シネ・ヌーヴォ20周年記念企画第2弾「東陽一映画祭」開催
1月18日で開館20周年を迎える大阪・九条のシネ・ヌーヴォが20周年記念企画第2弾として「東陽一映画祭」が1月21日(土)より開催される。
東陽一監督は、和歌山県に生まれ、早稲田大学文学部に入学し、内外の文学作品を耽読するかたわら、映画館にも足繁く通った。卒業と同時に岩波映画製作所に入社し、黒木和雄監督のもとで助監督につく。退社後、黒木監督や土本典昭、小川紳介、岩佐寿弥さんら元岩波映画の仲間たちと「青の会」を結成。ひたすら作りたい映画について議論を重ねる。初の監督作品『A FACE』でその斬新な映像表現が注目され、その後「映像芸術の会」に参加、評論も手掛け、69年、東プロダクションを岩波映画の仲間だった高木隆太郎と創立して、軍事基地の島、沖縄の実相に迫った長編記録映画『沖縄列島』を監督。全国的な自主上映活動を行い、画期的な成功を収める。初の劇映画『やさしいにっぽん人』を監督し、安保反対闘争後の若者の心情を東京・新宿と沖縄の二つに主舞台を据えることで、微妙な味わいのある映像表現の中に日本人の意識構造をも照らし出し、日本映画監督協会新人賞を受賞。東プロダクションを改組し、「青林舎」を発足。民話的妖怪サトリを登場させ、現代人の不安を追求した『日本妖怪伝・サトリ』を監督。青林舎を離れ、前田勝弘と幻燈社を創りATGと提携し寺山修司脚本で元高校野球の三塁手を主人公に青春の断面を鮮やかに切り取った『サード』を撮り、キネマ旬報ベストテン第1位を獲得、同監督賞など各映画賞を独占。ATGで女子大生の愛と性と風俗をヴィヴィッドに描いた『もう頬づえはつかない』を発表。若い女性たちを中心に圧倒的な支持を得て、ATG史上異例の観客動員に成功した以降は、現代女性の生を瑞々しく描いた快作を、時代時代の人気女優を主役に据えて次々と発表。シナリオなしで五木寛之原作の映像化を試みた『四季・奈津子』、『マノン』、『セカンド・ラブ』、『湾岸道路』と作品を積み重ね、「銀座の女」の変身を描いた渡辺淳一原作の『化身』をヒットさせ、女性映画の巨匠としての地位を揺るがないものにした。昨年は82歳にして『だれかの木琴』を発表、巨匠でありながら瑞々しい映像表現で見るものを驚かした。岩波映画以来の盟友、小川紳介、土本典昭、黒木和雄、岩佐寿弥、大津幸四郎らが死去。岩波出身でメジャーではない独立プロ出身の監督として、いまや日本映画の至宝のような存在であり、今後も活躍を期待される監督である。
岩波映画で黒木和雄監督の助監督に付いて以来の盟友であり、多彩な映画を発表してこられた東陽一監督。日本人の深層心理、愛と性と風俗を見つめた多様な作品を発表し続けた。昨年は82歳にして最新作『だれかの木琴』を監督した東陽一の全貌に迫る!
上映作品は以下の通り。
『A FACE』(1964年)
『沖縄列島』(1969年)
『やさしいにっぽん人』(1970年)
『日本妖怪伝サトリ』(1973年)
『サード』(1978年)
『もう頬づえはつかない』(1979年)
『四季・奈津子』(1980年)
『ラブレター』(1981年)
『マノン』(1981年)
『ザ・レイプ』(1982年)
『ジェラシー・ゲーム』(1982年)
『セカンド・ラブ』(1983年)
『化身』(1986年)
『うれしはずかし物語』(1988年)
『橋のない川』(1992年)
『絵の中のぼくの村』(1996年)
『ボクの、おじさん』(2000年)
『わたしのグランパ』(2003年)
『風音』(2004年)
『酔いがさめたら、うちに帰ろう』(2010年)
『ナース夏子の暑い夏』(2010年)
『私の調教日記』(2010年)
『姉妹狂艶』(2011年)
『だれかの木琴』(2016年)
「東陽一映画祭」は1月21日(土)から2月17日(金)までの開催。1月21日(土)と1月22日(日)には東陽一監督をゲストに迎え、トークショーが行われる。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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