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僕らがやってきたことが記録として未来の若者達に向けて残っていく…『紫 MURASAKI – 伝説のロック・スピリッツ -』ジョージ紫さんに聞く!

2023年2月2日

沖縄発ロックバンドである紫のドキュメンタリー映画『紫 MURASAKI – 伝説のロック・スピリッツ –』が2月3日(金)より関西の劇場でも公開。今回、ジョージ紫さんにインタビューを行った。

 

映画『紫 MURASAKI – 伝説のロック・スピリッツ –』は、沖縄の伝説的ロックバンド「紫」を描いたドキュメンタリー。1970年、日本復帰前の沖縄で、ジョージ紫を中心に結成された「紫」。1976年には1stアルバム「MURASAKI」を発表し、音楽誌「ミュージック・ライフ」で国内部門グループ第1位を獲得するなど、当時のロックシーンを牽引する存在となった。2020年には結成50年を迎えたが、50周年記念ライブはコロナ禍により中止を余儀なくされてしまう。それでも歩み続けることを決意した彼らは、新作アルバムの制作と1年越しの記念ライブに挑む。映画ではメンバーたちがこれまでの軌跡を振り返るほか、紫の活躍をタイムリーに経験したLOUDNESSや影山ヒロノブ、紫に影響を受けた聖飢魔IIのデーモン閣下やX JAPANのPATAらが、それぞれの思いを語る。監督は『なんくるないさぁ劇場版 生きてるかぎり死なないさぁ』の野田孝則さんが務めた。

 

沖縄伝説のロックバンド「紫」。1970年代に⽇本のロック史に⾵⽳を開けたハードロックバンドである。ジョージ紫さんは、ディープ・パープルに深い影響を受けており、バンドの音楽性を左右する存在だ。1975年12月、(ギタリストのリッチー・ブラックモアが脱退後の)ディープ・パープルが来日。日本武道館公演の際には、紫にオープニングアクトのオファーがあった。だが、ジョージ紫さんは「当時、ネイティブのイングリッシュスピーカーとして話し、歌って世界を席巻するぐらいにならないといけない」と意地があり、断ってしまう。今となっては後悔しており「実は、当時の演奏は、あまりよくなかった。トミー・ボーリンがインドネシア・ジャカルタのステージで手を怪我してギターをあまり弾けていなかった。彼は不満そうだった。これだったら紫が出演しても大丈夫だったな」と苦笑い。「紫を知らない沢山のディープ・パープルのファンが日本武道館に集まっている中で演奏したら、紫がもっと知られることになったのにな」と悔やまれる。

 

その後、メンバーの脱退や新メンバーの加入があったが、1981年に紫は解散してしまう。その後、メンバーそれぞれ個別に音楽活動を継続していく中で、ジョージ紫さんは、5人組のロックバンド「MARINER(マリナー)」を結成。リードボーカルのオーディションを実施し、ジョージ紫さんのアメリカンハイスクールで後輩にあたるJJを起用。1st・2ndアルバムを録り直し、日本では日比谷野外音楽堂など、アメリカでもLIVEを開催した。その後、JJは日本に残りアン・ルイスなどの様々なアーティストと共演していった。1983年には、オリジナルメンバーで一度再結成し「MURASAKI WHY NOW? Piacefull Love Rock Concert」(第1回ピースフルラブ・ロックフェスティバル)を開催。当時を思い出し「リクエストしてくれた昔のファンの人達には感謝している。集客が良かった」と印象深く、以降は現在まで毎年開催され、沖縄のバンドが出演している。そういった中で、メンバーが入れ替わりしながら様々なフォーメーションで紫は活動を続け、最終的に2007年に今のメンバーに落ち着いた。JJがマイクを握り、ベーシストのChrisが加入しており「Chrisは才能がある。ベースだけではなくギターも弾ける。作詞作曲ができ、レコーディングエンジニアとしての技術を持っている」と信頼。「若い血が加わり、バンドが若返った。僕と30歳も違う。彼が70歳を過ぎた5人の中に入りパワーアップした。彼が右腕的存在として紫を支えている」と頼りにしており「まだまだ活動できます。新曲を発表し、アルバムを発売しようと取り組んでいます」と、やる気に満ちている。本作の中で披露されている新曲「Raise Your Voice」については「僕がリフを作って、コード進行から歌のメロディまで全部僕が作った。JJが歌詞を付けて、Chrisがギターソロをアレンジした」と述べ「世界情勢に対して声を挙げよう、というメッセージ。皆が見て見ぬふりせず、何が起こっているのか意識していかないと世の中は良くならない。平和を取り戻せない。黙っているだけでは衝撃的なことが起こるだけ」と懇親の思いを込めていた。

 

本作の制作については、映画『ミラクルシティコザ』がきっかけ。作品を手掛けた平一紘監督は、父親から、かつてあったコザ市の話を聞いて興味を持ち、ロックバンドも含め、様々な側面があるコザについてリサーチ。未完成映画予告編大賞でグランプリを獲得し『ミラクルシティコザ』を完成させ、作中では紫の楽曲を用いたり、JJが出演したり、劇伴音楽をChrisが手掛けたりした。制作に携わったスタッフの中に紫のファンである野田孝則さんがおり、今まで様々なドキュメンタリー映画を手掛けており、本作について提案して頂く。カナダのヘヴィメタルバンドであるアンヴィルのドキュメンタリー映画『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』を観ており「これは、数年前にピークを過ぎたバンドだったが、バンドに惚れ込んだファンがスタッフにもなり、本格的に作品が出来上がったようだ。その形の近いスタイル」と具体的なイメージが掴め「本作のプロデューサーもロックバンドを組んでいた経験があり、紫やラウドネスのファンであった。紫に熱意を持ったファン達が応援してくれて、この映画が出来上がった」と話す。

 

なお、本作は日本のハードロック界の錚々たる顔ぶれの方々が出演している。ジョージ紫さんが声をかけ出演しており「高崎晃さんや影山ヒロノブさんは8.8.ロック・デイに観に来ていた。二井原実さんも観に来ていた」と明かし「影山さんは長年紫をフォローしている。1977年には、紫とCharさんとBOW WOWでNEW WAVE CONCERTを実施し、最終的には武道館で開催した時も影山さんは観ていた」とエピソードを披露。また、本作のナレーションは、HYの仲宗根泉さんが担当しており「僕の息子達が経営しているライブハウスである7th Heaven Koza。『ミラクルシティコザ』の最後のシーンで演奏している場所ですが、そこには様々なバンドが出演している。MONGOL800やORANGE RANGE、HYがデビューする前にLIVEしていた。僕の息子達とも仲が良い。キャパシティー200人程度の場所でLIVEをやってくれている」と話し、現在活動中の沖縄のバンドとも親交がある。

 

完成した作品については、紫のメンバーは「僕らがやってきたことが記録として未来の若者達に向けて残っていくことを喜んでいる。素晴らしいこと」と大満足。既に劇場で鑑賞したお客さんからも「良い映画だった」と良い反応が得られている。沖縄県では、桜坂劇場で昨年9月16日から2ヶ月以上もロングラン上映された。また、2月12日からコザ ミュージックタウン音市場にて上映予定で「音響システムが良くステージも大きく大きなスクリーンで。1ヶ月やってくれる」と楽しみにしている。

 

映画『紫 MURASAKI – 伝説のロック・スピリッツ –』は、関西では、2月3日(金)より大阪・難波のなんばパークスシネマや京都・烏丸御池のアップリンク京都、2月25日(土)より神戸・新開地のCinema KOBEにて公開。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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