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人間、手を繋いで生きていくしかないんです…『精神0』想田和弘監督に聞く!

2020年4月25日

長年にわたって精神医療に携わってきた山本医師が引退を決意し、その後の人生を踏み出そうとする姿を、想田和弘監督による“観察映画“の独自のルールに則って記録する『精神0』が5月2日(土)より公開。今回、Skypeにて想田和弘監督にインタビューを行った。

 

映画『精神0』は、ドキュメンタリー監督の想田和弘さんが「こころの病」とともに生きる人々を捉えた『精神』の主人公の1人である精神科医・山本昌知さんに再びカメラを向け、第70回ベルリン国際映画祭フォーラム部門でエキュメニカル審査員賞を受賞したドキュメンタリー。様々な生きにくさを抱える人々が孤独を感じることなく地域で暮らす方法を長年にわたって模索し続けてきた山本医師が、82歳にして突然、引退することに。これまで彼を慕ってきた患者たちは、戸惑いを隠しきれない。一方、引退した山本を待っていたのは、妻の芳子さんと2人の新しい生活だった。精神医療に捧げた人生のその後を、深い慈しみと尊敬の念をもって描き出す。ナレーションやBGMを用いない、想田監督独自のドキュメンタリー手法でつくられた「観察映画」の第9弾。

 

ドキュメンタリーの撮影は待ってくれない。「山本先生が来月引退される」と知り、想田監督は「直ぐにカメラを回さないと!」と駆けつけ、撮っていった。「山本先生や芳子さんに作品を観て頂きたい」と願い「なるべく早く終わらせないと!」と時間との闘いを試されていく。現実的な問題として「人間はいつかサヨナラを言わないといけない時が来る」と深く考えることを、本作のテーマとしており、死を見つめることを大切にした。「メメント・モリ」という言葉を認識し「死は人間の根源的な苦しみ。死を見つめながら、どのようにしてより良く生きていくのか」が必要であるとも提言する。今回は「事実から逃げることなく自分自身で準備をしていかないといけない」と感じながら、制作していった。

 

当初、『息る』というタイトルを考えていた想田監督。だが、紋切型でもあると感じ「他に良いタイトルがないか」と悩んでいく。なお、『ZERO』という英題を最初に決めていた。本作の冒頭には、山本先生の言葉でタイトルに繋がる直接的なインスピレーションがあるが、同時に「”ゼロ”は多義的であり、様々な解釈が成立する。哲学的な思索に思考を誘うような効果がある」とふまえ「英題を『ZERO』にして、邦題も同じにしようかな」と検討。配給会社の東風と相談していくなかで、『精神0』を提案され合致し、監督自身も気に入っている。

 

撮影にあたり、『精神』に出てきた風景をもう一度探して取り入れており、時の流れや無常を感じた。観察映画では、よく観てよく聴きながらカメラを回すことを一番大事にしており「撮っていると気づくことがある。患者さんの表情や手の仕草が大事だと思ったら寄る」と説く。素直に映像へ翻訳するため「自分の発見を映像化しようとすれば、自然とカメラワークが決まっていく。最初からフォーカスする箇所を決めていない。観察しながら気づいたことに素直にカメラを向けていくとこうなった」と明かす。作中には、「演劇」シリーズの時にも用いた無音による演出があり「無音にすると却ってドラマ性が高まり、音楽のような効果がある。少しだけ観客の”おぉ!”という注意を惹く効果があり、あの場面にあった方が良い」と感じている。

 

本作のテーマについて「夫婦の純愛物語」と謳っているが、想田監督は「夫婦だけに限らない」と話す。「山本先生と患者さんの間にも愛があるし、僕と山本御夫妻の間にもある」と述べ「撮っていれば、自然とこのテーマに寄り添った場面に立ち会っていった」と振り返る。「山本先生と芳子さんが御自宅でどんな時間を過ごされているか」も次第に気になり、撮影するためにお邪魔したが「敢えて色々と聞かなくても、二人の姿を見ていれば分かる。言葉は必要ないし、改めて聞く必要がない」と実感。山本先生の人柄についても「怒った姿を一度も見たことがない。なんでも受け入れてくれる。山本先生と話したりお会いしたりする時は全く緊張しない。芳子さんもですが、他人にストレスをかけない」と表す。今作で一番印象に残っている瞬間として、お墓参りの場面を挙げ「撮った瞬間に核となるシーンに感じました。山本先生と芳子さんが歩んできた人生や生きることが凝縮されているような場面だ」と回顧する。「あの場面を観ている観客も僕と同じように特別な感情を抱けるように映画が構成できれば、この映画は成功だ」と撮影時から感じており「人間、手を繋いで生きていくしかないんです」と本作を通して、ひしひしと感じた。

 

なお、現在の新型コロナウィルス感染拡大防止を鑑み、まずはWebサイト「仮設の映画館」でのデジタル配信を行う。本作は、製作委員会方式の作品ではないため「配給の東風さんも小回りが利く。制作は僕と(プロデューサーの)柏木だけなので、話が早い」と説明。とはいえ「実は、僕も最初は延期を提案した」と告白。「こんな状況で観て頂くにしても、観客がおらず公開しても集客を見込めず、映画館で観て頂くことをお勧め出来ない。そんな中で公開するより、現在の状況が落ち着いて皆が安心して観れるような時期が来たら公開したい」というのが自然な気持ちであり、東風に伝えたが「それを今やってしまったら、劇場は潰れてしまう」と告げられてしまう。「お客さんが激減しており、上映作品が無くなってしまうと、映画館は立ち行かない。劇場が全て潰れてしまうと、作品を公開できなくなってしまう。延期する意味がない。自分を生かそうとすると皆に生き残ってもらう必要がある。相互依存関係にある」と気がつき「どうすれば皆が生き残るか、と相談した時に今回のアイデアが生まれた。配信だけれどもお客さんが劇場を選ぶようにする仕組みがいい」と皆で考え出した。最初は、監督自身も抵抗しており「映画館で観てもらうために映画を制作してきた。配給会社も劇場も同じ。配信を目的にしていない」と皆の共通認識は勿論ある。だが「現在の状況が落ち着いた時に劇場が残っているための方策ですから。仮設であり繋ぎですから。そういう趣旨だったら、今出来ることは限られているので、是非やりましょう」と機運が高まった。

 

また、この取り組みは、他の配給会社からも東風宛に問合せを受けている。「この方式が広がってくれるといいんです。僕らが独占するんじゃなく、良いなと思って採用したい方がおられたら是非真似をして開業してほしい。現在、突貫工事で東風の方が作って下っています。初めての試みなので不具合も生じると思います。でも沢山の配給会社や劇場が参加できるようになったら共通のプラットフォームをしっかりと構築できるかもしれない」と期待しており「この状況が1年以上かかる可能性もあるので、長い時期を乗り切れる可能性も高まる。劇場に戻って頂くための苦肉の策ですから、オンラインで観る方が劇場でも観て頂けたら一番嬉しい。配信による鑑賞と劇場での鑑賞は全く違う経験である、とお客さんは気づいている」と映画ファンにも敬意を表す。だからこそ「劇場に拘っている。家に居続ける時期を経て『映画館での体験がなんて楽しいことだったんだろう』と痛感する。現在の状況が終わった時、皆がこぞって映画館に戻ってくれるんじゃないか」と期待している。

 

映画『精神0』は、5月2日(土)より「仮設の映画館」含め全国の劇場で公開予定。また、大阪・十三の第七藝術劇場、京都・烏丸の京都シネマ、神戸・元町の元町映画館でも近日公開。

「自分の欲求は大切にしなさい。でも一日だけ、欲を無くす日、『0(ゼロ)に身を置く日』を作りなさい。」山本昌知先生は穏やな口調で患者にそう言った。

 

本作では、山本先生が長い月日を通して信頼関係を築いてきた患者達と対話するひと時を描く。前半が患者との交流、後半が先生自身と妻である芳子さんとの生活にカメラを向けている。対話の間に挟まれる雨の音や、水の滴る音が心に落ち着きをもたらす。診療所の風景、家の中、当たり障りのない風景がまるで撮って出したままの映像であるかのような編集になっており、このような演出がドキュメンタリーをより自然なものへ昇華させている。

 

「医者」と「患者」という形式ばったものが彼らにはあるが、先生は患者の一人一人をよく理解していて、不安にさせることは一切言わない。心や精神は皮膚のように物質的なものではなく傷ついてもわからないから、精神的な病は慎重に、長い年月が必要だ、と思い知らされた。本作を観て、気づいたことがある。これまで精神患者に対面する機会がなく、恥ずかしながらあまり彼らに対して考えたことがなかった。考えないということは、彼らを無視していることと同じだ。そして、もう一つは、ドキュメンタリーに「面白さ」というものは必要なく、映像を観ながら自分の内なる思考と対話することが出来ればそれで十分、作品を理解したものだということである。生きているだけで自分を含め、人は尊いものなのだと気付かされた。本作品を観た日は自身にご褒美を与える1日にしてみてはどうだろうか。

from君山

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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