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ゴダールが賞賛したフランスの鬼才アラン・ギロディ監督特集上映ががいよいよ関西の劇場でも開催!

2025年4月8日

©2013 Les Films du WorsoArte / France Cinema / M141 Productions / Films de Force Majeure

 

フランスの映画監督アラン・ギロディの長編3作品『湖の見知らぬ男』『ノーバディーズ・ヒーロー』『ミゼリコルディア』による特集上映が4月11日(金)より関西の劇場でも公開される。

 

©2013 Les Films du WorsoArte / France Cinema / M141 Productions / Films de Force Majeure

 

映画『湖の見知らぬ男』は、ゲイ男性が集まる場で起きた殺人事件の行方を描き、第66回カンヌ国際映画祭のある視点部門で監督賞を獲得した官能ミステリー。男たちが出会いを求めて集まる湖のほとり。フランクは魅惑的な青年ミシェルと出会い、瞬く間にひかれていく。そんな中、偶然にも殺人現場を目撃してしまったフランクは、ミシェルが犯人ではないかと疑いながらも、自分の欲望をおさえることができず…

 

 

©2021 CG CINEMA / ARTE FRANCE CINEMA / AUVERGNE-RHÔNE-ALPES CINEMA / UMEDIA

 

映画『ノーバディーズ・ヒーロー』は、娼婦への愛に悶絶する男と街で起きたテロ事件を描いた社会派コメディ。クリスマス前の街。独身男性メデリックはランニング中に見かけた売春婦イザドラにひと目ぼれし口説こうとするが、彼女の嫉妬深い夫に邪魔されてしまう。時を同じくして、街の中心部で大規模なテロ事件が発生。メデリックのアパートに現れたアラブ系青年セリム、仕事とプライベートの区別がないフロランス、混乱する近隣住人たちとホテルフロントの老人と少女。メデリックの周囲で思わぬトラブルが次から次へと発生し、人々は疑心暗鬼に陥っていく。『カミーユ、恋はふたたび』など監督としても活躍する俳優ノエミ・ルボフスキーがイザドラを演じ、『ボレロ 永遠の旋律』のドリア・ティリエが共演。

 

 

©2024 CG Cinema / Scala Films / Arte France Cinema / Andergraun Films / Rosa Filmes

 

映画『ミゼリコルディア』は、奇妙な住民ばかりの村で起きた奇想天外な事件の顛末を描き、フランスでスマッシュヒットを記録したサスペンスドラマ。石造りの家が立ち並ぶ村。かつて師事していたパン職人の葬儀に参列するため帰郷したジェレミーは、故人の妻マルティーヌの勧めで家に泊めてもらうことに。思いのほか滞在が長引くなか、村で謎の失踪事件が発生。マルティーヌの息子ヴァンサン、音信不通となっていた親友ワルター、奇妙な神父フィリップ、村の秘密を知る警察官ら、それぞれの思惑と欲望が交錯していく。『グッバイ・ゴダール!』のフェリックス・キシルが主人公ジェレミー、『大統領の料理人』のカトリーヌ・フロがマルティーヌを演じた。

 

 

アラン・ギロディ監督特集は、関西では、4月11日(金)より京都・烏丸の京都シネマ、4月12日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場、4月26日(土)より神戸・元町の元町映画館で公開。

湖面に浮かぶのは、光と影と、それから――。
ただのスリラーでも、ただの性愛称揚映画でもない。そんな枠に嵌るほど、人は、映画は、単純ではない。裸の肉体、欲求。自然とセックス。全性愛的とも捉えられるリビドーと唐突な死が織りなす何物にも似通っていない感触。間違いなく至上の鑑賞体験だった。

 

このたび、アラン・ギロディ監督の特集上映が関西で開催される。『湖の見知らぬ男』をはじめ、『ノーバディーズ・ヒーロー』、そして最新作にして現在の到達点とも言える『ミゼリコルディア』を含むラインナップだ。

 

一足先に全作を鑑賞した立場から言わせてもらえば、そこには予測不可能な自律性が、息を呑むような鮮やかさで横たわっていた。特定の場所やコミュニティの風景を通して、個人の欲望がどこへ向かうのか、その軌跡が映画を駆動する。自然は、静謐にして超越的な存在として厳然とそこにあり、一方で人間の営みはどこかノンシャランな態度でその中を行き交う。人によってはジャン=ピエール・メルヴィルによる演出との共通性など、映画史のさまざまな文脈と接続可能でありながら、誰にも似ていない。そんな“わかり得なさ”(あるいは“予測不可能性”と言い換えてもよい)と“興奮”とが確かに共存する、稀有で鮮烈な体験だった。陳腐な言い方を許してもらえるなら――こんな映画は、確かに観たことがない。

 

話を『湖の見知らぬ男』に戻そう。人里離れた湖畔の森。そこはゲイの発展場である。セックスの相手を求めてやってきたフランクは、ミシェルという男と出会い、互いに惹かれ合う。だがある夕暮れ、フランクは彼が別の男を溺死させる瞬間を朧げに目撃してしまう――。

 

ここまでがあらすじだが、ストーリーを語ったところでこの映画の真価には到底触れられまい。筆者が注目してほしいのは別の部分にある。何も構えず、まずはフランクがルノー25を駐車場に停め、湖畔のユートピアへと足を踏み入れるその瞬間。カメラを通して映し出される視線の移ろいをじっくりと観てほしい。そこには、あっけらかんと露出された男たちの裸がある。当然、ペニスも“そこにあるもの”として映し出される。強い意志をもってカメラに捉えられているが、それでいて生活の延長のような簡潔さも併せ持つ。左右にパンするカメラは、フランクの欲望をなぞる視線そのものだ。やがて、ゆったりとクロールで泳ぐショットが挟まれ、言葉にし難いほど美しい肉体の運動が、惜しげもなく主張される。

 

発展場という舞台設定ゆえに、すべてはごく自然に、むしろ日常の一部として繰り返される。挨拶から始まり、視線の誘惑、オーラルでの接触を経て、セックスが“当然の営み”として行われる。そしてそこはまた、ひとつのコミュニティでもある。流れに乗れず傍観者に徹する者もいる。他人のセックスを眺めながら己のペニスをしごく彼は、何を思い、なぜそこに繰り返し立つのか。

 

すべてが露わに、そして平然と、身体とその欲望が自然の音と光とともに映し出されていく。だが、先に述べた事件が起こるとき、「夏」の気配が目に見えぬまま確かに変容する。木々のざわめきとともに――。言うまでもなく、ここでいう「夏」とは単なる季節のことではない。

 

刑事という“コミュニティの外部”からやってくる第三者の介在。彼の登場によって、いくつかの行為は中断を余儀なくされる。特集上映の他2作と比べて、本作が異彩を放っている点として、性行為の「達成(オーガズム)」が明確に描かれていることが挙げられる。フランクは作中で3度、果てる。ここで断っておくが、それをポルノグラフィ的に見るべきではない。むしろ、性の“中断”とそこから発せられる多層的なニュアンスこそが、ギロディ作品全体に通底する主題なのではないか。少々強引かもしれないが、私はそう考えている。さて、皆さんはいかがだろうか。何を感じ、どう思おうと、皆さんの自由である。そして各々が見つめる先の水温は少しだけ、生温い。そこに物質的であれ精神的であれ“何か”は沈んでいた、もしくは、今もなお沈んでいるのかもしれない――。

fromhachi

 

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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