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岡本太郎さんのように、映画を媒体にして自身を見つめられる作品が完成した…『岡本太郎の沖縄 完全版』葛山喜久監督に聞く!

2022年8月20日

2018年に製作され2019年に劇場公開されたドキュメンタリー映画『岡本太郎の沖縄』に、新たに取材を重ねて再構成し、新規ナレーションや再編集を施した『岡本太郎の沖縄 完全版』が8月20日(土)より関西の劇場にて公開。今回、葛山喜久監督にインタビューを行った。

 

映画『岡本太郎の沖縄 完全版』は、芸術家の岡本太郎さんがかつて訪れた沖縄で何を感じ、何を発見したのかを探った『岡本太郎の沖縄」を再構成した完全版。沖縄がまだ米軍統治下だった1959年と1966年に同地を訪れた岡本太郎さん。日本とは何かという答えを求めて各地を旅していた彼は、沖縄の中に失われた日本を見つけ、沖縄で自分自身を再発見したというほどに感銘を受けたという。その様子は著書「沖縄文化論 忘れられた日本」や写真集「岡本太郎の沖縄」などにも記録されているが、沖縄のなにが岡本をそこまでひきつけたのか。岡本がたどった沖縄の旅路を追体験し、岡本太郎が感じた沖縄が現代の人々に投げかけるものを確かめていく。

 

元々、本作で象徴的に取り上げられているのが、久高島最高の司祭主のひとりである久高ノロさん。岡本太郎さんは、シャーマンとして紹介している。家系として代々受け継がれてきた方であり「自然に受け入れるものだと子供の頃から知っていたようだ。勿論、許嫁制度があり、自分が担う、と子供の頃から分かっており、すんなりと受け入れてきた」と葛山監督は伺っている。しかし、時代が変わり、島の中で生活することが苦しくなり、本島の人との結婚が必要になり「時代に合わず、無理が生じてきている、と皆が薄々感じていたんじゃないかな」と察しながらも「祭りを自分の世代で止めてしまうことは当事者にとって先輩方に申し訳ない」と苦渋の決断もあった。元々は琉球王朝を保護する祭りであり「自身の世代が続いていくように、要となるのが久高島。琉球王朝が発展し、皆から王として認められるためには、琉球が一番大事にしているものとして先祖崇拝の要となるのが久高島。大元である」と説き「久高島の女性について理解し掌握できれば、琉球王朝自体が安泰となり、反映していく。久高の祭りは洗練されている。王朝直系の保護の下、行われていたんだろうな」と推測。王朝の終焉について「島の男と結婚して暮らし続けていくことが遂行できたのは、明治・大正生まれまで。以降は無理だった。自然に無くなっていくのは、受け入れざるを得なかった」と述べ「そのタイミングで、太郎が来て、象徴となる方を被写体として撮った。運命的な出会い。端境期の見届け人。最後の人の営みを写真に収めたことに意味がある」と魅力を感じている。

 

「太郎自身も沖縄を媒体にして、自分自身を見つめる視点があった」と葛山監督は捉えており「太郎の旅は、日本再発見の旅であり、最後に訪れたのが沖縄。沖縄で、自分自身を再発見できた。太郎さんは自分自身を見つめている」と解説。また「沖縄の時代の端境期を見つめた人でもある。太郎が撮った沖縄の写真は、太郎そのものが写っている。普遍的なものを記しとして残したことはもっと評価されても良い気がする」と興味深く感じながらも「写した沖縄が今も残っているのか」と疑問もあった。岡本太郎さんは「御嶽(うたき)、おばあさん、イザイホーに感銘を受けて、沖縄には忘れられた日本がある」と云っており「今、映画にしようとしても、この3つは揃って存在していない」と監督自身は嘆くしかない。しかし、喜如嘉で出会った平良敏子さんは「沖縄の文化そのもの。あまりにも素晴らしかった」と感銘を受けており「太郎さんが感動した部分は、平良敏子さんを通して感動した」と身に沁みた。「太郎の沖縄の本質を変えずに今の時代に合った形に変えるなら、平良敏子さんの存在が大きい。太郎が来る前と着た後も同じ日々を営んでいる」と伝え「今は101歳を迎えているが変わっていない。この人の1日を撮れば、この人の人生の縮図になる」と確信し、喜如嘉のシーンを撮っている。「喜如嘉を通して沖縄の女性の生き様がイザイホーにつながってくる」と兆しを感じられるターニングポイントになり、久高島にも訪れた。本作は「時間がテーマでもある」と挙げ「急に過去に戻るが、同じものが流れている。平良敏子さんがポイントになりました」と力説する。

 

今回、”完全版”を制作するにあたり「もう一度中身を精査したかった」と明かす。「前回は、制作することだけで頭がいっぱい。中身が悪いものを作ったわけではないのだけど、様々な人のしがらみがあり、なかなか自由に出来なかった」とと打ち明け「今回は、やっと自分のやりたい形で構成もやり直して出来上がった。完全版というより完成版。やっと完成した」と感慨深い。井浦新さんのナレーションも録り直しており「太郎さんの魅力を伝えながらも、観た人が自分自身を見つめる、といった視点の映画に近づけられた。やっと自分が納得できる作品に近づけた」と自信がある。実は、これまで上映依頼がある度に編集を繰り返しており「オリジナルだけではない不思議な映画。編集を繰り返す程に良くなっていく。やっと形が良くなっていき、最終的には最後まで納得できるように全て編集・構成・整音までやり直した」と告白。ソフト化するつもりはなく、あくまで映画館などでの上映のみに拘っており「映画館に来てもらう人のための作品に位置付けている。世にも珍しい映画」と言及。「カットした映像も拾い流している。置いてみないと要らないか分からなかった。熟成してみて分かる」と実感し「良いバランスで落ち着いた。4年かけて、ようやく完成した」と嬉しそうだ。最後まで監督自身の拘りを以て編集しており「自分の作品を自分の視点で興味深く見れた。太郎自体が沖縄を媒体にして自分を見つめている。映画を観た人が、映画を媒体にして自分を見つめる」と解説が必要な作品にするつもりはなく「映画を作る行為を媒体にして苦労や憤りもあった。だからこそ自分を見つめられた。観て頂くお客様も同じ視点に立てるようになったからこそ、出来上がった」と感じられている。完全版を作ることで「自分を見つめることで嘘がない。説明は要らず、観ているお客様を信用して作ったら、勝手に映画が伏線を張ってくれる」という領域にまで達した。

 

完全版として完成した本作について、平良敏子さんのお嫁さんが感銘を受けていると聞いており「姑さんを見直したようで。それぞれですよね。太郎が写そうとしたものを伝えたいと思った時、太郎が沖縄を媒体にして自分を見つめたのなら、映画も同じ視点で作るべきなんだ」と実感し「観る人も同じ視点で観て頂ければいいな。自分が作る行為も同じようにしないと嘘をついてしまう」と責任を感じている。現在の状況について「賛否両論あるが、潜在的に、人間の本能や本質を感じ取りたい、という時代になって来ているんじゃないか。映画を媒体にして自分自身を見つめたい、といったことに飢えているんじゃないか」と鑑み、今作への反応を注視しながら、今後も上映活動を続けていく。

 

映画『岡本太郎の沖縄 完全版』は、8月20日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場、8月26日(金)より京都・烏丸の京都シネマ、9月3日(土)より神戸・元町の元町映画館で公開。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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