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人々が逃げ込んだ場所に存在する土地の映画を撮りたい…!『霧の淵』村瀬大智監督と撮影の百々武さんに聞く!

2024年4月1日

過疎化が進む奈良県川上村を舞台に、12歳の少女とその父との結婚を機にこの地に嫁ぎ、別居後も義父と旅館を切り盛りしている母親と、家族の関係性の変化を丁寧に描く『霧の淵』。各海外映画祭で絶賛を受け、いよいよ日本で4月6日(土)よりユーロスペースで先行公開、4月19日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ他、全国の劇場で順次公開される。今回満を持して日本での公開前に、村瀬大智監督と撮影の百々武さんにインタビューを行った。

 

映画『霧の淵』は、奈良県南東部の山々に囲まれた静かな集落を舞台に、旅館を営むある家族の変化を描いた作品である。かつては商店や旅館が軒を並べ、登山客などで賑わった奈良県南東部の静かな集落。主人公のイヒカは、この地で代々旅館を営む家に生まれた。両親は数年前から別居しており、旅館に嫁いできた母の咲は、義理の父であるシゲと旅館を切り盛りしている。そんなある時、シゲが突然姿を消してしまう。旅館が存続の危機を迎える中、イヒカの家族にすこしずつ変化が訪れる。イヒカ役を奈良県出身で本作が映画初出演となる三宅朱莉さん、イヒカの母である咲役を水川あさみさん、父の良治役を『ケイコ 目を澄ませて』の三浦誠己さん、祖父のシゲ役をベテラン俳優の堀田眞三さんがそれぞれ演じる。監督は本作が長編商業デビュー作となる村瀬大智さん。『赤い惑星(ほし)』『ROLL』等のインディーズ作品を手がけ、本作では、第72回サン・セバスチャン国際映画祭の新人監督部門に最年少で選出。以降も、第28回釜山国際映画祭のA Window on Asian Cinema部門招待作品としてアジアプレミアを遂げ、先日は、第28回ソフィア国際映画祭 インターナショナルコンペティションfirst or second films部門でシネマトグラフィ特別賞を受賞した。

 

奈良県内の市町村と「なら国際映画祭」が連携して映画を作るプロジェクトNARAtiveから製作された本作。村瀬監督は卒業制作『ROLL』が、同映画祭の学生作品部門NARA-waveで観客賞を受賞し、学生部門とインターナショナルコンペティション部門の受賞者から選ばれるNARAtiveに選出された。村瀬監督自身は川上村を知らず、現地に何度も通いながら知見を深めていくことから始めた。写真家の百々さんは、2017年に川上村に移住して撮影を重ね、写真集を出版するまでに至っている。更に「なら国際映画祭」のプロデューサーでもある河瀨直美監督とは、2006年に『殯の森』のスチール撮影担当として現場に参加しており、映画の撮影現場について「河瀬監督の現場が特別であるか分かりませんが、作品世界の中で生きられるのは素晴らしい体験。役者のスチール撮影をしていると、演じている姿に近距離で出会える。写真と違い、チーム全員で1つストーリーを作っていくことは興味深い」と感心し、以降もスチール撮影を担った。村瀬監督は、百々さんの写真集を拝見し「自分がイメージしている空気感と合っている」と気づき、本作では撮影監督を担ってもらうことに。百々さんは「映像はフレームを決めて画を作ることが、 写真よりも強い意味があるじゃないか。物語を構築していくことができるじゃないか」と考え、映画の撮影に初めて臨んだ。

 

写真や映画について、村瀬監督は「撮った瞬間よりも、撮らなかった瞬間の方が多いはず」と考えていたが、京都造形芸術大学(現:京都藝術大学)に入り「映像はデジタルで撮り直しも簡単。学生は、仲間内であらゆる方向から撮っていくので、時間がルーズになる。その瞬間に集中してやってみたいから、長時間かけて撮ることはやめよう。沢山撮れたらいいわけでもないな」と気づく。「映画は入念に準備してから起ち上げていく。写真には様々な種類のものが、映画との大きな違いとして、現場に居合わせた時の瞬発力がある」と感じ取り、百々さんについて「一瞬の世界を切り取って勝負されている方。現場でもしっかりと理解して頂いたので、決断力も早く、撮影自体がすごく早かった。逆に周囲から心配されてしまう程だったが大丈夫だった」と信頼を寄せている。なお、事前に作品のイメージを共有するためにテスト撮影を実施しており、川上村で長年続いている伝統行事を撮らせてもらっており「和尚さんのありがたい話を村の住民が聞いている。百々さんがフォーカスするのは、和尚さんの顔じゃなく、後ろにある掛け軸や七福神等の置物。目の前で起こっている出来事に対して一番近くで冷静に俯瞰する感覚がある。本番の撮影も大丈夫そうだな」と実感。「百々さんの写真を見て、フォーカスやカメラを置く場所は信頼している。映画になっても違和感がない。僕が付いていないところでも撮影しており、驚かされる」と思い返し「映画に関する話を意外としていないけども、テスト撮影で確認できたので、スムーズに気持ちよく撮影できたな」と自信がある。

 

川上村は、南北町時代に逃げ込んできた人達によって出来上がった歴史があるエリア。住みやすいように開拓された土地ではなく、山ありきで人が生活を営んでいる。村には自然の資源があり、その合間に人々が隙間をぬうように住んでいることもあり、現代では過疎化が激しくなっていた。川上村に馴染んでいく中では、村瀬監督は「現地で会ったおじいちゃんおばあちゃんたちは過疎化について気にしていない。勿論、心の奥底には留めているけど、本人たちは日々をちゃんと生きている。これはどこにでもあることだな」と共感。脚本を書く上でも「可哀そうな村の話にはしたくなかった。深刻な問題ではあるけれど、村を救う、といった大それたことは全く考えなかった。映画は偉くない。川上村以外の人が見て分からなくてもいい。身内の笑顔を作ることができる、その土地だけの映画を作りたい」と起点を大切にしている。過疎化についても描いているが「未来は開かれているようで、開かれていないのもしれない。そんな今を生きている少女とお母さんがいる。移住するか、新しい商売を始めるか…ギリギリの状態であっても始めていないと後々で大変なことになってくる。こういった人達はどんな場所や都市にもいる。特殊な人達という意識はない」と冷静に捉えており「女の子とおじいちゃんに関する作品を撮りたかった。その背景には村があることを映し出したい」と説く。脚本は、撮影に至るまで何度も変わっており「話が変わり過ぎてしまい、改稿する度に『お前、何がしたいねん!』とお叱りを頂き『いや、ちょっと僕もわからないです…』と返しながら、村人達との交流を深め、共有できる記憶を作る物語を作りたかった」と話す。川上村に限定されたストーリーにはしておらず「人は皆、今いる場所じゃないどこかに逃げ込みたい。言い方を変えれば、あるべき場所に帰りたい感覚がある。都市から流れ込んできた人達が集う場所がある」と述べ「現実では、レジャーブームで都市から人がやって来て、最終的に移住してしまう人もいた。制作が始まった頃はコロナ禍の真只中でも同様の出来事が起きていた。ならば、人々が逃げ込んでしまった終点の場所として存在する土地の映画を撮りたい」と構想し、普遍的な物語として書き上げた。

 

キャスティングにあたり、まずは、現在の日本映画界において欠かせない俳優として三浦誠己さんを希望し、ほぼ当て書きをしている。母親役は、明るいイメージと共に別の一面も備えている必要があり、水川あさみさんを当て書きした。2人ともオファーを受けて頂き、安堵すると共に驚いている。一方で「当て書きしているから、現場では、どう捉えてもらえるか」といった課題も認識していく。シゲ役の堀田眞三さん、主役の三宅朱莉さんは、オーディションで選んでおり「2人は一風変わった役柄であり、ギリギリまでイメージが湧かなかった」と打ち明けながら「沢山の子役俳優とオーディションで会わせて頂いた。皆さん、すごくキラキラしているけど、三宅朱莉さんは真逆だった」と思い返す。脚本執筆期間に小学校でスタッフとして働いていたことがあり「リアルタイムの小学生たちを見ていた。小学6年生は大人になりかけている思春期におり、男の子よりも女の子の方が大人になるのが早い、といった印象があった。キラキラしてなくて気だるそうな毎日を送っている」と認識し「オーディションで三宅朱莉さんが入ってきた時、イメージ通りのやる気がなさそうな子だった(後から聞くと、すごく緊張していただけだった)。他の子と違い、普通の子が迷い込んできた感じがした。この子になるな」と直感。「漆黒の眼差しを撮りたい」と願うと共に「彼女自身は賢くて頭の回転が速く、物事をよく観察している」とイヒカに思い描いていたイメージとピッタリだった。堀田眞三さんとは東京で会っており「お話をした後、帰っていく姿は、街中によくある小さいお地蔵さんが歩いていくイメージで良かった。違う次元で生きている雰囲気がピッタリだった」と気に入り、シゲ役をオファーしている。

 

プロフェッショナルな方達と撮影を進めていく過程では、各シーンを作り上げるために皆さんが動き回り、脚本に書かれていないことまで細かく聞かれる機会が多くあった。俳優部からは、カメラに映らない箇所に関する細かい設定まで聞かれることもあり「皆さんがプライドを持って取り組んで頂いた。学生の頃は、見ているようで見ていなかったな」と気づかされ、苦労を重ねていく。主役の三宅朱莉さんは中学生だったが「次第に僕にだけ強く発言するようになった。“年上の面倒な先輩“のように対面していた。でも、この関係性を構築できたのが良かったかもしれない」とも受けとめており「彼女は普段、普通の中学校1年生だった。学校スタッフの仕事をしたことで、本気でぶつかってくる女子中学生は怖かった。気を抜いたら駄目だな」と身に沁みている。

 

「明るくて良い現場だった」と振り返る百々さんは「各々の思いがある中で緩やかに話し合いの場を持った。わだかまりをためないようにしよう」と意識していた。三宅さんにとっては初めての現場であり「撮影に参加できる時間の制限もある。彼女自身も、しっかりとパフォーマンスを発揮できるか、と考えていた。カメラの前に立つことに集中できるような場作りを皆で作り上げよう」と心がけていく。撮影にあたり、川上村に住み培ったことや見分を活かし凝縮することを意識し「撮影は3月上旬から4月の初旬であり、木々に緑が少しずつ芽吹いてきた時期。命の兆しが一番強く出る頃。やがて桜の花も咲き、空気自体も変わってくる。河川の中でも、季節の移り変わりがある。合間の時間を見つけては、監督にも言わずに今しかない景色を撮りに行っていましたね」と明かす。村瀬監督は、ラッシュの段階で撮影素材を確認し「2時間弱の映画を作ろうとしているのに、データ量がドキュメンタリー映画4年分程度もあった。俳優が登場せずとも景色だけで3時間程度の映画を作れる」と驚くばかり。百々さんは「役者の目には何が映っているか。俳優の皆さんが落とし込んだものを、どのようにして切り取っていくべきか」と検討し「足し算の方法で情報量を詰め込むより、どのような引き算をして、観客の想像力を膨らませるか。多くの情報を見せて、 川上村の成り立ちや背景も含め、映像で醸舌に語っていくのでなく、その方の佇まいや画面の距離感で、鑑賞者の想像力を以て映画の世界を届けることができるか」を意識しながら撮影していった。

 

編集段階となり「撮っている時に思い描いていたことが、繋げてみたら違っていた」と村瀬監督は認識し「映画には文法があり、滞りなく時間が流れていくために必要なストーリーや撮影の技法がある。それらを無視していたら、想定していたものとは全然違っていた。編集や音楽のスタッフに共有する難しさがあった」と実感。一年程度の時間を要し「村に生きている人達の背景が見える必要がある。プロデューサーの吉岡フローレス亜衣子さんからの提案もあり、村を大きな集合体として捉えてみると、最小単位である家族が住んでいる集落が存在していた」と気づき「画を引いていくと全貌が見えてきた時にようやく映画が成立した」と安堵していた。完成した作品について、第28回釜山国際映画祭で最初にスクリーンで見た百々さんは「自分自身が撮ったことを忘れるぐらい作品に没入することが出来る。柔らかくて優しい世界だな、と感じながら『村瀬監督、やるな』と。沢山の映画が今、世の中にある中で多くの方に届くように」と願っている。

 

海外映画祭での上映を経て、いよいよ日本での劇場公開を目前に控え、村瀬監督は「映像は写っているものが全て。映ってない部分で惹かれる映像、第三者が見た時に惹かれる映像が良いな。 脚本に準えて撮ったものよりも、知っている人がちゃんと見て撮ったものが、画面に宿っていることが重要。見てきたものを次も撮るだろうな」と改めて話す。百々さんは「人の心に、どう届けていけるか。それを作品として世界に届けていきたい。写真や映像を含めて、自分自身で体験したことや作り上げたものを届けていけるようなことを継続してやっていきたい」と今後を楽しみにしている。

 

映画『霧の淵』は、4月6日(土)より東京・渋谷のユーロスペースで先行公開、4月19日(金)より全国の劇場で公開。関西では、関西では、4月26日(金)より大阪・梅田のシネ・リーブル梅田、京都・烏丸御池のアップリンク京都や高の原のイオンシネマ高の原、神戸・三宮のシネ・リーブル神戸、奈良・橿原のTOHOシネマズ橿原ユナイテッド・シネマ橿原や大和郡山のシネマサンシャイン大和郡山で公開。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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