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一心同体だった双子の弟と生き別れた少女が、風変わりなおばあさんと心を通わせていく『かたつむりのメモワール』がいよいよ劇場公開!

2025年6月24日

©2024 ARENAMEDIA PTY LTD, FILMFEST LIMITED AND SCREEN AUSTRALIA

 

1970年代のオーストラリアを舞台に、父の死で双子の弟と離れて暮らす少女が、陽気な女性と出会い、前向きになっていく『かたつむりのメモワール』が6月27日(金)より全国の劇場で公開される。

 

映画『かたつむりのメモワール』は、カタツムリを集めることが心のよりどころだった孤独な主人公グレースが、個性豊かな人々との出会いと絆を通じて生きる希望を見いだしていく様子をユーモラスに描く長編クレイアニメーション。1970年代のオーストラリア、グレースは双子の弟ギルバートと父親と3人で慎ましくも幸せに暮らしていた。母親は出産と同時に亡くなり、病気がちで学校ではいじめっ子の標的にされるグレースだったが、いつも守ってくれる頼もしいギルバートと、愛情深くひょうきんな父が側にいてくれた。しかしある時、父も突然亡くなってしまい、グレースとギルバートは別々の里親のもとで暮らすことに。ギルバートとは手紙で励まし合うものの、寂しさのあまりカタツムリを集めることだけが心の拠り所となっていくグレース。そんな彼女は、ピンキーという陽気で変なことばかり言うお婆さんと出会い、次第にかけがえのない友人になっていくが…

 

本作は、短編『ハーヴィー・クランペット』でアカデミー短編アニメーション賞、『メアリー&マックス』でもアヌシー国際アニメーション映画祭のクリスタル賞を受賞しているアダム・エリオット監督が、『メアリー&マックス』から約15年ぶりに手がけた長編で、8年の歳月をかけて完成させたコマ撮りアニメ。アヌシー国際アニメーション映画祭で最高賞のクリスタル賞を受賞し、第97回アカデミー賞でも長編アニメーション賞にノミネートされるなど高い評価を受けた。

 

©2024 ARENAMEDIA PTY LTD, FILMFEST LIMITED AND SCREEN AUSTRALIA

 

映画『かたつむりのメモワール』は、6月27日(金)より全国の劇場で公開。関西では、大阪・梅田の大阪ステーションシティシネマや難波のTOHOシネマズなんば、京都・烏丸の京都シネマ、神戸・三宮のシネ・リーブル神戸等で公開。

アニメーションとは、フレームの隅々まで制作者の意図が浸透し得る、いわば全能的な視線の芸術だ。ことにクレーアニメという形式においては、キャラクターの造形から背景の質感に至るまで、すべてが手の痕跡によって作り込まれ、映っている“物”そのものが作家の意志を語っている。『かたつむりのメモワール』は、その点において徹底されている作品だ。手作業で構成された映像は、無機的なピクセルではなく、ぬくもりと痛み、そして感情の澱を帯びた「触れられる画面」として立ち上がる。そのカラー設計においても、明るさや快活さとは程遠い、鈍色の濃淡が支配していた。

 

主人公グレースの過去を語るフラッシュバックに映るのは、硬質なグレーとくすんだ青。出生の過酷さ、経済的困窮、社会との軋轢といった背景が、言語よりも先に「色」で観客に届く。色はここでは心象であり、記憶であり、そしてその重さを持って語られる「現在」そのものである。だが、物語が進むにつれ、鈍色の地平にぽつぽつと異なる色が差し込む。なかでも際立つのは「赤」である。それは、まず血の赤として現れる。身体的な痛みの瞬間にのみ流れ出る、それゆえに「生」の強度と直結した色。そして、グレースの親友となるピンキーの眼鏡と耳飾りがこの赤を担う。彼女の存在が、グレースの精神を支える唯一の救済であることを、この小さなアクセントが鮮やかに示している。中盤以降、グレースの口にするウィンナーにすらその赤は宿りはじめていく。生理的な悦びと結びついた色の顕在化が、彼女の微細な変化を告げるのだ。

 

一方で、離れて暮らすもう一人の双子ギルバートの場面に挿入される「リンゴの赤」もまた象徴的だ。それは性的志向、家庭環境、そして彼の抑圧と解放が交錯する場において、あまりに示唆的に作用する。視覚に訴えるこの単色の強度は、ギルバートという存在が抱える複層的な意味を一瞬で観客に刻みつけていく。そして、彼を語るうえで欠かせないのが「橙(オレンジ)」だ。彼の特技であるマジック、特に火を用いた演出は、単なる芸ではない。燃え盛る炎は、現実と幻想、自己と他者の境界を撹乱し、なおかつ希望というには儚すぎる光を放つ。この橙が、彼の人生のある瞬間を炎のように染め上げるのは、いつだったのか──その場面をここで明かすことは避けるが、それがスクリーンに現れたとき、確かに胸を焼かれる思いがした。

 

全体として『かたつむりのメモワール』は、「色」をただの記号ではなく、感情の運動そのものとして配置している。それは絵の具の濃淡ではなく、作家の“体温”によって塗られた、記憶と感情のレイヤーだ。だからこそ、この作品は観客の記憶にも、決して乾かない湿度を残していく。

fromhachi

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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