僕の映画が誰かの背中を押せたら…『洗骨』照屋年之監督(ガレッジセール・ゴリさん)を迎え大ヒット御礼舞台挨拶開催!
沖縄の一部の地域に残る“洗骨“という慣習を題材に、ばらばらになってしまった家族が再び家族の絆を取り戻していく姿を描き出す『洗骨』が、全国の劇場で公開中。3月9日(土)には、照屋年之監督(ガレッジセール・ゴリさん)を迎えて大ヒット御礼舞台挨拶が開催された。
映画『洗骨』は、ガレッジセールのゴリさんによる監督・主演で、数々の映画祭で好評を博した2016年製作の短編映画『born、bone、墓音。』を原案に、ゴリさんが本名の照屋年之名義で監督・脚本を手がけた長編作品。沖縄の離島・粟国島に残る風習「洗骨」をテーマに、家族の絆や祖先とのつながりをユーモアを交えて描いていく。新城家の長男・剛が母・恵美子の「洗骨」のために故郷の粟国島に帰ってきた。母がいなくなった実家にひとりで暮らす父の信綱の生活は、妻の死をきっかけに荒れ果てていた。さらに、長女の優子も名古屋から帰ってくるが、優子の変化に家族一同驚きを隠せない。久しぶりに顔を合わせ、一見バラバラになったかにも思えた新城家の人びと。数日後には亡くなった恵美子の骨を洗う大事な洗骨の儀式が迫っていた…
父・信綱役を奥田瑛二さん、長男・剛役を筒井道隆さん、長女・優子役を水崎綾女さんがそれぞれ演じ、筒井真理子さん、大島蓉子さん、坂本あきらさん、鈴木Q太郎さんらが脇を固める。
上映後、照屋年之監督(ガレッジセール・ゴリさん)が登壇。「来ちゃいました」と照屋監督だけの登壇となったことを申し訳なさそうになりながら、スタンダップ・コメディのごとく舞台挨拶を繰り広げた。
普段はお笑い芸人のガレッジセール・ゴリさんとしてのイメージがと強いが、13年以上も毎年短編映画を撮り続けており「こういう映画が撮れるようになりました。正真正銘、私が撮りました」と満を持して立っている。照屋監督は日本大学芸術学部映画学科に在籍(大学は中退)。その後、吉本興業に入りお笑いの道に進んだ。吉本興業が芸人100人に短編映画を撮らせる企画を13年前に起ち上げ、映画学科出身のゴリさんに依頼があり、自身で脚本を執筆。「脚本は、喜怒哀楽を作り、お客さんを飽きさせないようにしないといけない」と認識している。だが「プロのカメラマンや照明さんに指示をすることは絶対出来ない」と感じ、断ろうと思っていた。紀里谷和明監督の『GOEMON』に出演した際、監督の動きを見て無理だと思いながらも、監督に相談したが「馬鹿じゃないの」と怒られることに。「アメリカ人は目の前にチャンスが来たら取らない人間はいない。実力ある人間にチャンスは来るが、チャンスがない人間にチャンスが到来するのは人生の徳だと思わないと。アメリカ人は実力の有無にかかわらず、チャンスを手に入れたら、取ったと同時に実力をつけ始める」と教わった。「1回しか人生だしやってみようか」と思いチャレンジ。でも、それはあまりにも苦しい体験だった。「皆、疑問点は監督に聞いてくるから時間が掛かる。夜10時撮影終了のはずが朝5時。地獄の7時間押し。皆が嫌な空気を作る。全員が敵に思えて逃げたくなる。二度と映画は撮らない。撮れる人は決まっているんだ」と実感し、最後にしようと一度は決意する。だが、撮り終わって編集段階になると「編集作業が自分を変化させる。今まで僕が頭の中で考えていた物語が脚本で文字になり、撮ることになって皆が共通して観れる物語が生まれ、編集時は気持ち良くなり、苦労を経て子どものように可愛い」と変化していく。その時には苦しいことは忘れており「次を作りたい」と勇気がわいた。「有難いことに評価が良かったので、2作目のチャンスを貰った。2作目も現場が辛すぎて二度とやらないと思ったが最終的にまた評価された」と振り返る。作品を作り始めて13年目を迎え、今年も既に短編映画を撮り終えており、12作目になった。だが、短編映画は劇場公開されていない。
9作目の撮影で粟国島にロケハンに行った時、プロデューサーから「そういえば、粟国島って洗骨をまだやってますよね」と聞かれた。初めて”洗骨”という言葉を聞き、詳細を知り「嘘でしょ!?法律に引っかからないのか」とビックリ。現在も未だに粟国島の一部では行われており「火葬場がない島では、天候が荒れて何日も運べない場合は風葬や火葬は認めれている」と解説。聞けば聞くほど「何故そんなに苦しいことをやるのか」と疑問だった。「洗骨は2回苦しむ。まず、愛する人が死ぬ別れ。そして、愛していた人が腐敗して骨だけになった人をもう一回だけ再開しないとけいけない苦しみ」だと説明していく。「改めて過ごした日々を思い出し、命の繋がりを感じ、死を理解し受け入れる大事さを感じ、映画にしたい」と感じ、まずは短編映画を撮り賞まで獲得する。「素晴らしい映画が出来るなら長編にしなさい」と会社からもチャンスを頂き『洗骨』を制作するに至った。
23年間もお笑いの現場に立っており「お笑い要素を取り入れるのが僕らしいかなと思いつつ、真面目なシーンを撮影すれば、笑って泣ける僕らしい映画が出来るんじゃないか」と直感。撮影中は真面目に取り組み「自分の中にすんなりと入ってきた。芸人ではなく素人に戻ったので、本名でやりました」と明かす。なお、『洗骨』を撮る前に照屋監督は、母親を亡くしており「母ちゃんは仕事を頑張り、やんちゃな親父に振り回されて苦労している姿を見てきた」と顧みていた。当時、日にちが良くなく、2日間をかけて通夜が続き、48時間は線香を絶やしてはいけないことから、仕事の休みを取った照屋監督が添い寝しながら、線香をつけながら母親の寝顔を眺めることに。その際に「祖先へと思いを馳せながら、生きることを諦めなかった人達のおかげでずっと繋がって僕の命がある」と思った瞬間、本作最後の言葉が自然と浮かんだ。母親の死という辛い経験をしたが「だからこそ、この映画が撮れたと気付き、感謝を込めて最後の言葉を書かせてもらいました」と真摯に語った。
なお、上映後しばらく経っているが「これだけのお客さんが観に来てくれて、様々な方からお褒めの言葉を頂いて、有難いと思っております。頑張って苦しんで作った甲斐がありました」と喜んでいる。「僕自身も辛い時にエンターテインメントに背中を押されて感謝して生きてきました」と顧み「今度は、僕がエンターテインメントを作ることによって、大変な毎日を過ごしている方の背中をこの映画が少しでも押せたら僕自身も頑張ってよかったな」と感慨深い。
次回作について、既に頭に浮かんだプロットは沢山あり「実際に書き始めると面白くないこともある。脚本書く時、0から1を生み出す時が一番辛い。1から10は簡単。脚本の中で登場人物に命が吹き込まれる瞬間がある」と明かしていく。その人間が見えた瞬間には「本人達が勝手に会話を始める。僕が書いているのに、感動して泣いてしまう。その段階に入ると脚本がおもしろくなる」と楽しそうに話し、今後の展開に期待が寄せられる。
映画『洗骨』は、全国の劇場で公開中。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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