“安楽死法案”が可決された近未来の日本を舞台にした『安楽死特区』がいよいよ劇場公開!
©「安楽死特区」製作委員会
安楽死法案が可決された日本を舞台に、安楽死を希望して施設に入所するラッパーの若者や、施設の内部告発を試みるジャーナリストを描く『安楽死特区』が1月23日(金)より全国の劇場で公開される。
映画『安楽死特区』は、『夜明けまでバス停で』の高橋伴明監督が、安楽死を題材に描いた社会派ドラマ。”安楽死法案”が可決された近未来の日本。国家戦略特区として、安楽死を希望する者が入居しケアを受けられる施設”ヒトリシズカ”が開設されたが、倫理と政治の最前線で物議を醸す存在となっていた。難病を患い余命半年を宣告されたラッパーの酒匂章太郎は安楽死法に反対しており、パートナーでジャーナリストの藤岡歩と共に、特区の実態を内部告発することを目的に”ヒトリシズカ”に入居する。施設には、末期がんに苦しむ池田とその妻である玉美、認知症を抱える元漫才師の真矢など、さまざまな境遇と苦悩を抱える入居者たちが暮らしていた。彼らとの交流や医師たちとの対話を通じて、章太郎と歩の心は少しずつ変化していくが…
本作では、『「桐島です」』の毎熊克哉さんが章太郎、『夜明けまでバス停で』の大西礼芳さんが歩を演じ、平田満さん、筒井真理子さん、余貴美子さん、加藤雅也さん、板谷由夏さん、下元史朗さん、奥田瑛二さん、友近さん、鈴木砂羽さんが共演。医師で作家の長尾和宏さんによる小説を原作に、『野獣死すべし』等の丸山昇一さんが脚本を手がけた。

©「安楽死特区」製作委員会
映画『安楽死特区』は、1月23日(金)より全国の劇場で公開。関西では、1月23日(金)より大阪・難波のなんばパークスシネマや京都・三条のMOVIX京都や神戸・三宮の kino cinema 神戸国際等、1月24日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場で公開。
安楽死。死から逃れられない状況にいる当事者が、自らを解放するために取る選択の一つ。日本ではその選択を取る法整備はされていない。海外では、積極的か消極的かはさておき、認められている国がある。映画を見た上で私が言えるのは、「終末期患者になった本人でなければ分からない苦悩や苦痛はあり、それを見守る側の気持ちで否定はできない。ただ、本人を尊重した上で気持ちを伝えることは出来るのではないか」となんとも歯切れの悪いことだけである。
自分自身の未来を想像すると「自分で自分の制御が出来なくなった状態で生きるのはツラいな」と思うことがある。これはあくまで自分自身に対してであり、他者が同じ状況に直面して、生きる選択をしたときに否定的な気持ちになることはない。ただ、2026年現在の日本で”安楽死”について発言をすると、嫌なことばかり考えてしまうような空気ではある。家族でもない人の選択に口を出したがる人、当事者の罪悪感が増すような雰囲気、同調圧力、勝手な解釈違いでの論争。色んな嫌な言葉で溢れることは想像に難くない。法律として整備されるとしても、必要な人の気持に沿う法案になるのか怪しいし、不安しかない。
だが、それを望む人が今この瞬間にもいることを忘れてはならない。余命を宣告され、回復の見込みが薄い人の気持ちをどこまで考えられるだろうか。この映画には、「安楽死法案に反対だったが、ある難病を患い余命半年と宣告されたラッパーとそのパートナー」「末期がんに苦しむ夫と、それに寄り添い葛藤する妻」「認知症を宣告され、あることに対して強烈に恐怖するあまり死を願う漫才師」が当事者として登場する。それぞれの葛藤や決断は計り知れない。しかし、役者たちの演技が”確かに存在する”ことを意識させてくれる。そして、この映画や安楽死について考えるために重要な人物が映画の最後の最後に登場する。映画の最後の最後、シアター内が明るくなるまで席を立たずに見終えてほしい。
考えても考えても正解はない。そんなもの到底出せるわけない。でも、この映画をきっかけとして、自分や自分に近い人にそのような状況が訪れた際のシミュレーションをしてみてもいいのではないだろうか。死や病魔は突然訪れるからこそ心の準備が出来ないわけだけど、何もしないよりは少し冷静に考えられるようになるかもしれない。
fromブライトマン
「死にたいと願うのはエゴか。生きていてと願うのは愛か。」予告で見かけたこの標語が頭から離れず困っていた。近頃、自分の体は自分のものなのだから、思いのまま多様に生きていこうという考えが広まっていて、それには大賛成だが、では、命そのものも自分一人の判断で扱っていいのだろうか。
舞台は近未来、”安楽死法案”が可決された日本。法案では、精神的、身体的に耐え難い苦痛を持つ事、などの条件に該当する者が安楽死を選択できる。登場するのは、パーキンソン病で余命半年の歌えなくなりつつあるラッパー、病のせいで怒りが抑えられない末期ガン患者、幼くして亡くなった息子を決して忘れたくない認知症患者。彼らを見て強く感じたのは、自分が自分でいられる内に人生を終わらせたいという切なる願い。
身体の変化は人格も変化させていく。周囲の家族や恋人は、変化したその人すら丸ごと愛したい、生き続けていてほしいと願う。介助が必要となった人はよく、世話をしてもらうのが申し訳ないと言うけれど、本当の所は自分ではなくなっていく姿を自分と認識されたまま生き続けるのが辛いのではないだろうか。死にたいも生きてほしいも両方エゴであり愛なのであれば、必要となるのは気が遠くなるほど膨大な議論。
全体主義が根強い日本で個人の判断だけで命を扱う考えが広まるにはまだ時間がかかるだろうし、良し悪しに関してこの映画を観たあとも答えは出ないままだが、エンドロール後に登場するとある人の『「あきらめる」が選択肢の一つにあってもいい』というセリフには強く共感した。意外なタイミングで登場するお笑い芸人さんや、ラストのびっくり演出など、テーマの重さに反してポップなサプライズも多い作品。個人的にはジワジワ進むアルファードがシュールすぎて必見。
fromマスダ
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
- 最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!
















