んできた道』は、大阪・九条のシネ・ヌーヴォで公開中。なお、11月24日(土)からは京都・烏丸の京都シネマで公開。また、神戸・元町の元町映画館でも近日公開予定。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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