南北の分断が続いている状況下、戦争孤児について考えられるようなドキュメンタリーを作りたい…『ポーランドへ行った子どもたち』チュ・サンミ監督に聞く!
©2016. The Children Gone To Poland.
1950年代、朝鮮戦争で戦災孤児となりポーランドへ送られた子供たちと、彼らを受け入れ育てた教師たちに迫る『ポーランドへ行った子どもたち』が9月22日(木)より関西の劇場でも公開される。今回、チュ・サンミ監督にインタビューを行った。
映画『ポーランドへ行った子どもたち』は、1950年代、北朝鮮から秘密裏にポーランドへ送られた朝鮮戦争の戦災孤児たちの真実を描いた韓国発のドキュメンタリー。ホン・サンス監督作など俳優としても活躍してきたチュ・サンミが監督を務め、韓国でも知られていない歴史の闇にスポットを当てる。偶然目にした映像をきっかけに、ポーランドへ強制移送された戦災孤児たちの存在を知ったチュ・サンミ監督は、10代で命がけの脱北を経験した大学生イ・ソンとともにポーランドを訪れる。2人は孤児たちの悲痛な記憶をたどる旅の中で、異国の子どもたちを我が子のように受け入れ育てた教師たちと出会う。今でも子どもたちを懐かしく思い、涙を流す教師たち。やがてイ・ソンは泣きながら、現在も北朝鮮にいる家族について語りはじめる。
学生時代に短編映画を3本撮っていたチュ・サンミさんは「大学院卒業後に長編映画を作らないといけない」と躍起になっていた。また、産後うつを経験しており「状況を克服するためにも、早く長編映画を撮りたい」と焦りが募っていく。以前は、ロマンティックコメディといった本作とは全く違うジャンルのおもしろそうな映画を検討していたが、産後うつを経験して以降は心境も変化した。子供に関するうつを経験し「母として視線で何か作りたいな。母性愛を自分の中でも探求していきたい」と模索していく中で、戦争孤児についてのストーリーを知ることに。「私はこの映画を作らないといけない」と運命を感じ、その過程としてドキュメンタリーを作ることになった。
韓国には、脱北者支援施設があるが、脱北者達が共同生活している場所ではない。3万人以上の脱北者が韓国に存在している、と云われており、政府の支援により賃貸マンションに住めるようにしていった。青少年の場合、いきなり韓国の学校に入るのは難しく、脱北者ばかりが通う学校が100校程度あり、韓国に適用できるように様々なオルタナティブ教育が行われている。脱北してきた子供達は心の傷やトラウマを抱えている場合が多く、治癒する教育も行われてきた。
ポーランドへ強制移送された戦災孤児たちの存在を知ったチュ・サンミ監督は、共にポーランドを訪れる子供を募るためオーディションを実施。そこで、イ・ソンが選ばれた。韓国と違い、北朝鮮は移動の自由が制限されており「自分の住んでいる地域から出る時は政府の許可が必要。ほとんどの脱北者の子供達は、自分が生まれ育た地域から出たことがない状況なので、旅行そのものがロマン」と説く。イ・ソンにポーランドに一緒に行くことを提案した時はとても喜んでくれた。しかし、当初は微妙な微妙な反応をする一面も。脱北者の多くは警戒心が強く「中国やラオスを経て韓国に来るので、その間に詐欺に遭ったり、お金を奪われたり、騙される経験が多い。旅行に行かせてくれる良い提案が信じられない。自分にもっと不利益を被るのではないか」と不安だったことを後になって聞いた。実際に、ポーランドを訪れてみると、歓迎ムードで取材に協力的な人達が圧倒的に多く「イ・ソンと出会い『北朝鮮から来た』と言えば、大抵は喜んで涙を流しながら抱き締めてもらった」という反応も。その中には子供達について記憶している方がいたが「北朝鮮との友情を大切に考えており、韓国で作るドキュメンタリーには出演できない」という理由で断らることもあったが、多くは親身になって受け入れてもらえた。
今回のドキュメンタリー映画は、劇映画を今後作る為のリサーチという意図もあり、戦災孤児達が生活した学校等に行き先生等の関係者達にインタビューして話を聞くことが目的だったこともある。だが、全ての過程が美しく「ポーランドの中でも田舎ですが、場所としての美しさもあります。また、ギリシャ・イタリア戦争があった頃には難民の子供達を受け入れた歴史があり、北朝鮮の子供達を受け入れた歴史と重なります。今も重症な障碍を持った子供達の学校があり、子供達を治癒してくれている村でもある」と感じ「ロケ地にして映画を撮りたい」と熱望した。なお、この歴史的事実が韓国の人達にはあまり知られていない。「劇映画を作る前に、ドキュメンタリーを通して出来事を知ってもらうことが大事だ」という思いを以て作っており、歴史ドキュメンタリーを作る気はなく「南北の分断が続いている状態の中で、脱北者の子供達も出演し、分断や戦争孤児について考えられるようなドキュメンタリーを作りたい」という意向で編集している。韓国には3万人以上の脱北者が存在しているが「韓国の人達は同じ民族でありながら無関心でいる、ということを指摘したかった」という意図もあり「私が母として感じる母性愛のような観点でアプローチしたい」と熟考。本作の焦点となっているポーランドへ行った子供達は70年前にいなくなった子供達であり、資料とインタビュー映像によって比較的短期間で集中的に作り上げている。
本作の企画・撮影をしていた時期はパク・クネ政権下で南北間の関係が悪い状態で、ほとんど対話がない状況だった。2017年にムン・ジェイン政権に変わり、平昌五輪を経て首脳会談があり南北が一気に近づいた2018年の秋に公開へと至っている。「もしかしたら、直ぐにでも統一するんじゃないか、という雰囲気があったので、多くの関心を集め、ニュースでもかなり報道されました。観客も沢山来てくれた」と振り返り、お客さんの反応を見ていると「南北統一に関して否定的に思っていた人達が、統一する必要性について考えるようになった」「ポーランドの先生達が同じ民族でもないのに、子供達を本当の親のようになって可愛がってくれたことに、同じ民族である韓国人として恥ずかしかった」という反応が多く、やりがいも感じられた。
現在、劇映画の制作に関して、一旦シナリオが完成した状態であったが、コロナ禍の影響が物凄く大きく、映画産業への投資がほとんど無くなったことからの影響を受けている。オールポーランドロケになる予定だが、予算規模が大きく、投資を受けるのは難しい状況に一変。オンライン配信によるドラマシリーズについては投資が動いており、路線変更することに。映画のシナリオは3時間規模だったこともあり、膨らませる形でドラマに脚色する作業を他の作家達と一緒に取り組んでいる。「子供達が8年間ポーランドにいたので、その時にどのように過ごしたかを劇映画で見せる」と焦点を合わせ「中心になってくるのは、韓国からも戦争孤児が行っている。主人公の男の子は韓国出身の男の子で、北朝鮮出身の子供達と喧嘩したり葛藤があったり仲直りしたりする様子を描いたり、親のような先生達との関係を描いたり、治癒する上での芸術教育のようなものを見せたりしながら、実話を60%程度入れた作品を作りたい」と見応えあるドラマにしようと鋭意制作中だ。今後は「長時間かけて取り組むドキュメンタリーにも挑戦したい」と志は高く「基本的には劇映画を中心に考えながら、韓国が変化していく状況を鑑みながら、映画かドラマの作品を作っていきたい」と果敢に取り組んでいく予定だ。
映画『ポーランドへ行った子どもたち』は、関西では、9月22日(木)より大阪・九条のシネ・ヌーヴォ、9月23日(金)より京都・烏丸の京都シネマで公開。また、11月5日(土)より神戸・元町の元町映画館でも公開予定。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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