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小型カメラだけで自由に撮ったものがおもしろかったからこそ作品が出来たんだな…『日本原 牛と人の大地』黒部俊介監督と制作の黒部麻子さんに聞く!

2022年9月15日

岡山県の陸上自衛隊演習場のある町で、牛を飼い耕作をしているひとりの男性を追ったドキュメンタリー『日本原 牛と人の大地』が9月17日(土)より全国の劇場で公開される。今回、黒部俊介監督と制作の黒部麻子さんにインタビューを行った。

 

映画『日本原 牛と人の大地』は、岡山県の陸上自衛隊「日本原演習場」内で農業を営む内藤秀之さん一家を追ったドキュメンタリー。岡山県北部に位置する人口6000人の奈義町にある日本原演習場。日露戦争後に旧陸軍が村々を強制買収して設置、占領軍による接収を経て自衛隊に引き継がれた。自衛隊との共存共栄を掲げる奈義町では、昔から地元住民が土地を共同利用する「入会(いりあい)」が行われ、演習場内の耕作権などが防衛省から認められてきたが、現在では場内で耕作しているのは内藤さん一家のみとなった。1960年代の末、岡山大学の医学生だった内藤さんが、なぜ日本原で牛飼いとなったのか。本作が初監督となる黒部俊介さんが約1年間の取材を行い、牛を飼い田畑を耕しながら50年にわたって自衛隊と闘い続けてきた内藤さん一家の姿を映し出す。

 

元々は福祉の仕事をしていた黒部俊介さん。パワハラに遭ってしまい、職場を辞めることになり「どうせなら好きなことをしよう」と決意。映画学校を卒業しており「映画を手掛けたい」と誓った。ネタ探しをしていく中で、偶然にも「岡山大学の医学部を辞めて、自衛隊と戦うために牛飼いになって50年の方がいる」と知り合いから聞き、手紙を書いて会いにいくことに。「内藤秀之さんは、イメージとちがって怖い人ではなかった。えぇ人。優しい方だな」と人柄にふれると共に「牛の世話をしながら、1年程度ゆっくりと日本原を知って感じてみてください」と言われた。牛の世話を始めて1,2ヶ月経過した頃、牛との関係を構築でき、内藤さん一家とも仲良くなれた頃から撮影を始めていく。ホームビデオ撮影用の小型カメラで撮影しており、現場では拒まれている雰囲気はなかった。

 

映画を作るにあたり「こういう作品にしたい」と明確には説明しておらず「先方も、どんな映画になるのか、分かっていなかったと思う」と回想。演習場に入る光景は沢山撮るものの、「牛の撮影もそれ以上にするので、この人の興味はどこにあるのだろうと、不思議に思っていたんじゃないかな」と想起する。「田舎なので、日中に若者が町にいないので、僕がプラプラしていたら、皆が注目してしまう。奈義町では見かけない倉敷ナンバーの車だったから、余計目立った」と気にしながらも「別に変なことをしているとは思われなかったので、内藤さんのところに若者がよく来るようになった、とみられていたのかな」と前向きに受けとめ、時間をかけて内藤さん一家に溶け込んでいった。

 

なお、牛の世話においては、お互いに怪我をしないように気をつけており「牛は怖くて強いので、喧嘩したら負ける。自分の身も内藤さんの身も守らないといけない」と認識。牛舎にいると牛がペロッと舌を出してくるのを人懐こくてかわいいと思っていたが、内藤さんから「知らない人が来て牛も怯えて匂いを確かめていた」と聞き、ショックを受けた。「牛にもストレスを与えたくない。迷惑をかけてはいけない立場なので、どうしたら牛に不信感を抱かれないようにするか、ルールを決めた」と細心の注意を払っていく。「牧場に入る時は、毎回同じ服と帽子と靴。寝泊まりする時は風呂に入らない。顔と手は汚れたら洗うけど、同じような匂いをさせておく」と、せめてものルールとして完全に徹底。自身の匂いを気にしつつ、汗を流しながら撮影。大変な状況下、このルールに意味はあるのかと困惑しながらも次第に楽しくなり「お互い大きな事故もなかったし、牛に認められた気がする。風呂に入らなかったのが良かったのかな」と受けとめている。

 

パートナーである黒部麻子さんにとっては、夫がいきなり映画を撮り始めたことに戸惑いもあったが、撮影時においては「好きにすればいい」と任せており「止めろ」とは言わなかった。「1人で完結してくれるなら、好きにしていればいいんじゃない。私のことは巻き込まないでね」と自身のスタンスを伝えていたが「カメラを携えて日本原に行っているけど、何をやっているのか、よく分からなかった」と告白。結果的にプロデューサーになったのは、内藤さんたち家族に惚れ込んだからだという。とはいえ「こんなに私が手伝うことになるとは思っていなかった」と本音を漏らした。撮影期間中、収録した素材を一度も観返しチェックしていなかった黒部監督。撮りっぱなしだったが「自分が無理したくなかった。パワハラの経験が体に沁みついていたので、様々なことをぐるぐる考えても仕方がなかった」と冷静に受けとめ、自身のペースを維持していく。「なんとなく1年程度だろう」と予定していく中で、唯一の心残りは、コロナ禍で撮れなかった米軍の単独訓練だが、一区切りして、撮影を終えた。

 

編集にあたり、最初は一人でやっていたが、配給会社の東風から編集の秦岳志さんを紹介してもらう。まず、秦さんが手掛けた作品として『息の跡』等を観て印象に残り、編集を依頼した。コミュニケーションが苦手ながらも「妻と一緒になって考え、Zoom でやり取りしていた。どういう思いを以て表現したいのか、と全て聞いて頂き、意見を尊重してくれている」と感じ取り「いろいろな要素を全てそのまま詰め込み、とっ散らかった状態だったものを、分かりやすくすると共に、家族の物語、僕の個性やモチーフを基に寄り添ってくれる編集をして頂いた」と感謝している。黒部麻子さんは「あぁしたい、こうしたい、と要望は都度伝えていった。業界経験がないゆえの、素人的な要望もあったと思うが、秦さんは、私達が納得できるまで丁寧なコミュニケーションを重ねられた。私達の意見を尊重してくれた上で、秦さんの意見を出してもらい、アドバイスも頂いた。一つ一つを納得しながら進められた」と後悔なく仕上げられたことが大きかった。

 

初監督作品について、様々な取材を受けていく中で「夫が1人で小さなカメラだけを携えて、好きなように好きなだけ撮ったものがおもしろかったからこそ、この作品が出来たんだな」と感じ取っている。とはいえ「1人でおもしろいものを撮ったけど、それだけでは作品にはならなかった」と認識しており「配給の東風のおかげで、編集の秦さんと整音の川上拓也の力を借りられた」と実感。「沢山の方に作品を観てもらうために、様々な方の力を借りて、幸運にも作品が出来上がり、劇場公開まで進められた。夢みたいだな」と感慨深い。内藤さん一家の皆さんにも本作を観て頂いており、黒部監督は「想定外の内容に驚いてもらいながらも、真剣に観てもらい、良い作品だと感じて頂けたようだ」と印象深い作品になっている。

 

映画『日本原 牛と人の大地』は、9月17日(土)より全国の劇場で公開。関西では、9月17日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場、10月7日(金)より京都・烏丸の京都シネマで公開。また、神戸・元町の元町映画館でも近日公開予定。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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