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『ハッピーアワー』出演者との関係性は強く、腹を括って正面から挑んでいった…『三度目の、正直』主演川村りらさんと野原位監督に聞く!

2022年4月6日

神戸を舞台に、子供や家族、愛情を求めて生きる普通の人々の日常が徐々に交錯していく様子を描く『三度目の、正直』が4月2日(土)より大阪のシネ・ヌーヴォでも公開。今回、主演の川村りらさんと野原位監督にインタビューを行った。

 

映画『三度目の、正直』は、黒沢清監督の『スパイの妻』、濱口竜介監督の『ハッピーアワー』で共同脚本を務めた野原位さんの劇場監督デビュー作。パートナーの連れ子がカナダに留学し、寂しさを抱えていた月島春は公園で記憶を失くした青年と出会う。過去に流産の経験がある春は、青年を神からの贈り物だと信じ、青年を自身で育てたいと願う。一方、音楽活動を続けている春の弟である毅は、精神の不安を抱えながら、毅の創作を献身的に支える妻・美香子とともに4歳の子どもを育てていた。それぞれが抱える秘めた思いが、神戸の街を舞台に交錯する。『ハッピーアワー』でも舞台となった神戸で撮影され、『ハッピーアワー』でロカルノ国際映画祭の最優秀女優賞を受賞した川村りらさんが春役を演じた。

 

『ハッピーアワー』の劇場公開が落ち着いた後、次作の企画を考えていた野原さんは、脚本の学校に通っていた川村さんに「一緒にどうですか」と声をかけ、共同で脚本開発を始めた。最初は、お互いにプロットを書き、渡し合った後に書き直すことを続けており「細かいシーンを書き足して渡して、台詞を直して…自ずとやりとりが細かくなっていきます。往復書簡のような形で可能な限り続け、紆余曲折を経てストーリーが出来上がりました。りらさんが考えた要素が大きいですね」と振り返る。川村さんは「最初は全く違うストーリーだった。主演も別の方でした」と告げると、野原さんは「途中で脚本を大幅に書き直す必要が出てきて、2人とも無我夢中で書きました。ずっとスタッフも交えて話ながら脚本を考えていきました」と思い返す。川村さん自身は、主演する予定はなく端役のつもりだったが「1,2年かけて書きながら準備していた。事情があり、少しだけ撮った段階で、全く別の作品に改稿することになった。私が主演することになり、そのための脚本を書いていった」と告白。野原さんは「『ハッピーアワー』では主演の1人であり、当時の状況で主演が出来るのは川村さんしかいないと思い、お願いをしました。毅と美香子の設定は元々の脚本から存在していましたが、りらさんが演じた春については大きく変わっていきました。脚本の変更は大変ではありましたが、ギリギリまで練ることができたことは、スタッフ・出演者皆さんのおかげです。本当に感謝しています。今作は即興性もあり、『ハッピーアワー』とはまた違うテイストを味わえると思います」と解説。川村さんは出来上がった脚本について「サブテキストの如く、積み重ねがあり、ベースとなる物語は変わっていない。細かい人物配置は変わったが、最初に書いていたテーマと大きくは変わっていない」と手応えがある。野原さんが本作の企画を考え始めたのは2016年、脚本としてまとまったのが2019年の初めで、当時からプロデューサーの高田聡さんにも関わってもらった。

 

キャスティングでは、『ハッピーアワー』の出演者を多く起用している。野原監督は、当初は全然想定していなかったが、脚本が徐々に見えてきて、キャスティングを考えていくにあたり「これまで関係性のない俳優を考えたこともあったが、信頼関係を作ることは作品にとって一番大切です。『ハッピーアワー』の出演者とは関係性を強く作れていたので、その方たちに出演して頂いた方が映画はより良くなるのでは」と直感。『ハッピーアワー』の濱口竜介監督が用いる本読みの手法について、野原監督も最初はチャレンジしようとしたが「出演者の皆さんはそのやり方の経験がある方たちなので、一度はやってみました。でも、自分には向いていないと感じ、すぐに別の方法に変えました」という。川村さんは「若い世代は、感情を排した電話帳読みだと台詞を覚えやすい、と云っていた。私は今回はこの電話帳読みを意識せず、演じていました」と話す。さらに「皆さん、感情的に演じることが無い人達で、押さえぎみでしたよね」と思い返すと、野原監督は「『ハッピーアワー』を通過していることは大きく、淡々と読むことは、存在感を持たせることにつながった」と実感していた。川村さんは脚本と主演を担い「あまりにも大変で記憶にない。今振り返ると『ハッピーアワー』ではある程度のびのびと演じていたのだと思う。今回は舞台裏のこともずっと考えていたので、主演との境目がなかった。自分の演技に対する満足度も分からない。ずっと無我夢中で取り組んでいた」と撮影当時を振り返る。野原さんは、これまでも共同脚本を手掛けていたが長編作品の監督は10年ぶりで「出演者やスタッフの意見を聞きたいし、どんどん言ってもらいたい。言ってもらえることは助かるが、取捨選択して、どうしていくか常に考えていくことは大変だった。作品としての深みや厚みが出たことは多分にある。皆さんのおかげで上手くいった」と感謝を述べた。

 

撮影を終え、編集段階となり、野原監督は「途中までは、大丈夫だろうか、と思うときもありました。おもしろい映画になるのだろうか」と心配に。大きく分けると、編集作業を3回程度実施しており「2回目の編集が終わった段階から、この作品にしかない魅力がうまく編集で現れてきた、と感じ始めました」と力説。川村さんは「脚本の変更も多かったので、出演者の皆さんは、どういう作品になっていくのか全体像はなかなか分からなかっただろう」と想像する。関係者試写では濱口監督にも観てもらっており「大量の撮影素材があることを察してくださり、その中から選び取って繋いでいることを理解してくれました。このやり方は贅沢な手法で、なかなか出来ない。その手法が、濱口さんが好きなジョン・カサヴェテスと通ずるところだったようで、東京国際映画祭での上映時にコメントでカサヴェテス作品を引き合いに出してくださり、この映画を激賞してくださいました」と野原監督は受けとめ「映画内において、カメラに映っている部分以外でも、観客が人物たちが生きているように感じてくれたら嬉しいです。それが映画に厚みをもたらしてくれる」と説く。なお、本作の英題は「3rd Time Lucky」であり「『三度目の、正直』を表す英語の1つとして『Third Time Lucky』があります。Luckyだとポジティブなイメージ。日本語の『三度目の、正直』だけだとポジティブな印象はないため、外国の方はもしかしたら違った感じ方をするかもしれない」と考察する。

 

既に各地の劇場で公開されており、お客さんの反応について、野原さんは「賛否両論で、あまり中道はないかもしれません。それはそれで良いことだと思います。女性の感想では、春の台詞が印象深く残っているようで、大変ありがたかったです」と受けとめている。川村さんは「男性は見過ごすけど、女性は引っかかっていた台詞があった」と印象的だった。さらに、野原監督は「男性からは、身に積まされたという感想もいただきました。男女で感じ方が全然違いましたね」と興味深げに語る。さらに「関東と関西でも感じ方は違うと思います。『ハッピーアワー』で関西弁に直接ふれ、言葉を慎重に選んでオブラートに包む繊細な言葉だと感じました。もし『三度目の、正直』を標準語で作った場合、もっと冷たい印象になってしまったかもしれません」と考えている。今後、野原監督は「コメディが撮ってみたいですね。素直に笑えるものではないかもしれませんが、コミカルな要素があり、ニンマリできるような作品を次は作ってみたいです」と目標を述べ、川村さんも「(元町映画館10周年記念のオムニバス映画「きょう、映画館に行かない?」の一作 である)『すずめの涙』のテイストで長編作品になれば。脚本もずっと書き続けていきたい」と目を輝かせていた。

 

映画『三度目の、正直』は、関西では、神戸・元町の元町映画館での上映を終え、現在は、大阪・九条のシネ・ヌーヴォにて上映中。4月8日(金)より京都・出町柳の出町座で公開。なお、4月9日(土)には出町座に、川村りらさん、小林勝行さん、出村弘美さん、川村知さん、野原位監督をアフタートークを開催予定。

とても懐かしい匂いがする。かつて野原位さんが『ドライブ・マイ・カー』や『偶然と想像』で世界を席巻している濱口竜介監督と共に作り上げた『ハッピーアワー』の匂いだ。野原位監督の劇場デビュー作である今作は『ハッピーアワー』で唯一無二の存在感を示した役者陣やスタッフ、そして神戸という街並みが再び結集した。確かに神戸の空気感や狂おしくも愛おしい人々のヒリヒリとした交流は『ハッピーアワー』を連想させる。しかし『ハッピーアワー』にはない親近感や複雑さを感じさせてくれた。

 

今作には、「求める人」と「逃げたい人」がいる。主人公である中年女性は幼少期のトラウマや流産、離婚を経て再婚相手との娘の子育てがひと段落したばかりだ。しかし、彼女はずっと母性に囚われていて喪失感の海を漂っている。満たされない母性を埋めるかのように彼女は記憶喪失になってしまった青年を新しい息子として半ば無理やり引き込む。その表情には狂気と切実さが滲み出ている。一方で、記憶喪失の青年にもある秘密があり、主人公の複雑な感情に呼応していく。また主人公の弟夫婦にも小さな亀裂が生じている。ラッパーとしての夢を追いかける夫と夫の活動を支えながら子供を育てる妻はいつしか決定的にずれていってしまう。これからも一緒に人生を歩んでいきたいはずだったのに、母性が重荷のように妻の心にのしかかっていく。そして、夫婦関係は大きな局面を迎える。母性、というテーマから人間に宿る少しの狂気や心の距離感を丁寧に紡いでいく様はとても見事だ。

 

最後に、今作と『ハッピーアワー』との違いについて触れたい。両作品に共通するのは、少しばかり狂気を宿している登場人物達のキャラクターと刺々しい会話だ。しかし、今作には『ハッピーアワー』に登場するような悪魔的にかき乱す人物はいない。『ハッピーアワー』は、悪魔的にかき乱す人物によって他者との会話にコミュニケーションの深淵が見えてくるのだが、今作の場合は、あくまで気持ちの相違に則った身近なやり取りによって狂気や刺々しさ、複雑な心情を描き出している。だから、親近感を感じやすいのだと思う。求めようとすると手からこぼれ落ちてしまう、離れようとすると強く求めてしまう。この心情の揺れ動きが今作の複雑さを象徴しており『ハッピーアワー』のその先を描いているようにも見えた。

fromマリオン

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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