かづゑさんの生き方から元気や勇気をもらえる…『かづゑ的』熊谷博子監督に聞く!
国立ハンセン病療養所で約80年間暮らしてきた女性を追ったドキュメンタリー『かづゑ的』が4月12日(金)より関西の劇場で公開される。今回、熊谷博子監督にインタビューを行った。
映画『かづゑ的』は、『三池 終わらない炭鉱の物語』等で炭鉱に関わる人々を追い続けて来たドキュメンタリー映画監督の熊谷博子さんが、瀬戸内海のハンセン病回復者である宮崎かづゑさんにカメラを向けたドキュメンタリー。瀬戸内海の長島にある国立ハンセン病療養所の長島愛生園。かづゑさんは10歳で入所してから約80年、ずっとこの島で生きてきた。病気の影響で手の指や足を切断し、視力もほとんど残っていないが、周囲の手を借りながら買い物も料理も自分で行う。患者同士のいじめに遭うなどつらかった子ども時代には、家族の愛情とたくさんの愛読書が、彼女を絶望の淵から救ってくれた。そして夫の孝行さんと出会ってからは、海沿いの夫婦寮で自然とともに暮らしてきた。いつも新しいことに挑戦しているかづゑさんは、76歳の時にパソコンを覚え、84歳で初の著作「長い道」を出版。熊谷監督が2016年から8年間にわたって長島愛生園に通い続け、かづゑさんの日常を映し出す。俳優の斉藤とも子さんがナレーションを担当した。
監督自身が初めて会ったハンセン病回復者であるかづゑさん。ハンセン病に関する一般的な知識は心得ていたが、療養所や資料館には伺ったことはなかった。つまり、まっさらな状態でかづゑさんに会っており「ハンセン病やかづゑさんについて、意欲的に理解していくのはとても大事なことなんじゃないかな」と受けとめている。そもそも、別作品で多忙な時期に熊谷監督をよく知っている女性医師から「何がなんでも会ってほしい」と言われ、直感の赴くままに長島に向かった。その際にかづゑさんの著書「長い道」を読むにあたり「これまでハンセン病を患った方達が書かれるような”自分はいかに差別されてきたのか”と抗議の声を挙げる本だろう」と想定。だが「自分がいかに家族から愛されているか。自分自身も大変愛していた。本当に大事にしてきた家族に対して、自分がこういう病気になったのだね、と悲しませてしまったことに対する思いが書かれている。そして、自分の生まれ育った村のこと、島に来てからのこと、夫の孝行さんのこと。日常を瑞々しい文章で書かれている」と気づかされ、心を打たれてしまう。実際にかづゑさんと会い、昼食を共にしながら、2人の間にある生活感が伝わってきた。気づけば「この方たちの記録を残さないといけない」と悟りながら「それは私だけではできない。その間に立ってくださった方に相談し、直ぐにかづゑさんに聞いてくださった。真剣ながらも『あの人ならいいわ』の一言であっさりと気が合って始まった」と思い返す。
撮影にあたり、長島愛生園の許可は頂いたが、あくまでも、長島愛生園としては、個人の意思に任せている。介護福祉士の方達も、かづゑさんにしっかりと話をしてもらい、カメラに対する抵抗感は無かった。「かづゑさんが療養所の中でしっかりととケアされていることを伝えたい」という思いがあり、かづゑさんからの「私の体を見せることで、この病気のことを分かってもらえる」という気持ちを受けとめ、現場では自然な形で撮らせてもらっている。「かづゑさんの記録を残したい」という思いを持った方々がいることも大切であり「撮影した頃、かづゑさんは90歳近かった。ハンセン病の話ではなく、飾らない素直な姿を残したい思いもあったのではないか、と思いました。私が伺ったタイミングがちょうど良かったのかな」と捉えていた。撮影の際には「かづゑさんが嫌がることはやらない」ということは一番大事であり「かづゑさんに”こうやってほしい”と言ったことは一回もない。様々なことは全部かづゑさんと相談しながらやってきた。全てのことは、かづゑさんがやりたいこと。それを丁寧にカメラが追わせて頂いた」と話す。熊谷さんとしては、映画監督というより、ジャーナリストとして作品を作る、というスタンスがあり「こういう作品を作りたい、という姿勢ではない。かづゑさんたちの日常をカメラとマイクをもって8年間伴走した結果でしかない。かづゑさんが伝えたいことは大事にしよう」と心がけた。「ハンセン病が背景にはあるけれども、人が生き抜くために普遍的なことをかづゑさんは表現している」と気づき「かつてのかづゑさんが偶然逃げ込んだ場所は図書館だった。膨大な読書量によって、生き抜く知恵や知識を身につけた。今生きづらい人たちが多分いっぱいいる中で、かづゑさんの生き方を見てもらったら参考になるんじゃないかな」と提案する。
8年間に及んだ撮影において「自然体のかづゑさんが持っているエネルギーは物凄かった」と印象深く「かづゑさんの半生をとにかく一度きちっと聞かなきゃいけない、と思っている。だけど、たっぷりと話をされる方であり、あまりにもパワーがあり、インタビューをする私達は二時間程度しか体力がもたない」と明かす。とはいえ、かづゑさんは御高齢であり「体力は十分に心配しないといけない」と配慮し、周囲の看護師や介護士にも協力してもらい、密に連絡を撮りながら、慎重に撮影している。コロナ禍となった際にはZoomを用いたコミュニケーションも行っており「かづゑさんは新しいものにチャレンジされる方。私達からパソコンとかタブレットを送り、介護士の方々に設定して頂いた」と振り返り、可能な範囲で撮影を続けていった。
編集段階となり、全ての撮影素材を書き起こしてみると、120時間にも及ぶ膨大な量に。まずは、全てを項目別に分け、項目から取捨選択して3時間程度になった。その後は「どのようにして2時間程度の作品にしていくのか」と検討。「かづゑさんの沈黙の部分は大事にしよう」と心がけ「かづゑさんと孝行さんの会話や雰囲気が大事。どのようにして纏めていくか。かなり悩んだ結果の末に今作が出来上がった」と明かす。とはいえ「もちろん残したい場面がいくつかあったし、それは残念」と吐露しながらも「いい形に集約できたかな」と納得している。特に、お墓でのシーンを気に入っており、とある映画評論家の方から「孝行さんは、笠智衆みたいだった。映画の世界ではなく、日常であることに驚いた」と感想を聞き「2人の間に流れる空気感を大事にしたい、という思いは一貫している。編集しながら、私達も同じ場面で泣いたり笑ったりしていた」と思い返していた。既に各地の劇場で公開されており「ハンセン病の話と聞いていたので、暗くて重くて辛い作品だとくて思っていたら、まるで違っていた。泣いて笑って、元気や勇気をもらった。観て清々しい気持ちになった」という感想をお客さんから聞き、今後公開される劇場で観るお客さんの反応を楽しみにしている。
今年の2月6日で96歳を迎えたかづゑさん。「すごい元気です。包帯を上手に巻きつけて絵を描いてる」と伺っており「その絵は、とても素敵だったので、私はポストカードを作ってしまった」と話す。編集がほぼ完了段階の本作について、かづゑさんを助けてくださっていた介護士や看護師の方にも集まって観て頂き、かずえさんからは「お風呂のシーンが一番良かった」と聞いており、熊谷監督は「シーンとして、ありのまま見せられたことと、自分がちゃんとケアされていることが伝わった」と実感している。
ちなみに、『かづゑ的』という、何らかの言葉が続きそうな本作のタイトル。最初は『私の長い道』というタイトルをつけていた。だが「あまりにも平凡なタイトルは埋もれてしまう」と察していく。英語字幕を作っている時に、ジャン・ユンカーマン監督に伺ってみると「とにかく個性的な人だから『かづゑ的』とか良いんじゃないの」という返事が。「そこに続く言葉が思いつかなかった」と漏らしながらも「さすがにちょっと不思議なタイトルだ」と思い、スタッフにも聞いてみることに。すると、皆から「それよ、それそれ」と好反応で、かづゑさんも驚いていたが、ピッタリのタイトルだと納得し、現在に至っている。
映画『かづゑ的』は、関西では、4月12日(金)より京都・烏丸の京都シネマ、4月13日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場や神戸・元町の元町映画館で公開。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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