ドキュメンタリーのおもしろさは、はみ出したところにある!『港町』第七芸術劇場でトークイベント開催!
前作『牡蠣工場』の撮影中に出会った岡山県瀬戸内市牛窓に住む人々を捉えた『港町』が4月21日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場で公開。公開2日目には、想田和弘監督を迎えてトークイベントが開催された。
映画『港町』は、『選挙』『精神』『演劇』等を手掛けた想田和弘監督が、港町で暮らす人々にフォーカスを当てたドキュメンタリー。前作『牡蠣工場』の撮影で岡山県瀬戸内市牛窓を訪れた想田監督は、撮影の合間に港を歩き回り、その最中に町の人々と出会う。失われつつある土地の文化や共同体のかたち、小さな海辺の町に暮らす人々の姿と言葉が、モノクロームで映し出される。ナレーションやBGM等を排した想田監督独自のドキュメンタリー手法「観察映画」の第7弾として製作された…
大阪での公開2日目、上映後に想田監督のトークイベントが開催されるため、劇場は満員御礼状態。登壇した想田監督は、その光景に圧倒されながら挨拶を行った。
本作の舞台は、岡山県瀬戸内市牛窓。想田監督にとって牛窓は「今作のプロデューサーであり、私の妻である柏木規与子の母親が出身。その母親のお母さんが牛窓で煙草屋をやっていた。牛窓ばあちゃんと呼び、よく遊びに行っていた。牛窓ばあちゃんが亡くなった後、母親の同級生の家を借りて、夏休みを過ごしている場所」だと明かす。太極拳を毎朝行っている柏木さんは港でいつものようにやっていたら目立つことに。最初は、漁師さんが怪訝な顔をしていたが、だんだん声をかけるようになり、魚を頂くようになる。その魚を囲みながら、2人で漁師さんの話になるが、牛窓の漁師さんは70~80歳代で後継者がいない。漁師さんがいる風景が10~20年経つと当たり前ではなくなっていくこともあり得ると想田監督は衝撃を受けた。そこで「牛窓で起きていることは、日本各地でも起きているんじゃないか」と思い、漁師さんの仕事や暮らしを撮り始める。その時、偶然にも以前会った漁師さんが牡蠣工場を持っており『牡蠣工場』を撮った。1週間程度で撮影を終え「『牡蠣工場』に挿入する風景ショットを撮ろうとカメラを持って歩き回っていた。漁港で大きな魚を捕ったワイちゃんがカメラを持っている僕を見つけ『これ撮られ』と呼びかけた。撮っていると、様々な話をしてくれるワイちゃんに味があり、おもしろくなってきた」と振り返る。漁港の後に市場に行くと競りを撮影、そこでは魚を買っている鮮魚店の女将さんに出会い、お店に伺って配達の様子を撮影…と自然に経済のサイクルを撮っていった。
まさに、港町の風景を撮影して回った想田監督は、本作の重要人物であるクミさんに遭遇する。クミさんについて、想田監督は「ワイちゃんを撮ろうとしている時、必ず乱入してくる。当初は困ったが、目の前の現実を素直に撮るのが観察映画の趣旨。クミさんが乱入してくるなら、クミさんも入っちゃっていいよ」と応えた。次第にクミさんの重要度が増し、ほぼ主人公に。クミさんの存在について「気づいていたが、カメラを持っていなければ逃げ回りたい。監督になった気分で連れていかれた時もある。半分は断ったが、今は後悔している」と打ち明ける。病院に誘われた時は「行く気が起こらなかったが、根負けした。それがまさか映画の重要なシーンにになろうとは全く予想していなかった」と告白。本作が漁業についての映画だったら撮影内容は決まっていた。テーマを定めず、おもしろそうなことにカメラを向けていくことが観察映画の十戒にはある。漁業とは関係ないことも沢山映されるが「実は関係ないことがおもしろい。テーマに沿って撮ってしまった場合、僕はそれを雑念と呼ぶ」と定義。テーマに沿った言葉を発してほしい欲求が出てきた時に「意識を切り替えると雑念は消えていく。雑念は未来に関する妄想であり、今がおろそかになるので、撮影は失敗する。未来や過去は観察できない。目の前の現実を観察する」と断言する。
想田監督はかつてTV放送向けのドキュメンタリーを撮っていた。事前に多くの情報をリサーチし、提案書を作り、ねらいやテーマを書く。そのねらいを浮き彫りにするために人物と場所を取材する。撮れる内容を把握し、起承転結のある台本を書く。ナレーション案を書き、想定問答を書いた後にプロデューサーに認められ、ようやく撮影に挑む。この手法について「予定調和な作品しか出来上がらない。実際に行ってみると全く違い、現実は複雑で突飛なことが起きている。それを撮って帰ると、承認した台本と違うため、プロデューサーに怒られ、本末転倒」だと断言する。特に、一番の不満は「プロデューサーが編集する時、一番おもしろいところからカットされること。一番のおもしろさは、はみ出たところにある」と嘆く。「観察映画の十戒」を決めて撮り始めたことは「TV向けの作り方や方法論に対する反発がベース」だった。
本作は、モノクロ映像で構成されている。想田監督は「アクシデントに近い」と表す。当初、カラーで撮影し、カラーで仕上げていた。今作について「色が重要だと思っていた。夕暮れ時に大事なことが起きており、夕暮れ時のカラーグレーディング(色調補正)は時間をかけていた」と明かす。映画の仮タイトルは色を意識し『港町暮色』にしていた。だが、仮タイトルについて「スタッフには不評だった。演歌みたいで、説明っぽく、僕もしっくりとこなかった」と打ち明ける。そこで、柏木さんから「モノクロにしちゃえばいいじゃない」と提案されるが「何を考えているんだ」と反論していた。だが、急にモノクロ案が気になり、思い立ってやってみることに。当初は、やってみたがダメだっだと結論しようと思っていたが「やってみたらおもしろかった。最初は5分で却下する予定が、最後まで観てしまった」と打ち明ける。1週間程度悩んだ末、映画が違う次元に向かうと感じ、モノクロに決め、タイトルも『港町』となった。モノクロにしたことで「抽象性が増し、虚構性の被膜が一つ加わり、現実であって現実ではない」と、全く違う映画になった。最終的に「色調整や編集と何が違うか。作品毎に手の加え方は異なるが、禁じ手ではない。牛窓が時空の穴に嵌まり込んだような不思議な感覚になる。その感覚が伝えられるのがモノクロ。今ではカラーで観られない」と結論付ける。
観察映画は、観察する主体があることが前提。作品について「僕らが観た世界や体験を表現し、観客の皆さんに疑似体験してもらうことが究極の目標。あたかも牛窓を旅したかのように感じて頂けたら成功」だと想田監督は説く。観察について「一種の幻想。客観的真実を人間が描くには無理がある。僕の場合は一人称で撮りたい」と訴える。また「メディアの表現を観る時、作り手はどういう風に考えてこういう構成にしたのか、何故ここでこのショットを挿し込んだのかを考える。客観的事実として受け取れない」と断言した。
映画『港町』は、大阪・十三の第七藝術劇場で公開中。また、6月23日(土)からは京都・烏丸の京都シネマ、神戸・元町の元町映画館で公開予定。なお、次作『ザ・ビッグハウス』は第七藝術劇場で6月23日(土)より公開予定。
- キネ坊主
- 映画ライター
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- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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