この人はどういう言葉を発するか、とディスカッションしながら撮影したことで映画制作にのめり込んだ…『ふれる』高田恭輔監督に聞く!
母を亡くしてから奇行を繰り返す不登校の少女と、彼女を気にかける周りの大人たちを描く『ふれる』が11月22日(金)より関西の劇場でも公開される。今回、高田恭輔監督にインタビューを行った。
映画『ふれる』は、母を亡くした少女が「ふれる」ことで喪失と向き合っていく姿を繊細に描き、第45回ぴあフィルムフェスティバルのPFFアワード2023で準グランプリを受賞した作品。母を数年前に亡くした小学4年生の美咲は、奇行を繰り返して家族を困らせている。不登校の彼女を心配する大人たちをよそに、美咲は陶芸家の工房で遊ぶようになり、次第に喜びを感じるようになっていく。そんなある日、ひとりの女性が家にやってくる。父と親しげなその姿に、美咲はいずれこの女性が「新しい母」になることを悟るが…
監督の髙田恭輔さんが日本大学芸術学部映画学科監督コースの卒業制作として手がけた作品で、セリフの指定をせず、ト書のみの脚本から俳優とともに対話を繰り返しながら作り上げた。
高校時代、友人達を集めて、遊びの延長線上にあるような形で映画のようにもなっていない作品を撮っていた高田監督。「演技が素人の友人を相手に撮っているから、セリフを覚えられるわけもない。自分と同じ世代の相手を演出する時、 俳優ではないので、その場で『この人はどういう言葉を発するか』とディスカッションしてみると手応えがあった。それが、映画にのめり込んだきっかけ」と話し「当時の感覚を取り戻すためにも、もう一度しっかりと整理したかった。大学で学んできたことをあえて崩していった」と明かす。大学では、インプロビゼーション(即興演劇)に関するカリキュラムはなく、セリフ作りながら演出するようにしていたが、卒業制作の段階となり「原体験に返りたいな」と一念発起した。とはいえ、師事していた教授から困惑の反応を受けてしまう。だが「まず失敗をしてみよ。歩き方も失敗をしないと次にどう歩いていくかもわからない。大学で学んだことの集大成である卒業制作で、9割5分の結果を出すのか、或いは、自分のやりたいことをやって3割になるのか。それを選ぶのはあなただよ」と言われ「じゃあ、3割の方を選びます」と宣言。結果的には、とても応援して頂いたようだ。
セリフの指定をしないト書のみの脚本である本作。「映画の構造や起承転結など、シーンの中でこういうリアクションは絶対に欲しい、というポイントだけを置いていった。セリフなどを指定せず、こちらからこういう風に言ってください、ということも全くない」と説き「例えば、主人公の女の子が新しいお母さんになる人を拒むとしたらどうするのか、と具体的なことを俳優と喋った上で撮影をして脚本が完成する」と述べ、原点からブレずに撮っていった。なお、主演の鈴木唯さんは演技自体が初めての経験であり「彼女が元々持っている良さを活かせるような環境で映画を作りたい」という意向があり、即興を選んでいる。撮影を進めていく中で「彼女は演技が初めてだけど、カメラに対して嫌な構え方がない。緊張感がないのが凄い。元々キッズモデルをされていたので、カメラには慣れている。オーディションの中でも意向があったけれども、自由に振る舞っていたのが良かった。彼女が素直にずれていくことが劇中に影響を及ぼせたらいいな」と期待し「あくまでも、状況や環境を与えるだけ。大人が計画してきたことを与えた時、どのように反応するか、をずっと撮っていた。具体的な演技の指示は全く無しで作っていました」と語る。この手法は、是枝裕和監督が用いる撮影メソッドとして有名であり、高田監督自身も是枝監督が大好きであるが「是枝監督の方がより緻密に素材を集めている、と感じている。この映画では、現場にあるものを拾えないか、というスタンスで作ろうとしていた。是枝監督からの影響は図らずもどこかに出ているのかもしれない。だけど、意識的に同じ系譜で撮影していこう、という意識は全くない」と述べた。なお、主人公の周囲に存在する大人側に関するキャスティングについて、演技力を図るようなオーディションを一切実施しておらず「喫茶店で2,3時間の会話をして、人となりを観察していた。オーディション用のパフォーマンスをされると、映画や映画作りの中で良い関係を築けない。フラットにお喋りができる人で、自身のプランや映画に対する考え方を持っている方だ、と感じた方にお願いをしました」と話し、キャスティングの拘りもブレていない。
撮影を進めていく中で、取り組まないといけないことが多く「プロのスタッフによる作品ではなく、あくまで学生映画なので、ロケーションの交渉などの制作部が関わることも、関係性を築いた上で取り組んでいった。毎日移動して頭を働かせていた」と苦労を重ねたが「高校時代に通っていた場所に戻り、地元の方々と接していく中で多くの人と繋がり、支えられて作られている」と撮影中に実感できた。現場では、方針が1つ変わると全てに影響しながら掴み取っていくことになったが「結果的に、当初のプランで想定していたものと形は違っているが、方向性は間違っていなかったな。思っていたものを撮ることができた」と手応えがある。クランクアップ後、編集段階においては「これは撮れたな、という思い入れがあるからこそ、なかなかシーンをカットできない。それが積み重なると映画にならない。ショット以上に編集で見せられる映画にはなっていかないな」と実感しており「最初と最後、どこからどこまでを見せるか考え、自分の思い入れのあるものも大胆にカットした時、映画らしいものになったかもしれない。そこで、ようやく映画が完成したな、という瞬間でした」と思い返す。
完成した作品について、大学内では、映画学科撮影・録音コースの先生方からは「何を撮りたいのかすごく明確だった」「美咲の持っている正解がしっかりと映っていた」と好評だった。師事していた先生からは「努力が見える。伝わらないものを作っているんだ、と思っていたけど、懸命にそれを伝えようとしている。なかなか形として言い表せないものを伝えようとする努力が画面に映っていたから、それは評価します」と真摯なコメントを頂いている。PFFアワード2023に応募した際には「後半になると、美咲の表情だけでなく、美咲と対峙している大人といった他者の顔に寄っていく構成になっている。これは鏡になっている。相手を映すことで、そのまま美咲を映している」と仰った審査員がおり、勇気づけられた。他には「カメラが母親なんじゃないか」という意見もあり「そのように仕向けようとしていたわけでは全くないんです。だけど、撮影当時時の自分やカメラマンの態度が、美咲を見つめている親としての距離感がずっとあった。すごいな」と驚き、新たな発見がある良き機会となっている。既に今年9月より劇場公開されており、お客様からは「詩をやっていますか?」と聞かれたことがあった。監督自身は詩を書いていないが「具体的な表現を用いて限定しておらず、一つの言葉が二重三重の意味になって織り重なっていくことで淡さを表現することを目指して撮っている映画に魅力を感じている」とふまえた上で「ラストカットに空があって、車の窓が開き手でないものをふれる。それは、詩をやっている人の撮り方だと思いました」と言われ、ハッとすると共に嬉しく感じている。
今作では、セリフを決めずに撮っていく手法で作り上げたこともあり「もっとセリフに頼ってもいいかもしれない」と気づかされた。「なぜ映画にセリフは必要なのか。言葉はどれだけ映画に力を持たせ、信頼づけているのか」といったことにも興味が湧いてきており「次の課題は、セリフを書くことにしよう」と思っている。また「次は青春映画が撮りたい」と考えており「自分ならではの人生の尺度によって、その人の人生にとってのある特別な時間、何かが起こっていた時間を注視し、これから向かっていく人達や、それを終えた後に当時の時間をずっと思っている人たちを撮りたいな」と未来に目を輝かせていた。
映画『ふれる』は、関西では、11月22日(金)より大阪・扇町の扇町キネマ、12月20日(金)より京都・烏丸御池のアップリンク京都で公開。11月24日(日)には扇町キネマに高田恭輔監督を迎え舞台挨拶開催予定。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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