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誰にでも大切な場所があったんだよ…言葉で語るよりも映像を通して伝えたい…『雨を告げる漂流団地』石田祐康監督と斎藤響プロデューサーを迎え舞台挨拶付き試写会開催!

2022年8月20日

団地で育った幼馴染の少年と少女が、夏休みに団地で遊んでいると、突如謎の現象に巻き込まれ、あたり一面海の世界に行ってしまう様をファンタジックに描く『雨を告げる漂流団地』が9月16日(金)よりNetflix全世界独占配信&全国の劇場で公開。8月20日(土)には、大阪・心斎橋のイオンシネマシアタス心斎橋に石田祐康監督と斎藤響プロデューサーを迎え、舞台挨拶付き試写会が開催された。

 

映画『雨を告げる漂流団地』は、『ペンギン・ハイウェイ』『泣きたい私は猫をかぶる』を手がけたスタジオコロリドによる長編アニメーション第3作。取り壊しの進む団地に入り込み、不思議な現象によって団地ごと海を漂流することになった小学6年生の少年少女たちが繰り広げるひと夏の別れの旅を描く。姉弟のように育った幼なじみの航祐と夏芽は小学6年生になり、近頃は航祐の祖父である安次が亡くなったことをきっかけに関係がギクシャクしていた。夏休みのある日、航祐はクラスメイトとともに取り壊しの進む「おばけ団地」に忍び込む。その団地はかつて航祐と夏芽が育った、思い出の家だった。航祐はそこで思いがけず夏芽と遭遇し、のっぽという名の謎の少年の存在について聞かされる。すると突然、不思議な現象が起こり、気が付くと周囲は一面の大海原になっていた。海を漂流する団地の中で、航祐たちは力を合わせてサバイバル生活を送ることになるが…

 

上映後、石田祐康監督と斎藤響プロデューサーが登壇。石田監督は雨男、と云われているようだが、今回は無事に雨が降っていない天候の下、劇場での舞台挨拶となった。

 

2020年代を迎えた今、改めて”団地”を舞台にした本作。団地が次々に建てられていった時代とは世代の異なる石田監督だが「周り回って、ちょっと興味を持っている世代」だと話す。以前、新婚当時、URが運営している団地に住んだことがあり「自分の世代である昭和63年生まれの人達で新婚さんが多いタイミング、URがリノベした団地に入りたがっている世代が潜在的にけっこういる」と捉えている。「人それぞれ団地に対するイメージがある」と考えており、最初は古びた昭和のイメージがあったが「自分が住むとなったら、意外に良いかも」と印象が変わった。今作は、東京を舞台にしたストーリーだが「東京は人口密度が高い。都心に行けば行く程ぎゅうぎゅう詰め」と感じており「団地はゆとりある空間」だとイメージしている。団地に住んでみて「そこでのコミュニティや人の繋がりがある。子供達が学校帰りに遊んでいる」と気に入っており「団地は様々な運命を辿っているところがある」と説く。本作の場合、具体的に参考にした場所があり「古いところだったので、そういう運命になって…」と明かし「そこで生まれ育った小学生は、そこが故郷であるわけで。そこが取り壊されることを目の前にした時、どうするのか」と気になり、脚本を書いている。このアイデアを聞いた斎藤プロデューサーは、まず、海の上に団地が浮かんでいるイメージボードを見て「ここからおもしろそうなストーリーが始まっていくのかな」と予感した。

 

制作するにあたり、石田監督は「言葉で語るよりも、映像でなるべく物語を通して伝えたい。夫々の方にストンと落ちて頂きたいところはありますが…」と話しながらも「団地が持つ画面のおもしろさ、と一緒に、団地が海を漂流していること。団地は偶々興味があったので選んだものの…団地を一つの象徴であって。観る方によっては、過去にあった自分が経験した重要な経験をした大切な場所。他に替えが効かないような場所」と団地について様々に語っていく。そして「場所に纏わる記憶が、僕は人並み以上にあるような気がして」と思い返し「僕は愛知県のとある半島の田舎町に住んでいたんですけど、偶に帰ると、大事だと思っていた場所が無くなっていたことがあります」と振り返る。「無くなって空き地になっていたり、若しくは、建て替えられて別の住宅になっていた。様々な思い出がある秘密基地を作った廃屋や空き地、若しくは、よく通っていたゲーセンいっぱいあったけど、なくなっている」と寂しくなりながらも、暗に考えながらも本作を手掛けていたことを明かす。今作では、団地をモチーフとして扱っているが、団地が漂流することになる海について「ここには、それら全てのモヤモヤっとした気持ちを作品として受け止めてくれる器がある場所として考えられないか、という思考の過程の中で出てきた」と述べていく。

 

前作『ペンギン・ハイウェイ』に続き、子供達が主人公の作品となっており、斎藤プロデューサーは「活き活きとしている。キャストの田村(睦心)さんや瀬戸(麻沙美)さんらが声を充てて下さり、子供として活き活きとしたキャラクターになったので、大人になって観ると『あの頃、自分も子供の頃はこんな感じだったなぁ』と思い返されます。もし、子供の頃に観ていたら『自分達のドラマとして描かれているな』と思えます」と感じており「大人も子供も楽しめるような作品になっている」と太鼓判を押す。

 

登場人物達について、石田監督は「(航祐と)同じサッカー部だった。2トップと呼べる友達がいた。その子に変なあだ名をつけられた。試合中はお互いにパスを繋げてゴールまでもっていく。点を取ってこそ、な仕事をやっていました」と思い返しながらも「自分は、航祐みたいな感じではなかった。それより、同じくサッカー部にいたあの子な感じかな…と航祐を想像しながら書いていました」と明かしていく。また、自身については「譲君や太志君を足して2で割った感じかな」と思うと同時に「令依菜みたいな子もいたな。印象には残る。そういう子なりの魅力や思いが実はある」と暗に想像しながら願いを込めて書いていたことを思い返していた。そして「そういう子達と暮らすためにも珠理みたいな子もいなきゃ」と認識している。なお、航祐を描くためには「諫めるように書かざるを得なかった」と辛い時期もあった。様々なことを思い返しながら「こういう子達がいてこそ、皆それぞれが人として存在できる。支え合って生きている」と感じながら書いていった。斎藤プロデューサーは「共感できないけど好きなのは令依菜」と挙げ「物語の構成上、どうしても悪役に回ってしまうキャラ。主人公に感情移入にしていったら絶対嫌いになるキャラクター」と言及。また、”誰にでも一つはある大切な場所”として「夏芽にとっては大事な団地がメイン。令依菜にとっても観覧車が大事な場所だった」と指摘し「令依菜はずっと団地のことを否定していたわけですが、”誰にでも大切な場所があったんだよ”と伝える大切なキャラクター」として印象に残っている。

 

なお、アニメーションで水の表現は難しく、石田監督は「様々な方々が、各々に苦労している」とフォローしており、監督の立場として「理想を掲げて、『このくらいのところまで達成したいんだ』と云う責任と、そこまで背中を押しながらスタッフに持ち上げていってもらう役割ではあるので」と重責を感じていた。水の音に関しても「団地が舞台でありつつ、画面を占める6、7割以上は海。海をしっかり描くしかない」と認識しており、スタッフに対して「これは本当に大事なものなので」と何度もお願いして作品が出来上がっている。そんなスタッフの姿に斎藤プロデューサーも感心しており、監督と共に労った。

 

また、空や海の青色も丁寧に描いており、石田監督は「アニメで観るから、と意気込んでしまうと、観光地っぽく、水色の透明感が高くなり、南国の雰囲気になってしまう」と鑑みながら「今回は、漂流しており、頼る島がない状況なので冷たく描かないといけない」と指摘。「ありのままの海の姿を地道に描くことで、美しさを表現できる」と察し「嵐のシーンは真っ黒です」と挙げ、さらにスタッフの苦労を労っていく。ここで、斎藤プロデューサーはお気に入りとして中盤のとあるシーンを挙げ「何回観ても、絶対にあると分かっていても、毎回泣いちゃいますね」と告白。「僕は、ここで泣くんですけれども…」と打ち明けながらも「皆に聞くと、泣くポイントがバラバラで。感動できるポイントが夫々にあることは良い作品だなぁ」と感心していた。石田監督としては、全シーンに気を遣いながら取り組んでいるため、画においては客観的に観られずとも、主題歌と挿入歌の楽曲を担当した「ずっと真夜中でいいのに。」の音楽があるシーンを挙げ「客観的にお客さんとして観れる。オープニングのシーンは、一つの思い出として楽曲を作ってくれたなぁ。挿入歌のシーンも良かったぁ…」と感慨深い。手掛けた画について「作り手の性として、毎回100%には勧められない。観客として観れていない」と思ってしまうが、忘れさせてくれる曲には大いに感謝していた。

 

最後に、石田監督は「コロナ禍もありましたし、人との繋がりが希薄な時代の中で…」と現在の状況を憂いながらも「航祐や夏芽ら子供達が繋がって良い思いをしてほしいな、と願いながら書いていました。大変でしたけど、スタッフの方々の協力の下、プロデューサーにも頑張って頂いて、なんとか出来ました。本当に良かったです」と感慨深げに舞台挨拶は締め括られた。

 

映画『雨を告げる漂流団地』は、9月16日(金)よりNetflix全世界独占配信&全国の劇場で公開。関西では、大阪・梅田の大阪ステーションシティシネマや心斎橋のイオンシネマシアタス心斎橋、京都・桂川のイオンシネマ京都桂川、神戸・岩屋の109シネマズHAT神戸等で公開。

日々素晴らしい作品が生まれ続け、才能溢れる制作会社やクリエイターが群雄割拠しているアニメ業界で個人的に注目している制作会社がある。それがスタジオコロリドだ。スタジオジブリや細田守監督、新海誠監督とも違う柔らかさと親近感を持ち合わせながら、色彩豊かなアニメーション作品を作り続けている。数々の短編アニメ映画を製作したのち、森見登美彦原作の『ペンギン・ハイウェイ』や『泣きたい私は猫をかぶる』といったキュートで爽やかな作品を生み出し、世界中から大注目だ。そんなスタジオコロリドが『ペンギン・ハイウェイ』以来に新たなジュブナイル映画を作り上げた。しかも『ペンギン・ハイウェイ』を見事な作品に仕上げた石田祐康監督によるオリジナル作品である。間違いない作品になるとは予想していたが、少年少女たちの成長と過去への決別をしっかり描いた素晴らしい作品だった。

 

ある日突然、子供達はかつて住んでいた団地が海を漂う中で生活を始めることになる。救援も呼べずに食料もギリギリ、次第に団地も浸水し始めるという危機的状況を知恵と勇気でサバイバルしていく子供達はいつも等身大で人間味に溢れていた。帰れらるか分からない不安から喧嘩もするし、一致団結して危機を乗り越えた時には一緒になって喜び合う。大きな壁を乗り越えていくプロセスと子供達のリアルな反応や掛け合いを描いているからこそ、子供たちの成長や機微に実感が持てる。子供達が現実世界からファンタジーな世界に飛ばされて危機を乗り越えながら成長するアニメ映画は数多あるが、今作のように子供達を1人の人間としてきちんと捉えて成長を描いた作品はなかなかない。

 

そして、物語は秘めた思いと後悔に焦点を当てていく。失われていく団地と思い出、取り返しのつかない後悔が暗い影を落とす。いつまでも続かないことは分かっている。しかし。何かが失われていくのは切なくて心が苦しくなってしまう。それでも過去に別れを告げなくてはならない。センチメンタルな郷愁と過去への決別がせめぎ合う様は『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』を連想せずにはいられない。誰もが過去の轍に後ろ髪を引かれながら今を生きている。だからこそ、子供達が過去に折り合いをつけていく姿に感動するのだ。この夏を締めくくるのにぴったりなジュブナイル映画を、ぜひ映画館で堪能してもらいたい。

fromマリオン

 

小学生の頃、家の近所にあった団地には、友達が住んでいるとはいえ、どこか独特の雰囲気を持っていて、建物の大きさや、少し閉塞的なコミュニティの感覚に、外にいた自分は不思議と興味がそそられたのだが、こう言った人は、決して少数派ではない、のではないだろうか。本作では、その時分の感覚が丸ごと可視化されたような、単なる懐かしさではない、何かがある。そして、タイトルに”漂流”とつくと、SF好きとしては、無性にワクワクさせられてしまう

 

様々な困難の中、知恵を絞り、前へ前へと進んで行く、子ども達の姿。思わず、子を持つ親の視点から観てしまったのだが、他の作品ではありがちな子ども像、ではなく、案外、大人が思っている以上にしっかりしていて、思わぬところで、子どもらしさが出てしまう。と言った、ニュアンスも絶妙に描かれている。子ども時代を過ごし、成長した大人世代はもちろん、物語と同様、主人公世代の子ども達にも、是非とも劇場で観て欲しい本作だ。

from関西キネマ倶楽部

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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