家族のための仕事が家族を苦しめる…イギリス・労働階級の苦境と現実を描く『家族を想うとき』がいよいよ劇場公開!
(C)Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2019/photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
イギリス北東部のニューカッスルを舞台に、理不尽なシステムによる過酷な労働条件に振り回されながらも働く父親とその家族を描いた『家族を想うとき』が、12月13日(金)より全国の劇場で公開される。
映画『家族を想うとき』は、現代が抱えるさまざまな労働問題に直面しながら、力強く生きるある家族の姿が描かれる。イギリス、ニューカッスルに暮らすターナー家。フランチャイズの宅配ドライバーとして独立した父のリッキーは、過酷な現場で時間に追われながらも念願であるマイホーム購入の夢をかなえるため懸命に働いている。そんな夫をサポートする妻のアビーもまた、パートタイムの介護福祉士として時間外まで1日中働いていた。家族の幸せのためを思っての仕事が、いつしか家族が一緒に顔を合わせる時間を奪い、高校生のセブと小学生のライザ・ジェーンは寂しさを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう。
本作は、『麦の穂をゆらす風』『わたしは、ダニエル・ブレイク』と2度にわたり、カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞した、イギリスの巨匠ケン・ローチ監督作品。今回も、第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された。クリス・ヒッチェンズ、デビー・ハニーウッドらがキャストに名を連ねている。
(C)Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2019/photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
映画『家族を想うとき』は、12月13日(金)より大阪・梅田のシネ・リーブル梅田、京都・三条のMOVIX京都、神戸・三宮のシネ・リーブル神戸で公開。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』でおなじみのケン・ローチ監督の最新作。本作もまた現実の問題をテーマとして取り扱っているが、内容の隅々から本作を通して監督自身の伝えたい想いが伝わってくる。
英国が舞台の本作だが、我々日本人にも共感を生む。しかし、共感は同時に恐怖すら感じさせられる。日本でも、社員応募を謳いながら蓋を開けてみれば、適当な名前をつけて、実質的に委託社員のような契約を締結させてこようとする企業は多い。本作では転職や苦肉の策により個人事業主にせざるを得なかった。日本では新卒採用が餌食となり、最終面接で正社員と言う名の委託社員かバイトと代わりない契約社員の何れかを選ばせる企業が現実にある。委託(フランチャイズ)の条件が良く見えるように事実無根の条件までが並べられてしまう。一方で、契約社員は仕事内容も陳腐かのように説明されていく。労働基準法の管轄から外れ、人間を奴隷のごとく扱い、売れなければ個人に責任を押しつける最低の企業が未だに蔓延しており、無知が故に時間と体力と金を奪う。経営者が如何に社員を乱雑に扱うか、本作を観ても近しい部分があり、就職先を探す前に観ることをお薦めしたい一作でもある。
核家族化の加速により、日本では介護士不足も浮き彫りとなり、昨今では田舎で暮らす祖父母の物語を描いた作品が多かった。本作では、現代社会の介護士労働問題を、母親を介護士と設定することによって、介護する側の立場にいる人の目線でわかりやすく描いたのが特徴的である。介護士は利用者の”急”に対応し続けなければならないし、自ら進んで人が嫌がることをしなければならない。作中では、母親の口から「自分の親だと思って相手をするの」と発せられる。大きな覚悟を持って介護職に就くのかと唸らせられた。「仕事のない人がやる」「安月給でも誰かがやる」世間の認識が最下層にいる労働者を苦しめる。給料と仕事内容が見合ってるとは思えない。人を罵ることは封じ、何を言われても感情を抑制する。「お前なんか嫌い」と言われても「私は好きよ」と返事するしかない。介護士になる人の大半が優しいからこそ、優しさに甘えて業界が成り立つ現状を打破しなければ、劇中のように働き手が不当に扱われることが今後も無くならない。
子供達のシーンも考えさせられる。子供への愛情を疎かにしていると、子供なりに家族の問題を抱えていく。街に公園がなければ、遊んでもいない。自分を主張する場所がなければ、勉強やスポーツ以外で他人に評価される経験もなかった。アーティスティックな部分に近づけば近づくほど周りの理解からは程遠くなる。将来ですらボヤけてしまい何も先が見えない。何を考えても、どんな話を聞いても、霧払いできず、生きている実感すら湧かなくなり、非行に走る。
本作では非常に緊迫するシーンでもBGMを必要としない。本作の物語が見せる恐怖には取り繕う必要がまったくないからだ。泣けよと言わんばかりのBGMなんてない。何も飾る事なく、ありのままを観客に見せつけることでインパクトを生みだし、知らないうちに心臓を握られているような感覚に陥る。家の中のシーンでは大半がホームビデオのような固定アングルで撮影されるため、普遍的な家庭の日常をリアルに映し出しており、現実とリンクした巧みな映像表現だ。
家族映画を描く時、最近では定番とも言える”過剰な”暴力演出に頼ることなく、家族内で悪者を作らない設定が素晴らしい。今年公開されたどんな家族映画よりも心に響いた。家族の会話や行動が全て切なくて愛おしいのに、誰かがいつも傷ついてしまう。自分本位ではなく、家族を想う行動をする時、物語が動き出す。
fromねむひら
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
- 最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!